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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第三章:英雄殺し

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19.英雄の棺

 翌日、俺は一人で朝食をとったのち、お馴染みの面々――イクシアーナ、“聖女の盾”の三人、そして風呂に入ったと見え、前日より身綺麗になったリアーヴェルだ――と合流し、中央の塔の三階に設けられた会議室へと向かった。

 それというのも、毎朝の定例会議に出席するイクシアーナに付き添うためである。

 会議には、総主教やレジアナスをはじめとした大幹部たちが集い、重要事項の情報共有に加え、前日の警備状況や敷地内での異変の有無について手短に確認がなされた。


 その後、俺はお馴染みの面々と共に、真っ直ぐ裏庭へと向かった。

 イクシアーナは例のごとく、聖女専用の礼拝堂で“神託”を得るための祈祷に入り、俺たちは扉の前で番についた。

 一方、リアーヴェルと言えば、実に呑気なものだった。

 俺たちの横で、『猿でもわかる!同時詠唱』の原稿と睨めっこを始めたのである。

 しかも、“浮遊”の術を用い、大杖を枕代わりにして、ぷかぷかと宙に寝そべりながらだ。

 加えて、いたく気になったのは、彼女の独り言の多さである。

「ふむ、素晴らしい」などと急に言い出し、悦に入った笑い声を上げたかと思えば、次の瞬間には、「駄目だ。こんなものは雑本だ」と呟き、原稿の一部を容赦なく破り捨てるのである。

 その様は、はっきり言って異常だったが、見ていて飽きなかった。

 それはトモンドとアゼルナも同じらしく、二人とも珍しい動物を眺めるかのような視線を、リアーヴェルに送り続けていた。

 そして、ネーメスはただ一人、リアーヴェルが次々に散らかす紙片を片付けるのに奔走していた。

 俺はそれを見かね、途中から彼の手助けに加わった。


 かくして、勤務二日目は事もなく過ぎた。

 イクシアーナに“神託”は下らず、『猿でもわかる!同時詠唱』の原稿の多くが紙屑と化し、新たな(ページ)が書き加えられた。

 物事がさしたる進展を見せない代わり、実に平和な一日と言えた。

 こんな風に過ぎてゆく時間も、そう悪くはないものだ、と俺は思った。



 *   *   *



 思いがけぬ事実を知らされたのは、勤務三日目の朝、定例会議でのことだった。


「――本日の午前、かねてより予定されていた通り、ファラルモ氏の納棺の儀を地下霊廟にて執り行います。棺の出迎えの際は、皆さんにも立ち会いをお願い致します」


 総主教がそう告げたのだ。

 フラタル大聖堂の地下霊廟には、その名の由来となった聖人フラタルはじめ、歴々の聖人や大英雄の遺骸が祀られている。

 ここに来た初日、俺はレジアナスからそれを聞かされて知っていた。


(――あの男が、偉大なる先達に列せられるとは)


 ファラルモの素性を深く知る俺個人としては、いささか首を捻らざるを得なかったが、実際にはそれが妥当な扱いに違いなかった。

 なぜなら彼は、“ゼルマンドを討った張本人”として国中にその名を知らしめ、押しも押されもせぬ大英雄としての地位を確立していたのである。

 ガンドレール、イクシアーナ、リアーヴェル――事実、この三人とは比較にならぬほど、ファラルモは大いなる尊敬を人々から集めていた。

 ゼルマンド戦役後は西部の広大な領地を手にし、さらには、レヴァニア王国騎士団の外部顧問として、栄えある武術指南役を任されたと聞き及んでいた。

 お尋ね者に成り下がった俺と比べれば、まさしく雲泥の差である。


(――だが、実に皮肉な話だ)


 栄華を極めた彼は既にこの世を去り、別人に身をやつした俺は、今もこうして生き続けている。

 たとえ綺羅星のごとく輝こうが、死んでしまったら元も子もない、と俺は思った。



 *   *   *



 その後、俺たちは大聖堂の正門へと移り、黒塗りの霊柩馬車からファラルモの棺が降ろされ、敷地内に運び込まれる様を見届けた。

 英雄の棺の担ぎ手となったのは、王国騎士団の錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。

 全員が、幹部の証である金の甲冑を身にまとっている。

 担ぎ手は左右に四名ずつの計八名で、俺はその大半の顔と名を知っていた。

 栄えある死者の棺は、栄えある生者が担ぐ――それは死者に対する最高の敬意であり、担ぎ手にとっても大いなる名誉とされていた。

 この国においては、古くからの伝統である。


 無論、担ぎ手たちの中には、実際に付き合いがあった者も含まれていた。

 そのうちの一人が、かつて俺にゼルマンド奇襲作戦を持ちかけた張本人、“レヴァニアの金獅子”こと、ゴグリガン・グレベル総長だった。

 言わずもがな、王国騎士団の頂点に君臨するのがほかならぬ彼であり、その生まれは、代々優れた騎士を輩出してきた名門貴族の家系だった。

 威厳に満ちた大男で、肩近くまで垂れた金色の豊かな髪が二つ名の由来である。

 年齢は五十過ぎのはずだが、今なお戦場の最前線で自ら剣を振るい、数多の敵を討ち滅ぼす豪傑として知られていた。

 俺自身、戦場でその姿を目にしたことは何度もあったが、彼が死を恐れずに勇猛果敢に戦う様も、部下に咆哮のごとき(げき)を飛ばす様も、まさしく“獅子”を彷彿とさせるものだった。


 そしてもう一人が、“山猫”ことジャンデルだった。

 彼の二つ名の“山猫”は、両頬に刻まれた髭のような創傷と、黒と小麦色の混じった斑紋のような髪色にちなんだものである。

 ジャンデルは没落貴族の家柄に生まれた三男だか四男だかで、家計を救うために傭兵となり、その名を上げた男だった。

 彼とは幾度となく戦場で一緒になり、互いに顔を合わせれば、挨拶を交わす程度の仲ではあった。

 ゼルマンド戦役時は、雇われ指揮官として傭兵たちを束ねていたはずだが、今では騎士に取り立てられ、大出世を果たしたのだろう。

 事実、今こうして棺の担ぎ手を任されていることが、その動かぬ証拠と言えた。

 ジャンデルは南部の英雄ガルローテ・デインダラ公と並ぶ、戦役の功労者の一人に数えられており、王国騎士団から相応の立場を用意されたとしても、別段不思議はなかった。


 また、正門に面した広い街道には、葬列者たる王国騎士団の騎士たちが、整然と立ち並んでいた。

 それも、ちょっとやそっとの数ではない。

 おそらくその中には、“イーシャル”の顔を目にしたことのある者も、決して少なくないはずだ。


(――しかし、俺の素顔を知る者が、かように一堂に会するとは)


 密かに苦笑を漏らさずにはいられなかった。

 棺の後方には、警護の兵と共にゆっくり敷地内へと向かってくる、国王ルマリア三世――以前、俺に死刑を宣告した張本人だ――の姿さえ見えた。

 久々に目にした王の顔は、少しばかりむくみを帯び、薄く紫がかっていた。

 おそらく、病を得ているのに違いない。

 だが、既に老齢である以上、無理からぬことと思われた。

 国王のすぐ後ろには、ファラルモの親族と見える人々が続いて歩いた。


 やがて、担ぎ手たちはファラルモの棺を地下霊廟に運び、仕切り壁に囲まれた一隅へと安置した。

 そして、国王立ち合いのもと、納棺の儀が始まり、俺たちはそれを見届けることとなった。


(――正直に言って、俺はお前のことが好きではなかった。それでも、こんなかたちで再会することは、決して望んでいなかった)


 棺の前に立った総主教が、死者に対する祝福の言葉を贈るのを聞きながら、俺はファラルモに対する自らの感情を整理しようと努めた。

 今それをしない限り、何かしらのわだかまりが、ずっと心の中に残り続けるだろうと感じられたせいだ。


(――思うところは色々ある。だが、優れた武人としてのお前の死を、俺は悼む)


 それが最終的に達した結論だった。

 ゼルマンド奇襲作戦時、敵陣の防衛網を突破できたのは、ファラルモの傑出した戦働きがあってこそと言えた。

 それは大いなる一つの功績であり、彼の人格とは切り離して考えるべきものである。


(――ゼルマンドが亡き者となったのは、お前が活路を切り開いてくれたお陰だ。ずいぶんと遅くなってしまったが、礼を述べさせてくれ)


 俺は目を閉じ、天国でのファラルモの幸福を願った。


(――だが、別に俺が願わずとも、お前ならそっちで楽しくやっていけるだろう。神様だって舌を巻くほどの処世術を、お前は身に着けていたのだから)


 ファラルモが好みそうな皮肉の利いた冗談を、俺は心の中で呟いた。


(――安らかに眠れるよう、遠からず手向けを贈ってやろう。お前を手にかけた“英雄殺し”の首をな)


 彼の墓前に、俺はそれを固く誓った。



 *   *   *



 やがて、つつがなく納棺の儀は終了し、俺たちは再び正門へと移った。

 国王をはじめとした葬列者たちを見送るためである。

 そして、それも一通り済み、前日と同様、裏庭へ向かおうと歩き出した――が、すぐに足を止めざるを得なかった。

 突然、二人の男がこちらに近づいて来たためだった。

“山猫”ジャンデルと、いかにも貴公子然とした美男の騎士である。

 その騎士は、ジャンデルと同じく、先ほど棺の担ぎ手を任されていた人物だった。

 思い返してみれば、彼には一度、ゼルマンド討伐後の祝宴の席で挨拶されたことがあった。

 名は失念したが、王国騎士団の参事(組織運営の意思決定に関与できる、上級幹部だ)に就いていた男だったと記憶している。


(……一体、何の用だ?)


 イクシアーナとリアーヴェルだけでも十分だというのに、さらに“イーシャル”の素顔を知る者に接近されるのは、実に勘弁願いたいことだった。

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