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16.レジアナスの過去(前編)

「……うん、良い機会かもしれない」


 やがて、レジアナスはぽつりと呟いた。


「実を言うと、俺もあんたには、自分の過去を知っておいてもらいたいという気持ちがあった。上手く言い表せないんだが、お互いにとって必要なことなんじゃないかって気がしていたんだ。ただ、少しばかり長い話になるかもしれない。それは構わないか?」


 願ってもいない話である。俺はしっかりとうなずいてみせた。

 すると、レジアナスは小さく微笑み、ゆっくりと深呼吸をした。

 そして話し始めた。


「俺の父親は下っ端の貴族で、母親はその下で働く住み込みの使用人だった。要するに、俺は妾の子だったんだ。でも、母親の顔は覚えちゃいない。俺が赤ん坊のころに、流行り病で死んじまったんだ。そんなわけで、物心ついたときは既に、父親と継母、そして腹違いの兄三人と暮らすようになっていた」


 俺はレジアナスの顔を真っ直ぐに見て、真剣に耳を傾けていた。

 彼は重要なことを語ろうとしている――確かな実感を伴って、それがひしひしと伝わってきた。


「ところが、この兄たちってのが、揃いも揃ってろくでなしだった。俺はしょっちゅういじめられていたよ。殴られたり蹴られたりは当たり前で、川に突き落とされて、危うく溺れ死にそうになったこともある。おまけに、継母は俺のことをあからさまに嫌っていて、ほとんど口を利いた覚えもない。まあ、夫が浮気でつくったガキだし、当然血もつながっていないわけだから、無理もない話かもしれないが」


 レジアナスはそこで言葉を置き、小さく口元を緩めた。

 

「でも、何もかもがひどかったわけじゃない。感謝していた面もいくつかあった。たとえば、俺は早くから十分な教育を受けることができた。兄たちの元に、毎日のように家庭教師が通い、剣術や馬術、軍学、算術なんかを教えていたんだが、俺もそれに混じって学ぶことを許された。というか、父親がそうしなさいと勧めてくれたんだ。父親は浮気性の上に浪費癖のある男で、ダメ貴族の見本みたいなところもあったが、それでも、俺のことを可愛がり、目をかけてくれていた。


 そんなわけで、俺はしゃかりきに学び、何でも吸収した。それ自体が楽しかったというのもあるが、本心ではやっぱり、家族に褒められ、一員として認められたかったんだと思う。チャンスをくれた父親のことも、喜ばせてやりたかったしな。そして、俺はあっという間に兄たち全員を追い抜いた。武術でも学問でもだ。というかあいつらは、まるでやる気がなかったから、当然の結果だった。


 ところが、俺が思った通りに事は運ばなかった。兄たちは俺を妬むようになり、いじめはますますひどくなった。継母はそのことを知っていたが、もちろん助けちゃくれなかった。父親に救いを求めようと考えたことは何度もあったが、小さなプライドに邪魔されて、結局は言い出せなかった」


 レジアナスはそこまで話すと、済まなさそうに頭を掻きながら、「退屈していないか?」と訊いてきた。


「上手く言えないが、とても大事なことを話してくれているように感じる。ぜひそのまま続けて欲しい」


 正直な気持ちを伝えると、彼はうなずき、再び話し出した。


「あれは確か、十歳の誕生日を迎えて、間もないころだったと思う。遂にあの日(・・・)がやってきた。兄たちに呼び出されて裏山へ向かうと、三人揃って真剣で襲いかかってきたんだ。今考えてみれば、本気じゃなかったし、ちょっとした脅しのつもりだったんだろう。でも、体のあちこちを剣先で傷つけられ、血が流れ出すのを見たとき、俺は気が気じゃなくなっちまった。そこまでされたのは初めてだったし、こっちがやらなきゃやられるって思ったんだ。


 で、気づいたら、奪い取った真剣で、兄たちを半殺しにしていた。全員が全身血まみれさ。我に返った俺は、とにかく恐ろしくなって、その場から逃げ出した。遮二無二(しゃにむに)走った。


 逃げている間、もう二度と家には帰れない、と思って俺は泣いた。兄たちに息はあったし、さすがに死ぬことはないだろうと分かっていたが、重傷には違いなかった。ここまでやらかした以上、あいつらも継母も、絶対に許すわけがない。それは分かりきっていた。


 正直に言って、あれほど絶望したことはなかったよ。この先は、きっとロクでもない人生しか送れないんだろうと覚悟した。でも、何よりも父親とはもう会えないってことが、身に沁みて辛かった。父親だけは、俺の武術や学問の成長を、手放しで喜んでくれた。そんなときに見せてくれた笑顔を思い出すと、今でも胸が痛むよ」


 レジアナスは唇を噛みしめ、天井を見やった。

 きっと父親のことを思い出しているのだろう。


「そんなわけで、宿なしの根無し草になった俺は、生き抜くために、民家に入って盗みを働くことを覚えた。武術や学問はしっかり身についていたが、社会でやっていく術なんて、何一つ知らなかったからな。食い物はもちろんのこと、金目のものなら片っ端から盗んで闇市に流した。ガキのくせに、一端の盗賊稼業を始めたってわけさ。足がつかないよう、俺は町から町を渡り歩いて盗みを繰り返し、やがて王都まで流れ着いた。


 王都は人が多かったから、スリを働くには最高の場所だった。当時の俺みたいに、ちんまりとしたガキを警戒する奴なんて、ほとんどいやしなかったしな。まさに盗り放題だった。終いには、通りにあふれる人々が、金に足が生えて歩いているように見えたもんさ」


 レジアナスの話を聞きながら、俺は娼館で過ごした薄暗い日々について思い返していた。

 当時から、王都の貧民街には、スリで生計を立てる身寄りのない子どもたちが少なからず暮らしていた。

 俺はそんな悪ガキたちと意気投合し、束の間の関係を築いた。

 そのお陰で、いくばくか心の隙間を埋めることができたのは事実である。


(――今、彼らは何をしているのだろう? 無事に生き延び、元気にやっていれば良いが)


 俺は密かにそれを願った。


「――だがある日、俺は遂にヘマをやらかした」


 言いながら、レジアナスは小さく口元を歪めた。


「スリを勘づかれ、逃げている最中に、たまたま近くにいた聖ギビニア騎士団の聖騎士に捕まっちまったんだ。俺は直ちに大聖堂に連行され、総主教様に引き合わされた。『勇気を出して、全ての罪を白状なさい』と総主教様は言った。何でそんなことをしでかしたのか、その経緯も含めて話せとな。


 意外だったのは、総主教様の口調がひどく穏やかだったことだ。そこに俺を咎めるような響きは、一切感じられなかった。それでホッとしちまった俺は、泣きながら一件一件の罪を正直に打ち明けた。でも、それと同時に、もう終わりだと覚悟した。罪状は傷害と窃盗、豚箱行きは当然だ。


 ところが、総主教様は『今後はここに住み込みで働きなさい』と言ったんだ。俺は実にたまげたよ。それで、『どうして王国騎士団に突き出さないんですか?』と訊いた。そしたら総主教様はこう答えた。『夜の暗さを知る人間のほうが、より明るく地上を照らし出せる。君がその手本になりなさい』とな。その言葉は、俺の胸にスッと馴染んだ。自分でも不思議だったが、ふと気づいたら、またわんわん泣いてた。そのとき、俺はこの人の言葉を信じて生きてみようと心に決めた。確かな直観みたいなものが働いたんだ」


 レジアナスの話にますます引き込まれていた俺は、黙ってその続きを待った。


「俺は心を入れ替え、毎日懸命に働き出した。主に聖堂内の掃除が仕事だったが、手が空けば、何でも進んでやった。食事の準備に配膳の手伝い、洗濯、武具類の手入れ、ガキでもやれることなら、とにかく何でもだ。毎日くたくたに疲れ果て、泥のように眠り込んだ。でも、少しも辛くなかったし、今までにない充実感があった。少しずつ、自分がマシな人間になりつつあるという確かな手応えがあった。


 ただ、その一方で、罪の意識に苛まれるようにもなっていた。『果たして、自分はこのまま許されていいのだろうか』ってね。そのせいだろう、夜中に急に目が覚めて、全身にいやな汗をかいているのに気づくなんてことが、たびたび起きるようになった」


 レジアナスは少しだけ顔をしかめ、大きく息をついた。

 かつて自身を苛ませた夜について、ありありと思い返しているのかもしれない、と俺は想像した。

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