22.裏切りの英雄たち(前編)
今回のお話は、『英雄たちのその後1&2』に深く関連する筋書きなので、そちらの内容をすっかり忘れてしまったという方は、事前に再読しておきますと、よりお楽しみいただけます。
なお、未読の方に関しては、予め読んでおくことを強く推奨します。
(――ガンドレール、お前もまた、別の顔を持っていたのか?)
ディダレイの話が真実ならば、イクシアーナとリアーヴェルに続き、彼もまた、思わぬかたちで俺の予想を裏切ることになる。
この先、目の前で何が起ころうとしているのか、上手く呑み込めずにいたが、それでもなお、俺は努めて平静さを保ち続けた。
「――驚かれるのも無理はありません。しかし、これは紛うことなき真実です」
ディダレイはそう話すと、隣のジャンデルへと向き直った。
「例のものを出してくれ」
ジャンデルはうなずき、腰の革鞄の中からもう一冊の革手帳を取り出し、ディダレイに手渡した。
「……個人的には、もう幾ばくかイーシャルの素性についてお伺いしたかったのですが、まあ、頃合いですし、良しとしましょう。そろそろ、我々の仮説に移るとします」
ディダレイはそう前置きしたのち、革手帳を顔の高さまで掲げてみせた。
それから、ひどく勿体ぶった口調でこう言った。
「この手帳は、カルソッテ伯爵の屋敷を事件後に調査した際、ガンドレールの自室で見つけたものです。言うなれば、彼の“秘密の日記”とでも呼ぶべき品でしてね。この中には、彼のイーシャルに対する劣情が、ここぞとばかりに書き連ねてありました」
ディダレイは手元で日記帳を開き、ぱらぱらと項をめくり出した。
そして、ほどなく手を止めると、じっとその項を眺めつつ、内容の一部を読み上げ始めた。
「『イーシャル。僕の愛しい人。肩書も家名も、全てを捨てて君を助け出し、心のうちに溢れる想いをぶつけていたら、果たして、君はそれを受け止めてくれただろうか?』 ……と、このように書かれています。あの“レヴァニアの鷹”が、まるで恋する乙女ではありませんか」
ディダレイは日記帳から顔を上げ、嘲るように笑い声を立てた。
悪い冗談のようにしか聞こえなかったが、その一方で、彼らが嘘をでっち上げ、わざわざそれを伝えに来るということも考えにくかった。
「要するに、ガンドレールは、磔の身となったイーシャルを救い出そうと考えていたのです。無論、実行には移しませんでしたが。この日記には、自分が彼を救えなかったことについての懺悔が、くどくどと並べられています。……しかし、イクシアーナ様、ずいぶんと疑り深い目をなさっていますね。私の言葉に、一つも嘘はないというのに」
ディダレイは余裕たっぷりの声で言い、怪訝な面持ちのイクシアーナを見やった。
それから彼は、再び項をめくったのち、「これは決して紛い物ではありません。証拠をお見せしましょう」と口にして、イクシアーナに日記帳を差し出した。
「……その項の四行目をお読み下さい。そこには、ゼルマンド討伐後の祝宴の席で、ガンドレールとイクシアーナ様が、二人きりでウイユベリ辺境伯について語らい合ったという記述があります。身に覚えは?」
イクシアーナは手にした日記帳を軽く眺め、小さく嘆息した。
「……確かに、これはガンドレール本人でなければ知り得ない事実です。そして、この繊細で美しい文字にも、見覚えがあります。私は何度か、彼と手紙をやり取りしたことがありますから。どうやら、あなたの言葉に嘘はないようです」
重々しい口ぶりで言いながら、イクシアーナはディダレイに日記帳を返した。
これでディダレイの発言が、とうとう真実だと明らかになったわけだが、俺としてはどのような感想を抱いていいものか、見当さえつかなかった。
せいぜい分かっていることと言えば、俺には彼の気持ちに応えることはできぬという、その一点のみだった。
「信じていただけて何よりです。では早速、仮説に戻るとしましょう」
満足気な面持ちのディダレイは、手早く日記帳の項を進めたのち、そこに視線を落とした。
そしてこう続けた。
「――次のようなことも記されています。『この遠征が終わったら、僕は“お尋ね者”となった君の捜索の任を、自ら買って出るつもりでいる。もう二度と、君との関係において、一切の後悔をしたくないから』とね。
事実、ガンドレールは失踪の少し前、イーシャル追跡の任に就きたいと、並々ならぬ意欲を燃やしておりました。そして、その本気度を証明するかのように、この日記の中にも、イーシャルを探し出すにあたっての膨大なアイデアが綴られていました。そこから否応なく浮かび上がった、彼の異常なほどの情熱が、結果として、我々に閃きを与えることとなりました」
ディダレイは十分な間をとったのち、「ここからが核心です」と前置きし、次のように話し出した。
「――我々は、レヴァニア王国の誇る警察機構として、“イーシャルの追跡”と“英雄殺し”の一件について、慎重に捜査を続けて参りました。とりわけ、“英雄殺し”に関しては、犯人の目的が本当に英雄たちの殺害なのかと、疑り深い眼差しを向けてきた次第です。
巷では、『イーシャルこそ“英雄殺し”の正体だ』とまことしやかに囁かれてきましたが、正直に申せば、我々は見向きもしなかった。何事も疑ってかかるというのが、捜査の基本中の基本ですからね。……おっと、前置きが長くなりました」
ディダレイは不敵に微笑んだ。それから一同の顔を見回したのち、こう告げた。
「――結論から申し上げますと、“英雄殺し”の正体は、イーシャルとガンドレールの二人であり、彼らの目的は、密告者への報復だと考えています。奇しくも、我々の仮説は、巷の憶測と大部分が重なり合う結果となりました」
俺は思わず苦笑を漏らした。
ひどく馬鹿げている、というのが率直な感想だった。
だが、詳細が全て明らかにされていない以上、判断は留保しておくべきである。
今は様子を見ておこう、と俺は思った。
「ガンドレールは今も生きている――つまり、あなたたちはそう考えているのですね?」
イクシアーナが尋ねると、ディダレイは自信たっぷりにうなずいてみせた。
俺が静かに息を呑むと同時に、ディダレイはおもむろに口を開いた。
「カルソッテ伯爵一家惨殺事件において、我々の調査は、二つの事実を明らかにしました。一つ目は、一家全員と屋敷の使用人たちは、揃って一刀のもとに斬殺されていた点です。そして二つ目は、誰一人として抵抗の痕が見られなかったという点です。後者に関しては、特に不可解と言えます。では、なぜこのようなことが起こり得たのでしょう?」
ディダレイの問いかけは、奇妙に誇張されて室内に響き渡った。
「……そうです、“自分を殺すはずがない”と考えていた人間に、突然襲われたからにほかなりません。そして、死体に残されたその傷たるや、何と鮮やかだったことか! 犯人は正真正銘の剣の達人です。では、身内に警戒されず、類稀な剣の腕前を身につけていたその人物とは、一体誰なのでしょう? ……イクシアーナ様、もしよろしけば、お答え下さいますか?」
「……犯人はガンドレールだと、あなたはそう言わせたいのでしょう?」
不快感を露わにイクシアーナが答えると、ディダレイは満足気にうなずいてみせた。
そして話し出した。
「我々の仮説はこうです。戦場で致命傷を負い、自宅で療養中だったガンドレールは、どうにか一命を取り留めた。その後、辛くも回復まで漕ぎ着けた彼は、イーシャルの居所を突き止め、屋敷を飛び出した。無論、家族と使用人たちを皆殺しにしたあとで、です。
詳細については明かせませんが、ガンドレールが日記に残したアイデアのうちのどれかが、彼を愛する人間の元へ導いたのでしょう。そして、再会を果たした二人は、密告者に対する復讐を誓い合い、“お礼参り”を開始した。これこそが、“英雄殺し”の真実というわけです。また日記には、『密告者を殺してやりたい。その勇気さえあれば』なんてことも書かれていましたから、ガンドレールにも“英雄殺し”をするだけの動機はあったと見て良いでしょう。
付け加えておきますと、先ほど私がイーシャルの性的嗜好について尋ねたのは、彼が男色家であったほうが、よりこの説の信憑性が高まるように思えたためです。“英雄殺し”を単なる友情の上に成立した復讐としてではなく、“死臭に満ちた愛の逃避行”とでも捉えたほうが、より説得力が増すとは思いませんか? ……まあ、少々ロマンティックに過ぎるかもしれませんが」
悦に入った口調で語られる妄言に、俺は不快感を抱かざるを得なかった。
実に歯痒く思えたが、かと言って反論するわけにもいかない。
俺は深呼吸をして心を静めつつ、ディダレイが再び話し始めるのを待った。
「また、我々はこのようにも考えています。イーシャルはゼルマンド討伐の際、止むにやまれず暗黒魔術を用いた。そして、最後まで生き残ったガンドレール、ファラルモ様、イクシアーナ様、リアーヴェル様――この四人がその決定的瞬間を目にした。
ところが、愚かなガンドレールは、イーシャルに対する歪んだ愛情を発露させ、ほかの三人にかん口令を布いた。大方、何らかの秘密を盾に無理強いしたか、金銭的な取引でも申し出たのでしょう。ガンドレールの日記に残されていた、『一度は、イーシャルの罪の片棒を担いだ』という記述が、この推測の決め手となりました。自ら危ない橋を渡って助けたイーシャルの命が、密告によって再び死に直面したのですから、ガンドレールにとっては、腸の煮えくり返る思いだったでしょう」
唾棄すべき思想の持ち主ではあるが、ディダレイの観察眼については認めざるを得なかった。
暗黒魔術の使用が露見した以降の下りは、大筋に限って言えば真実そのものである。
「しかし、ガンドレールの努力も虚しく、やがてイーシャルは告発された。誰が告発者だったのかという点は、個人的にも気になるところです。しかし、それを知ることは叶いませんでした。なぜなら、異端魔術審問所の連中が、復讐防止のための“証人保護制度”を振りかざし、告発者の素性を明かそうとしなかったためです。全く、あそこには頭の固い人種しかいませんので、ほとほと困らされましたよ」
ディダレイは顎に手を当てながら、皮肉っぽい口ぶりで言った。
「ただし、我々は確信しています。今は亡きファラルモ様、イクシアーナ様、リアーヴェル様――この三人のうちのいずれかが、イーシャルを告発したのだと。人々は『イーシャルは仲間に売られた哀れな男だ』と噂しておりましたが、それは真実だったのでしょう。何にせよ、私個人としては、正義のために立ち上がったその人物に、大いなる称賛と拍手を送りたい」
ディダレイはそこで言葉を置き、イクシアーナに意味ありげな微笑を向けた。
あるいは彼は、かつて俺がそうだったように、彼女を告発者だと見なしているのかもしれなかった。
「……もちろん、これはあくまでも、あなたたちの仮定に基づいた話ですが」
長らく黙っていたイクシアーナが、神妙な面持ちでディダレイに切り出した。
「たとえば、ファラルモが告発者であり、かつ犯人がそれを特定していた場合、現時点で復讐は遂げられたことになります。となれば、これ以上の凶行は起こらない、と考えられますよね?」
ディダレイは深々とうなずき、「良い着眼点です」と言った。
曰くありげな質問のように思えたが、告発者の件については、既に心の中で整理をつけていただけに、俺はそれついて深く考えることを避けた。
「確かにその可能性はあるでしょう。しかし、私個人としては、“密告者が特定できないため、三人皆殺しにしてしまおう”と二人が目論んでいる説を採用したい。物事は悲観的に見ておいたほうが、よりリスクを抑えられますしね。加えて、これはあくまでも直観に過ぎませんが、犠牲者はファラルモ様だけでは済まされない――個人的には、そんな気がしてならないのですよ」
そう言って、ディダレイは不敵に口元を歪めた。
「とにかく、この仮説を採れば、ゼルマンド討伐後にイーシャルが告発された点、ガンドレールの不自然な失踪、そして、その直後にファラルモ様が殺害された背景にも、全て納得のいく説明がつきます。 “剣聖”と“レヴァニアの鷹”の二人が下手人ならば、いくら“死の渡り鳥”と言えど、太刀打ちできなかったでしょう。さらには、ファラルモ様の命が、わざわざ暗黒魔術によって奪われているという点も、まさしく怨恨の線を想起させます。
ただし、それでも謎は残ります。その一つが、カルソッテ伯爵一家の惨殺ですが、これはまあ、自分の仕出かすことの重大さを承知していたガンドレールが、家族に不名誉を着せぬよう、自ら手を下したと考えておきましょう。 “英雄殺し”を実行する覚悟があるのなら、それくらいのことはやってのけてもおかしくありません。言うなれば、身勝手な慈悲心を端に発した凶行というわけです。
そしてもう一つは、大きな証拠となる“秘密の日記が残されていた”という事実そのものです。しかし、事件前日に彼を見舞った親戚の証言では、時折記憶の混濁を見せていたとの話でしたから、おそらくそれが原因となり、処分し忘れたのではないかと考えています。事実、彼を診た医師にも話を伺いましたが、意識障害や致命的注意欠陥は、回復期にあっても現実に起こり得るとの話でした。よって、我々も暫定的にその見解を採用しています。……と言っても、これは別段おかしい話ではありません。たとえ意識が朦朧としていようと、彼ならばいくらでも人を殺せます。瀕死の重傷を負いながらも剣を振り続ける彼の姿を、私は戦場で目にしたことがありますから」
ディダレイはそこで言葉を置くと、どうだと言わんばかりに部屋中の人間の顔を眺め回し、それからこう続けた。
「――仮説の披露は以上ですが、最後に一つだけお伝えさせて下さい。この説をほぼ独力で磨き上げたのは、ほかでもない、我が右腕のジャンデルです。彼の“名誉”のためにも、その点を強調させていただきたい。直接証拠を掴めない代わり、彼は日記をもとに想像力を働かせ、この仮説を見事に構築したのです。その優秀さに、私としては頭の下がる一方ですよ」
ディダレイは誇らしげに自らの右腕を見やった。
片や、ジャンデルは表情一つ変えず、鋭い光を目にたたえたまま、じっと腕組みをしているばかりだった。
他者の評価などどうでもいい、自分は自分のやるべきことに徹するのみ――そう言わんばかりの態度に、俺の目には映った。
「――ジャンデルのような男にこそ、我が弟であって欲しかった」
ディダレイは最後にそう加えると、忌々しげにネーメスを見やり、次いでイクシアーナに視線を移した。
今現在、彼女が何を考えているのか、俺にはまるで想像がつかなかった。
彼女はひどく平板な表情を浮かべたまま、強く唇を噛みしめていた。
「――さて、イクシアーナ様には、ぜひともご意見をお聞かせいただきたく存じます。我々の仮説のどこが正しく、どこが間違っているのか、貴方様ならば判断がつくはずです。今後の捜査方針にも大きく関与しますので、どうか正直にお答え下さいませ」
いくぶん高圧的な口調でディダレイが迫ったが、彼女は黙り込んだままだった。