17.レジアナスの過去(後編)
「――大聖堂で暮らし始めてから、二か月ほど経ったある日のことだったと思う」
レジアナスがおもむろに口を開き、俺は少しばかり身を乗り出した。
「俺は総主教様に呼び出され、こう告げられた。『今から、歩いて旅に出なさい。そして、金品を盗んだ全ての人々の元を訪ねて謝罪し、その分のお金を返して回るのです。ただ、道中は君だけでは危ないでしょうから、供を一人つけましょう』とな。
突然のことだったから、いまいち呑み込めない部分もあったが、俺は二つ返事で承諾していた。罪を償うことは、ほかでもない、自分自身の望みでもあった。そして何より、総主教様を信じ抜こうと既に腹は決まっていた。もちろん多少の不安はあったけど、旅に出ること自体に一切迷いはなかった。
……とまあ、そこまでは良かったんだが、すぐに俺はハッとした。盗みで得た金は、大聖堂へ来る前に全て使い果たしていた。手元には、もはや銅貨一枚たりとも残っちゃいない。馬鹿みたいな話だが、返せる金なんかないってことを、すっかり忘れていたんだ。というのも、当時の俺は、総主教様の前に出るだけで、すぐに頭が真っ白になるのが常だった。緊張でまともに考えが働かなくなるのは、いつものことだったんだ。
そんなわけで、俺は自分に呆れながらも、慌てて総主教様に告白した。『そうしたいのですが、今は一切お金を持っていません』とな。すると、『そのことなら心配は要りません』と返事があった。それがあまりにさらりとした口調だったから、俺もつい『わかりました』と答えちまった。そのときは、金がどうにかなるのなら、是が非でも旅に出ようってことしか頭になかった。誰が金を用意するかなんてことは、これっぽっちも考えに浮かばなかった。
それから、俺は一枚の紙を手渡された。そこには、訪ねて回るべき人々の住所が書き連ねてあった。道端でのスリもやっていたわけだから、よく調べ上げたもんだとびっくりしたよ。正確なところは分からないが、おそらく総主教様は、王国騎士団から被害届か何かを手に入れていたんだろう。で、以前俺の自白した内容と照合して、被害者を割り出したってわけだ。俺が案ずるまでもなく、旅に必要な条件は、全て揃えられていたんだ」
レジアナスは真剣な光を瞳に浮かべ、唇を噛みしめていた。
当時の決意の表れが、今の彼の表情に宿っているように思われた。
「俺は一人の聖騎士を供につけられ、その日のうちに贖罪の旅に発った。供になってくれたのは、エジリオという無口だが笑顔を絶やさない男で、何を隠そう、俺をとっ捕まえた張本人だった。
彼は総主教様から、人々へ返却するためにと、たっぷりと金貨を預かっていた。それを目にしたとき、俺はようやく思い当たった。普通に考えりゃ、教会の資金で俺の罪を穴埋めするなんてことはあり得ない。だとすれば、総主教様が自分の財布から出した金に違いないと結論づけるほかなかった。俺はいくらかなりとも世慣れしたガキだったから、それくらいの察しはついた。俺は心の中で、毎日総主教様に感謝の言葉を送り続けたよ。そうしないわけにはいかなかった。何で俺のためにここまでしてくれるんだろうって、ただただ頭の下がる思いだった。
エジリオに対しても、同じように申し訳なさを感じていた。彼は腕利きの聖騎士で、団内でも一目置かれる立場にあった。本来ならば、ガキのお守りなんてしていい人間じゃない。道中、俺の頭の中は、自分のせいで彼の時間を無駄にしちまってるって罪悪感でいっぱいだった。正直、胸が張り裂けそうだったよ。でも、エジリオは文句一つ言わなかった。いつも穏やかな笑顔を浮かべて寄り添い、進んで力になってくれた。本当に良い奴だった。合間合間に、剣の稽古も熱心につけてくれた」
レジアナスはそこで言葉を置き、目を細めて天井を見やった。それからこう続けた。
「旅は半年近く続いた。その大変さと言ったら、並大抵のもんじゃなかった。でも、俺はめげなかった。何と言っても、二人が与えてくれた更生のチャンスだ。フイにするわけにはいかない。覚悟を決めた俺は、ただひたすらに、誠心誠意人々に謝り続けた。訪問先で逆上され、王国騎士団に通報されたとしても、やむなしと腹をくくりながら。
でも、現実にはそうならなかった。それは間違いなく、エジリオが持っていた手紙のお陰だった。彼は毎度毎度、その手紙を訪問先で読ませていた。内容こそわからないが、総主教様が書いてくれたんだろうってことは、何とはなしに察することができた。人々はそれを読み終えると、何かを深く考え込むような表情を浮かべた。彼らの怒りを静め、謝罪の言葉を聞き入れてくれる状態を作り出せるだけの力が、その手紙には備わっていた。
半年かけて、俺はどうにか贖罪の旅を終えることができた。訪問先の人々は皆、最終的に俺を許してくれたんだ。中には、金の返却は不要だと申し出る者さえいた。『このお金は、君自身の未来のために使いなさい』なんて言ってくれてさ。あの旅は、絶対に自分一人の力じゃ成し遂げられないものだった。遠く離れていても、総主教様がいつも見守ってくれているように感じていたし、何と言っても、エジリオが身を惜しまずに骨を折ってくれたのが大きかった。彼がいなかったら、間違いなく途中で挫けていたと思う」
一瞬、レジアナスは小さく口元を緩めたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。
「俺は旅を終えて大聖堂に戻ったその日に、総主教様から直々に聖騎士に叙任したいと告げられた。当時の俺は、まだ十二歳だったから、普通に考えたらあり得ない話だ。でも、断ろうだなんて考えは一切浮かばなかった。そのとき頭をよぎったのは、以前、総主教様がかけてくれた言葉だった。『夜の暗さを知る人間のほうが、より明るく地上を照らし出せる』ってやつさ。俺は自分が期待されているんだと感じた。生まれて初めて、心からそう思えたんだ。
そして、間もなく叙任の儀が始まった。俺は緊張のあまり、がくがく膝を震えさせながら、総主教様の足元にひざまずいた。すると、総主教様は手にした剣のみねで、俺の肩を軽く三度打った。その瞬間、俺ははたと気がついた。半年間の旅を通じて救われた最大の人間は、この俺自身だったんだと。この旅は、ほかでもない自分のために、みんなが用意してくれたものだったんだと。その当たり前のことを、理屈とかじゃなくて、全身でしっかり受け止めることができた。
頭のてっぺんを、凄まじい稲妻で打たれたような感覚だった。同時に、俺は自分が生まれ変わったことをはっきりと悟った。ただただそれが分かったんだ」
レジアナスは目を細め、しばらくの間、静かに唇を噛みしめていた。
「――総主教様、そしてエジリオに受けた恩は、一生かかっても返しきれないものだ」
長い沈黙ののち、レジアナスは再び口を開いた。
「この想いは、この先もきっと変わらないだろう。だからこそ、俺は自分の命を聖ギビニア教会に捧げると決めた。正直に言うと、未だに神とか信仰心とか、そういうのは今一つぴんときていないんだが、それでも、とにかくそう決めたんだ」
バルボロ一家への潜入捜査でレジアナスが見せた、徹底した自己犠牲、そして不屈の魂の理由を、俺は初めて正しく理解できた気がした。
(――レジアナスは試練を乗り越え、英雄となる資格を手にした男なのだ。そして、実際にポリージアの町と多くの民を救い、本物の英雄となった)
彼の言葉の受け売りだが、“ただただそれが分かった”のだ。
「――話を聞かせてくれたことに、心から感謝する」
俺は精一杯の気持ちを込めてそう言った。
それが上手く伝わってくれることを、心から願いながら。




