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18.過去への眼差し

「――ところで、そのエジリオさんは、その後どうなったのだろう? そして、もし許されるならば、一度会って話をしてみたい」


 そう口にしたのは、自分でも少々意外ではあったが、嘘偽りのない気持ちだった。

 何とはなしに、彼とは分かり合えるのではないかと思えたのだ。

 すると、レジアナスは嬉しそうにはにかみ、こう教えてくれた。


「その後、エジリオは聖ギビニア騎士団の副団長に任じられた。俺との旅が終わって、間もなくのことだった。彼にとってもあの旅は、きっと重要な意味があったんだと思う。そのことが、今になってよく分かるよ。何と言っても、総主教様が直々に旅の供を命じたんだからな」


 言い終えるなり、レジアナスはそっと目を閉じ、唇を噛んだ。

 しばらくの間、彼はそうしていた。


「……でも、とても残念なことに、エジリオはもうこの世にいない。イクシアーナ様と共に、ゼルマンド奇襲作戦に召集され、命を落とした」


 俺は言葉を失った。奇襲作戦には無論、俺も参加している。


(――きっと、どこかで顔を合わせていたに違いない)


 そう思うと同時に、悲しみが胸にあふれた。


「だから、今の俺の立場ってのは、エジリオから引き継いだものなんだ。彼の死後、副団長の座はしばらく空白になっていた。本当は俺なんかより、彼のほうがよっぽど相応しかったのに……」


 レジアナスはうつむきながら言った。声は微かな震えを帯びていた。


「――お前が後任になったことを、エジリオさんは心から嬉しく感じているはずだ」


 思った通りのことを伝えると、レジアナスは俺の目を見て、小さく微笑んだ。

 それから、彼は頬を掻くふりをして、急いで目尻を拭った。


「……そう言えば、あんたとエジリオには、どことなく似ているところがある。年や背格好も同じくらいだし、無口なところとか、雰囲気なんかもだ。あとは、あんたがほんのたまに見せる笑顔とかさ」


 レジアナスの言葉に、「とても光栄に思う」と俺は返事をした。

 惜しい人間ばかり早く亡くなるのは世の常だが、それでもなお、彼の死は悼まれた。

 生きていれば、たくさんの人間をより良い未来に導けたに違いない。

 それは確信を持って言えることだった。


「……エジリオさんは、ここの教会墓地に眠っているのだろうか?」


 そう尋ねると、レジアナスは首を横に振った。


「彼の墓は、家族の意向で故郷のトガリアにあるんだ。最近は足を運べてないが、“英雄殺し”の件が一段落したら、訪ねようと思ってる」


 そう言って、レジアナスは窓の外の暗闇に目を向けた。

 トガリアと言えば、ほんの短い間だが、俺が領主として治めた地でもある。

 エジリオとは、何らかの不思議な縁でつながっているように思えてならなかった。


「……そのときは、俺も一緒に行かせてくれ」


 そう申し出ると、レジアナスは力強くうなずいた。


「もちろん。彼もきっと喜ぶと思う」


 真っ白な歯を剥き出しにして、レジアナスが微笑みかけてきた。

 それから、彼はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「……ずいぶん長居しちまったし、そろそろお暇するか。お互い朝は早いしな」


 大きな伸びを一つしたのち、レジアナスはドアに向かって歩き出した――が、途中ではたと足を止め、こちらに振り返った。

 彼は思い立ったような顔つきで、次のように要求してきた。


「最後に、あんたも一つ、何か自分について話してくれよ。できれば、とっておきの秘密とか、面白おかしい話がいい」


 俺は思わず苦笑を漏らした。

 自分の最大の秘密を明かすことはできない代わりに、こう教えてやった。


「俺は下戸だ。より正確に言えば、飲む気がまるで起きんのだ」


 それは俺にとって二番目の秘密だった。公言したのは初めてである。


「そいつぁいいや。あんたの秘密を握るのは、悪くない気分だ」


 そう言って、レジアナスは悪戯っぽく笑い声を立てた。


「それじゃ、次来たときは、あんたの昔話でもじっくり聞かせてくれ。楽しみにしてるぜ」


 レジアナスはそう言い残し、部屋のドアをそっと押し開けた。

 彼の小さくも頼もしい背中に向かって、「ありがとう」と俺は言った。



 *   *   *



 その後、俺は早々に湯浴みを済ませて部屋に戻り、ベッドに横になった。


(――レジアナスは正面から過去と向き合い、それを乗り越えた人間なのだ。しっかりと代価を支払い、強い心を手にした)


 俺は改めてそれを感じていた。

 彼が自らの過去を語る際の口ぶりは、とても力強く、落ち着いたものであり、生き生きとした感情が込められていた。

 そこには、全てが然るべきところに収まっているような安心感があった。


(――だが、この俺自身はどうだろう?)


 そう自問してみたが、答えは既に分かりきっていた。

 薄暗い生い立ち、血塗られた戦いの日々、磔の身となった事実――俺にとって、過去は常に恥ずべきもの、消し去りたいものであり続けてきた。

 それが当たり前だと考えてきたから、あえて口外したこともなければ、そこに何らかの意義を見出そうと試みたこともない。


(――レジアナスの過去と現在は、しっかりとつながりを持っている。そして、それは未来に向けて真っ直ぐに続いている。だが、俺はそうではない)


 過去と現在、そして未来がぶつ切りになった人間――それが俺の正体だった。

 進んで口を開こうとしないのも、過去を語りたくないという心の殻の表れなのだと、内心ではずっと前から気づいていた。

 過去は人間の土台そのものだが、俺はそれを軽視し続けてきたと言っていい。

 言うなれば、俺は底の抜けた桶のような人間なのだろう。

 いくら水を溜めようとしても、それが叶わないのだ。


(――戦場で手柄を立て、名声を得てもなお、俺は虚しく感じてきた)


 正直に打ち明ければ、本当の意味で自分を誇りに思えたことは、生まれてこの方、ただの一度もなかった。

 かつては人々から“英雄”と呼ばれこそしたが、それが見せかけだけの称号に過ぎないのだと、俺自身が誰よりも承知していた。

 過去に磔にされて死を覚悟した際、ようやく自らを誇りに思えた気がしたが、あれは苦し紛れの思い込みだったのだと、改めて気づかされた。

 結局のところ、人は誰しも、己に嘘をつき通すことは不可能なのである。


(――俺は、自らの過去に、何らかの意義を見出したい。そして、しっかりとした土台を己の内に築き、確かな未来を歩んでゆける人間になりたい)


 自分がそれを願って止まないでいることに、俺は初めて思い立った。


(――レジアナスを友に得たのも、ここにやって来たのも、全ては必然だったのだ)


 そうした不可思議な感覚が、胸の中で確かに息づいていた。

 同時に、以前レジアナスから投げかけられた言葉が、耳の奥でこだました。


『あんたは、“イーシャル”を殺せる自信はあるか?』


 ――俺自身の“過去”を想起させる“英雄殺し”との対峙。

 それは、この俺が、俺自身を乗り越えるために、必要不可欠な試練であるように思えてならなかった。

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