21.暴かれた素顔
ディダレイとジャンデルを交えた俺たちは、中央の塔の二階に設けられた客室――先日、イクシアーナとウイユベリ辺境伯が会食を行った部屋だ――に移った。
初めて踏み入る客室は、中央に艶光りする木製テーブルと、それを囲む四つの肘掛椅子が置かれているだけの、ごく簡素な部屋だった。
イクシアーナとリアーヴェルは並んで上手側の椅子に腰かけ、俺と“聖女の盾”の三人は、その背後の壁に並び立った。
ディダレイとジャンデルは、情報提供者たる二人に会釈したのち、彼女たちの向かい側の席に座った。
次いで、ジャンデルは腰のベルトに下げた革鞄から、革の手帳と羽根ペン、インク瓶を取り出して机の上に並べた。
ディダレイが勿体ぶった口ぶりで話し出したのは、ジャンデルがメモを取る準備を整えた直後のことだった。
「……実を申しますと、我々はイーシャルの追跡において、一つの有力な仮説を持っています。よって、お二方の証言をもとに、この仮説の正当性を検証したいというのが、情報提供をお願いした最たる理由です。検証にあたって、我々は彼の人となりや過去について、深く知る必要があると考えています」
その“仮説”とやらが、どれだけ有力なのか、自ら判断せねばなるまい――俺はそう思いつつ、ディダレイの話の続きを待った。
「――それでは、早速お伺いしたいのですが、お二人方が初めてイーシャルと知り合ったのは、いつのことだったのでしょう?」
「……ああ、うーむ、私は、ゼルマンド奇襲作戦の際だ」
リアーヴェルはあくびを噛み殺しつつ、ほとんど投げやりな口調で答えた。
依然として眠気と戦っているのは、火を見るよりも明らかである。
次いで、イクシアーナが淡々とした口調でこう告げた。
「――彼と初めて出会ったのは、今から八年ほど前です」
俺は自分の耳を疑った。
無論、こちらとしては身に覚えのない話である。
だが、彼女の表情は真剣そのもので、嘘を話しているようには見えなかった。
ディダレイは小さく首を傾げつつ、「それは意外でした」と所感を述べた。
「……八年前と言えば、イーシャルは義勇軍に所属していたはずです。一体、どのようにしてお知り合いになったのでしょう?」
「実を申しますと、その当時、私はゼルマンド討伐義勇軍に所属していました」
イクシアーナの答えを、俺は訝しんだ。
確かに義勇軍には、ごくごく少数の女性兵が参加していた。
彼女たちは皆、その外見も戦いぶりも、並の男以上に荒々しく、戦場ではずいぶんと頼りにされていた。
つまるところ女性兵は、隊内では一際目立つ存在で、誰もがその名と顔を知られていたのである。
それなのに、同時期にイクシアーナが在籍していたという話は、一度たりとも耳にしたことがなかった。
普通に考えれば、到底あり得ない話である。
彼女のように美しく、かつ世にも稀な銀髪の持ち主が入隊したとあらば、さながら烏の大群に迷い込んだ一羽の白鳥のごとく注目を浴び、一騒動持ち上がるのが当然と言えた。
「……私も義勇軍の連中とは、それなりに付き合いがありましたが、イクシアーナ様があのような無法者の集団の中にいたとは、少々信じられませんね」
ディダレイはそう言って、怪訝そうに口元を歪めた。
「一体、どのような経緯で入隊されたのです? 差し支えなければ、ぜひともお聞かせ願いたい」
「大した話ではありませんので、詳細は割愛しますが」
イクシアーナはそう前置きして、おもむろに話し出した。
「義勇軍に身を置いたのは、当時の私が、手っ取り早く食事と寝床を求めたためです。短く切り落とした髪を、染料で黒染めして、目立たぬよう男のふりをして潜り込みました」
それならば合点がいく、と俺は思い直した。
義勇軍は日々戦闘と移動の連続で、湯浴みどころか、川で行水さえできない日もしばしばだった。
よって、兵たちは顔も体も、土埃と垢まみれの状態が当たり前と言えた。
そうした環境下では、いくらイクシアーナと言えど、その美しさはなりを潜めるだろう。
加えて男装までしていたならば、確かにカムフラージュは不可能ではない。
「……私は幼少のころ、傭兵だった叔父から、遊び半分で剣術を習っておりました」
遠い目をしながら、イクシアーナがそう話した。
「叔父からは『なかなか筋が良い。女にしておくのは勿体ない』といつも言われていたので、それを活かしてみたいという思いもありました。ただ、義勇軍の雰囲気にはどうしても馴染めず、一年も経たずに辞めてしまいましたが」
ディダレイは、至極当然だと言わんばかりに深々とうなずいてみせた。
「それで、当時のイーシャルとは、親しい関係にあったのでしょうか?」
イクシアーナは首を横に振った。
それから、ちらと隣の席を一瞥して、小さくため息をついた。
リアーヴェルが寝息を立て始めていたことに、とうとう気づいたためである。
彼女は呆れたように再度嘆息し、それからこう答えた。
「……そうですね、実際に言葉を交わしたのは、数回程度だったと思います」
八年前、俺は彼女と会話していた――果たして、それは真実なのだろうか?
俺は男装したイクシアーナの姿を想像しつつ、過去の記憶を手繰り寄せようと試みたが、それらしい覚えはまるで見当たらなかった。
そのときだった。
「……つまり、同時詠唱における秘訣は、その、アレだ。うーむ」
唐突にリアーヴェルが寝言を口走り、一同は思わず苦笑を漏らした。
「リアーヴェル、すっかり眠りこけていますが、問題ありませんか?」
イクシアーナの問いかけに、ディダレイはやや呆れたように首肯し、質問を再開した。
「では、イクシアーナ様の目に、当時のイーシャルはどのように映ったのでしょう?」
「……そうですね、一言で言えば、彼は少年兵たちの保護者のような立場でした」
イクシアーナがそう答えると、ディダレイは信じられないといった風に小さく頭を振った。
同時に、ジャンデルもペンを走らせる手をはたと止めた。
だが、彼らの反応も至極当然に思えた。
なぜなら、この俺自身でさえ、批判的な言葉を並べられるだろうと予期していたからだ。
「少年兵たちは、隊内では厄介者扱いされていました。“戦場では、足手まといにしかならない”とでも考えられていたのでしょう。彼らは皆、肩身の狭い思いをしていましたから、イーシャルの存在は心強いものだったと思います。……事実、私にとってもそうでした」
そこでイクシアーナは短く沈黙した。そしてこう続けた。
「私は入隊した際、面接を担当された人間から、『何か困ったことがあれば、イーシャルに訊け。あいつはガキの世話焼き係だ』とだけ伝えられました。私は右も左も分からない身だったので、言われた通り、すぐに彼を頼りました。すると彼は、隊内の規律と上手く立ち回る術を、懇切丁寧に教えてくれました」
「……実に奇妙です。彼に対する世間一般の評とは、ずいぶん異なっているように聞こえます」
怪訝な面持ちでディダレイが見解を述べると、「一体、どのような評です?」とイクシアーナが訊いた。
「イーシャルはまともに人と交わろうとせず、隊内では常に孤立していた。その過去を知る者さえ、誰一人としていない。おまけに、好んで決闘ばかりに明け暮れる、実に血生臭い人間であり、同朋からは悉く恐れられていた――彼を知る者の多くは、我々にそう語りました」
ディダレイの答えに、「それは彼のごく一面に過ぎません」とイクシアーナは返した。
「事実、イーシャルは、ほぼ全ての少年兵から慕われていました。暇さえあれば、彼らに剣の稽古をつけ、戦場で生き抜く術を熱心に説いていました。彼の存在は、隊内における唯一の良心とさえ思えたほどです。それに、彼が幾度となく決闘をこなしたのも、その大半の理由は、トラブルに巻き込まれた少年兵の身を守るためでした。彼自身から望んで決闘を行ったという例は、私の知る限りでは一度もありません」
俺は二重の意味で困惑していた。
一つ目は、他者の口から自分の評をまともに聞かされるという経験が、ほぼ初めてだったせいである。
事実、俺はそれを知ることを、意図的に避けてきたと言っていい。
そして二つ目は、イクシアーナの俺に対する人物評が、予想に反して好意的だったという点――少なくとも、俺の耳にはそう聞こえたということだが――にほかならなかった。
「……驚きました。イクシアーナ様の言葉をそのまま信じるなら、イーシャルという男は、絵に描いたような聖人君子ではありませんか」
ディダレイはそう言うなり、低い笑い声を漏らした。
「しかし、きっとそれだけではないはずです。彼には、隠された別の顔があって然るべきとは思いませんか? ……そう、たとえば、少年兵たちを手懐け、自らの慰み物にしていたとか」
「――口を慎みなさいッ!!」
イクシアーナが怒号を飛ばすと、一瞬にして部屋中に緊張が走った。
次いで彼女は、ハッとした表情で周囲の人間の顔を眺め回し、小さく咳払いをした。
「少々言葉が過ぎました。ただ、イーシャルに限っては、絶対にあり得ないことです。それだけは断言できます」
彼女は真剣な面持ちで、ぴしゃりと言い放った。
「確かに彼は、暗黒魔術に手を染めるという過ちこそ犯しましたが、根も葉もない憶測で貶められるべき人間ではありません。予め伝えておきますが、再びそのようなことを口にした場合、その時点で協力は打ち切らせていただきます」
彼女は“イーシャル”を買い被りすぎている――俺はそう思った。
当時の俺は、何としても少年兵たちに生き残って欲しいと、出来る限りの手を尽くした。
それは事実である。
だが、そこに一種の歪んだ思惑が潜んでいたことは、認めざるを得なかった。
俺は少年兵たちを、自らと同じ運命を辿る、過去の生き写しのごとく感じていた。
なればこそ、彼らを救うことで、自分も救われるのではないか――そんな淡い期待を、心のどこかで抱き続けていたのだ。
さらに付け加えるなら、少年兵たちへの献身は、俺にとって免罪符のような役割を果たしていた。
暗黒魔術にさえ手を染め、血塗られた日々を延々と繰り返していた当時の俺が、何とか真人間になりたいと願い、見出した活路――それこそが、彼らに救いの手を差し伸べることだった。
それが一種の打算であり、取引じみた考えであることは、重々承知していた。
俺が正真正銘の聖人君子ならば、ゆめゆめそんなことは思いつかなかっただろう。
「……こ、これは失礼しました。しかし、この質問には相応の意図があったのです」
あからさまに顔をしかめたイクシアーナに向かって、取り繕うようにディダレイが言った。
「私は単に、イーシャルが男色家であったかどうかを知りたかったのです。その点に、何か心当たりは?」
俺は首を捻らざるを得なかった。
確かに、義勇軍の中には、そのような嗜好を持つ男たちが一定数存在した。
だが、俺は男と関係を持ったことなどないし、そうした欲求を抱いたこともない。
まるで要領を得ない質問だった。
「――特に心当たりはありません」
イクシアーナは険しい表情を浮かべたまま、いくぶん冷ややかに答えた。
すると、ディダレイは不敵に口元を歪め、次のように口走った。
「……そうですか。では、ガンドレールが男色家であり、イーシャルに懸想していた点はご存知でしたか?」
イクシアーナは唐突に表情を失った。
それから、ゆっくりと大きく目を見開き、右手で口元を覆った。
脇に並ぶ、“聖女の盾”の面々の顔にも、隠しようのない動揺の色が浮かんでいた。
だが、誰よりも驚いていたのは、この俺自身にほかならなかった。