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20.憎悪の騎士

「――お久しぶりでございます、イクシアーナ様、リアーヴェル様。以前にもご挨拶したかと存じますが、覚えておいででしょうか? ディダレイ・バシュトバーです」


 俺たちの前で足を止めた美男の騎士は、そう告げるなり、恭しく頭を下げた。


(……バシュトバーだと!?)


 驚きつつ、俺は改めてディダレイと名乗った男を見やる。

 ダークブラウンの髪を真ん中分けにしており、その下に覗く顔は、実に涼やかな印象を抱かせた。

 鼻筋は高く通り、目は切れ長で、瞳の色は澄んだグレーだった。

 頬も口元も、いくぶん険しく締まっており、そこには何かしらの強い意志が窺える。

 騎士道物語の挿絵からそのまま抜け出てきたかのような、まさに貴公子然とした男と言えた。

 年のころは、俺と同じか、あるいは少し上といったところだろう。


(……ネーメスの縁者に違いない)


 そう睨みつつ、ディダレイとネーメスを見比べてみた。

 確かに、それぞれ髪の色も瞳の色も全く同じだが、似ていると言えばそれくらいのものである。

 面立ち、体格、醸し出す雰囲気――第一印象を決定づける主たる要素において、ほぼ全てが正反対と言っても差支えなかった。

 ネーメスはやや体の線が細く、中性的な雰囲気を有しているのに対し、ディダレイは上背もあって骨格もしっかりしており、より男ぶりが良かった。


「――もちろん、覚えておりますよ。こちらこそ、お久しぶりです」


 イクシアーナはそう答え、気さくな笑みを浮かべた。

 一方、リアーヴェルはぼんやりとした目でディダレイを眺めながら、小さく首を傾げている。

 きっと覚えていないのだろう。

 次いで、“山猫”ジャンデルが口を開いた。


「――イクシアーナ様、リアーヴェル様、お初にお目にかかります。私めは王国騎士団の参事、ジャンデル・ムルバンクと申します。以後、お見知りおきいただければ幸いです」


 久々に目にしたジャンデルの顔つきは、ずいぶんと自信に満ちあふれたものだった。

 彼の戦役における功績と大出世が、そのような変化をもたらしたのだろう。

 衰えていたムルバンクの家名も、今では彼自身の働きによって、いくらか盛り返したに違いなかった。


(――“山猫”と言うよりは、もはや虎のごとき男だ)


 ジャンデルの二つ名の由来となった、黒と小麦色のまだら髪は、以前よりもさらにコントラストが際立って見えた。

 根元こそ黒々としているが、先端にゆくにつれてどんどん色が薄くなり、最終的にはかなり明るい小麦色へと変化している。

 まさに虎の毛並みを彷彿とさせた。

 髪色と同系色の金の甲冑も、表皮のごとくよく馴染んでいる。

 だが、何よりも印象的に映ったのは、急角度に吊り上がった彼の眼だった。 

 獲物を認めた肉食獣のごとき鋭い輝きが、淡褐色の瞳に宿されている。


「お噂はかねがね伺っています。こちらこそ、お会いできて光栄です、ジャンデルさん」

 

 イクシアーナがそう返すと、ジャンデルは折り目正しく頭を下げた。

 次いで、ディダレイが堂々たる口ぶりでこのように語った。


「――実は、一点ご報告がございます。私はこの度、王国騎士団団長に就任いたしました。また平素より、我が弟(・・・)も大変お世話になっておりますので、そのお礼も兼ね、改めてご挨拶をばと思いまして」


 それを聞くなり、ネーメスは曰くありげにうつむき、微かに表情を強張らせた。


(――兄は王国騎士団の団長で、弟は“聖女の盾”か)


 互いにその家名に恥じぬ、順調な出世ぶりに違いなかった。

 二人が兄弟であるという事実も含め、俺は少なからず面食らっていたが、何よりも気にかかったのは、ディダレイが新たに団長の座に就いたという点だった。

 それは言わずもがな、失踪したガンドレールの任が解かれたということにほかならない。

 組織の運営上、やむを得ないことだと理解はできたが、今もガンドレールの生存を信じている俺にとって、その報せは決して快いものではなかった。


「――ネーメスは、実によくやってくれていますよ。感謝を述べるべきは、こちらのほうです」


 イクシアーナが微笑みながらそう返すと、ディダレイはわずかに口角を吊り上げた。


「……それが事実ならば、こちらとしては願ったり叶ったりですが」


 彼の言葉には、妙に嫌味たらしい含みが込められていた。


「イクシアーナ様は心の広いお方ですから、そんな風に仰って下さるのでしょう。しかし、気遣いは不要です。この愚弟のためにも、どうか厳しく(しつ)けていただきたい。正直に申しますと、次期当主の私としては、此奴が最大の懸念事項でしてね」


 言いながら、ディダレイは射抜くような眼差しを、うつむいたままの弟に向けた。


「――よく聞け、ネーメス。勤務中に決闘だなんて馬鹿な真似は、二度と仕出かさないことだ。当家の“名誉”を貶めるような愚か者が血を分けた弟とあっては、私の立場がなくなるのでね。兄はいつでも、貴様の行動に目を光らせているということを、ゆめゆめ忘れるなよ」


 ディダレイは嫌悪感を隠さずに吐き捨て、それからすぐに俺の顔へと視線を移した。


「貴殿に対しても、一言物申しておこう。いくら噂に名高い“傷跡の聖者”殿とは言え、当家の“名誉”を傷つけて良い道理はないはずだ。愚弟の挑発に乗って決闘を受けるなど、お世辞にも賢明な判断とは言えない」


 ディダレイが、憎しみのこもった目で俺を睨んだ。

 何らかの反応を期待している風に見えるが、こちらとしては沈黙を選ぶほかない。

 たびたび戦場で顔を合わせてきたジャンデルは、イクシアーナやリアーヴェル以上に、俺の声を記憶している恐れがあったせいだ。


(――ディダレイ・バシュトバー。涼やかなのは、見た目に限った話らしい)


 俺はそのように確信した。

 

(ネーメスが、あれほどまで“名誉”に固執していたのは、この兄の影響だったのだろう)


 それをはっきりと見て取りつつ、俺はいかにしてこの場を切り抜けるか思案していた。

 そのときだった。

 

「――当家のいさかいに、他者を巻き込むのはどうかと存じます」


 言いながら、俺の前にネーメスが歩み出たのである。

 彼は感情を押し殺すように強く唇を噛みしめ、真っ直ぐにディダレイを見据えていた。


「……貴様、次期当主たるこの兄に盾突く気かッ!!」


 両者の間に、一触即発の雰囲気が漂い、それはほかの面々にも伝染した。

 イクシアーナは直ちに眉をひそめ、トモンドとアゼルナは不安げに顔を見合わせた。

 リアーヴェルでさえ、何かを深く考え込むように、じっとまぶたを閉じている。

 わずかばかりの間、兄弟同士の無言の睨み合いが続いたが、ほどなくディダレイは周囲の反応に気づいたらしく、取り繕うように咳払いをしてみせた。


「……これはこれは、大変お見苦しいものをお見せしてしまいました。しかし、これは我が弟と当家の“名誉”を思えばこそのこと。どうかご容赦いただきたい」


 ディダレイは小さく会釈をしたのち、にこやかな表情をイクシアーナとリアーヴェルに向けた。


「――ところで、これよりお二方にお時間をいただくことは可能でしょうか? 訳あって、是非ともお話をお伺いしたいのです」


 ディダレイが持ちかけると、「私は構いませんが」とイクシアーナは答えた。

 次いで彼女は、背後に立つリアーヴェルのほうへと向き直った。


「リアーヴェル、あなたも問題ありませんよね? ……って、聞いてますッ?」


 何とリアーヴェルは、立ったままうつらうつらとし始めていた。

 先ほどまぶたを閉じていたのも、単に眠かっただけなのだろうと俺は逆に感心した。

 大方、原稿の執筆に夢中になって、夜更かしでもしたに違いない。


「……え? 何か言ったかい、イクシアーナ。まあ、何と言うか、つまり私は……」


 言いかけて、リアーヴェルは再び目を閉じた。

 イクシアーナは呆れたように肩をすくめ、小さくため息を漏らした。

 

「すみません、大目に見てあげて下さい。“英雄殺し”を警戒するあまり、夜も上手く眠れないと、いつも口にしていましたから……」


 そう話すイクシアーナの口調は、実に聖女然としたものだった。

 凛とした儚げな響きが、その声から滲み出ている。

 だが、間違いなく嘘だ。


「……そうでしたか、それはお気の毒なことです」


 目を伏せつつ、ディダレイが呟くように言った。


「――それで、話というのは何でしょう?」


 イクシアーナが尋ねるなり、ディダレイは真剣な光を目に宿した。


「我々は目下の急務として、“英雄殺し”の最たる容疑者と目される、イーシャル捕縛の任を帯びています。従って、彼の素性に詳しいであろうお二方に、情報提供をご協力いただきたいというのが、私たっての……いえ、王国騎士団たっての願いなのです」


 俺は苦笑を漏らさずにいられなかった。“灯台下暗し”とは、まさにこのことである。


(――その“イーシャル”が、今こうして目の前にいるとは、さすがに思いも寄らぬだろう)


 それを確信していた俺は、慌てず一同の動向を見守っていたが、何を考えているのやら、イクシアーナは押し黙ったままである。

 やがて、それを見かねたのか、ジャンデルが重々しい口ぶりで話し出した。


「……私めは現在、多忙な団長の代理として、イーシャル追跡任務の指揮を担当しております」


 ジャンデルは、頬に刻まれた髭のような傷をさっと撫でた。そしてこう続けた。


「彼を自らの手で捕らえることは、個人的な悲願でもあります。かつて隆盛を誇った当家の領地は、ゼルマンドの操る“屍兵”の侵略を受け、今では見る影もありません。従って、私にとっての“暗黒魔術”が、かねてより憎悪の対象であったことは、想像に難くないと存じます。このような話を持ち出して、公私混同と映るやもしれませんが……」


 ジャンデルはどこか遠い目をしたまま、固く拳を握り締めた。


「――とにかく私が申し上げたいのは、王国の秩序のためにも、私自身の信条のためにも、その使い手であるイーシャルを、これ以上のさばらせるわけにはいかない、ということです。ですから、是非ともご協力をッ!!」


 ジャンデルが深々と頭を下げた。

 続いて、タイミングを見計らったかのように、ディダレイが口を開く。


「……我々二人は、この地上から“暗黒魔術”を廃絶すると固く誓い合った仲でしてね。かくいう私にも、“屍兵”と化した実の兄を、自らの手で討った苦々しい過去があるのです」


 ディダレイはそこでたっぷりと間を置いた。

 そして、念を押すようにこう続けた。


「ここは一つ、我々の気持ちを汲み、お力添えをお願いできませんでしょうか?」


「……分かりました。とは言え、私がイーシャルについて知っていることは、さほど多くはありませんが」


 イクシアーナの返事は、どこか気乗りしない風に聞こえた。


「――ご協力に、心より感謝申し上げます」


 ディダレイは嬉々としてそう返し、ジャンデルと共に頭を下げた。


(――面白い。新団長のお手並み、そして“山猫”の嗅覚がいかほどのものか、拝見させてもらおうではないか)


 彼らは俺の正体に気づいていない――それだけは確かに言えることだった。

 仮に“イーシャル”と“傷跡の聖者”を同一視しているならば、この場で無理にでも仮面を引き剥がし、俺の素顔を暴こうとするはずだが、現実にはそのようなことは起きていない。

 この事実が即ち、身の安全の保証と言えた。

 しかし、相手を侮れば、痛い目を見るのは必ず自分のほうである。

 従って、どこまで捜査の手が迫っているのか、自らの目で見定めておく必要があった。

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