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15.聖女の秘密

「――とりあえず、あんたには、一言礼を言っておきたくてさ」


 短い沈黙ののち、レジアナスが躊躇いがちに口を開いた。


「……礼だと? 何の礼だ?」


 驚いてそう訊くと、彼は呆れたような表情を浮かべた。


「もう忘れたのか? 昼間の決闘の件だよ。あんたは、俺の名誉を守ろうとしてくれた」


「あれに関しては、ほかでもない、俺自身が望んでやったことだ。よって、礼は不要だ」


 俺は安堵しながら答えた。

 一体何を言われるのやらと案じていたが、取り越し苦労だったようである。


「……何と言うか、実にあんたらしい答えだ」


 レジアナスはそう言って小さく笑った。そしてこう続けた。


「だとしても、とにかく礼だけは言わせて欲しい。あんたは、俺とネーメス両方のためを想って無茶をしでかした。あんな真似は二度として欲しくないが、それでも、俺は嬉しかった。あんたの真っ直ぐな気持ちがね。ネーメスはどうせ感謝の言葉なんて口にしないだろうから、あいつの分も礼を言っておくよ」


「……そうか。では、どういたしまして、と言っておこう」


「しかし、初めて会ったころに比べると、あんたもずいぶんと素直になってきた気がする。良い傾向だと思う」


 レジアナスは悪戯っぽく言うなり、真っ直ぐに俺の目を見てはにかんだ。


「――それはそうと、何か困っていること、聞きたいことはないか? いくらあんたでも、まだ勤務初日だし、勝手が分からんこともあるだろう。お返しってほど大それたもんじゃないが、できる限り力になりたいと思ってる。俺も騎士団に務めてそこそこ経つし、事情には色々通じてるしさ」


 それを聞いた瞬間、不意に俺の頭に浮かんだのは、今日の別れ際にイクシアーナが垣間見せた、あの物言いたげな仕草だった。

 同時に、総主教にかけられた言葉が、一種の強制めいた響きをもって脳裏に蘇る。


『あなたは“正しい目”を持っておられる。その目をもって、どうかイクシアーナを導いてやって下さい』


 総主教の言葉は、今では深く骨身に沁み込んでいるような感覚があった。

 ふとしたことがきっかけとなり、毎度のように、それも鮮明に思い返される。

 有難くもあり、困ったものでもある、というのが正直な感想だった。


(――“正しい目”か)


 思い過ごしかもしれないが、あのときのイクシアーナの仕草から、一種の不吉な予感を嗅ぎ取ったのは確かである。

 しばしの間逡巡したが、俺は迷いを捨てて尋ねることにした。


「では、質問させてもらいたい。聖女様は、近ごろ何か悩みを抱えているのか?」


「……どうしてそれを気にかける? まさか、惚れたのか?」


 俺はこれ見よがしにため息をついてやった。


「――理由はどう捉えてもらっても構わん。それで、どうなんだ?」


 自ら発した、いくぶん固く強張ったその声は、意外なほどの真剣さを帯びていた。

 レジアナスにもそれが伝わったらしく、彼も直ちに改まった顔つきになった。


「……そうだな、思い当たるふしはいくつかある。一つは、間違いなく“神託”の件だろう」


 レジアナスはそう言って、ひとしきり考え込むような間を置いたのち、こう続けた。


「イクシアーナ様は、聖女に指名されて既に数年経つが、まだ一度も“神託”を授かったことがないんだ。“神託”が下れば、その内容は必ず公にされ、教会は何よりもそれを重んじて動くことになる。たとえば、先代の聖女は、“神託”によってゼルマンドの侵略戦争が始まることを知った。そして、それは各地の教会を通じて国中に広まり、領主たちは急いで領地の守りを固めた。仮のこの“神託”がなかったら、戦争の被害はより大きなものになっていたと思う」


 俺はレジアナスの話を聞きながら、“神託”がもたらす社会的影響力に、改めて驚かされていた。

 俺がかつて属した義勇軍は、まさに筋金入りの無神論者の巣窟であり、“神託”は便所の落書き程度にしか考えられていなかったからだ。


「いつの世も、“神託”は大きな役目を果たしてきたし、聖女は常に人々の期待を背負う存在であり続けた。中でも、イクシアーナ様が聖女に指名されたとき、世の人々は――特に教会内部の人間は――ことさら強い期待を抱いた。なぜだか知っているか?」


 レジアナスの問いかけに、俺は首を振った。

 聖ギビニア教会の内情に関しては、無知とまではいかないが、ごく限られた知識しか有していない。

 従って、俺は黙ってレジアナスが答えを明かすのを待った。


「聖女に指名される前のイクシアーナ様は、紛れもない聖ギビニア教会の聖騎士であり、しかも“聖女の盾”の筆頭だった」


 やがて、レジアナスはそう言った。


「つまり、イクシアーナ様は、自分がお守りする先代の聖女から、その役目を引き継いだってわけだ。そして、教会内部の人間が聖女に指名された例は、過去に一度としてなかった。そればかりか、当時のイクシアーナ様は、ゼルマンド戦役における獅子奮迅の活躍ぶりから、次期団長への昇格が決まっていた。要は、何もかもが前代未聞尽くしだったんだ。世間が諸手を挙げて歓迎し、過度の期待を抱いたのも、必然の流れだった」


 聖女はおよそ十年周期で代替わりし、後継者の指名は“神託”を通じて行われる――これは、俺でさえ知っている事実だった。

 そして、聖女に指名されてきたのは、どういうわけか、貧しい農村の一介の娘が大半だったと聞く。

 よって、イクシアーナはそれを覆した、まさしく稀有な例なのだろう。

 レジアナスの話は全て初耳だったが、イクシアーナが背負ったであろう重圧の大きさは、想像に難くなかった。


「……聖女様は周囲から大きく期待されながらも、今日に至るまで、一度も“神託”を授かっていないことを気に病んでいる。つまりはそういうことか?」


 尋ねると、レジアナスはおもむろにうなずいた。


「歴史を紐解けば、有事の際は必ず何らかの“神託”が下されてきた。これは多くの人間が知るところだ。そして、ゼルマンド戦役が始まって以降、ずっと国難が続いている。それなのに、一向に“神託”を得られないとなれば、いくらイクシアーナ様とは言え、精神的に参りもするんじゃないかな。まあ、これはあくまでも個人的な推測だけど。でも、俺と同じ意見を持つ人は、結構いるんじゃないかと思う」


 イクシアーナは型破りな面こそあるが、根本は絵に描いたような優等生的性格だと俺は見ていた。

 周囲の期待に添えず、自責の念でもがき苦しんでいる――こうした状況に追い込まれていたとしても、何らおかしくはない。

 レジアナスの推測は、さもありなんと思えるものだった。


「……あと、もう一つだけ心当たりがある。あまりに多くの男たちが、イクシアーナ様に懸想しているという点だ」


 レジアナスの話を聞いて、無理もないことだと俺は思った。

 清く、気高く、美しいイクシアーナは、全ての男たちの理想を体現したような女性と言っていい。

 そして何より、彼女の佇まいには、特別な種類の憧憬を喚起するようなところがあった。

 たとえば、二度と戻らない幼少期の日々、叶わなかった淡い恋、別れた恋人との物悲しくも美しい想い出――多くの人々が再び手にしたいと願うような何かが、彼女の中にはひっそりと息づいていた。

 

「基本的には有難いことなんだが、イクシアーナ様に代替わりしてから、教会に対する寄付や土地の寄進は、右肩上がりに増え続けている」


 レジアナスは、少しだけ顔を歪めながらそう言った。


「無論、出所は有力貴族やその子息たちだ。彼らはおそらく、イクシアーナ様が聖女の務めを終えたら、還俗させて結婚したいと考えているんだろう。事実、彼らは事あるごとに、イクシアーナ様に会食を申し込んでいる有様だ。俺には想像もつかないが、そういうのって、ずいぶん気が滅入るんだろうなと思う」


 俺はうなずいてみせた。実に納得のゆく話である。

 男たちが勝手に支援しているのが実情だろうが、イクシアーナの性格から察するに、自分が彼らを手玉に取っていると錯覚しているのかもしれなかった。

 そしてまた、想い合うウイユベリ辺境伯に対し、何かしらの後ろめたさを感じている、という線も十分にありそうだった。


「――イクシアーナ様の悩みについて思い当たると言えば、まあ、これくらいだな」


 感謝する、と俺は言った。

 神のお告げと男女問題――どちらの悩みに対しても、俺は全くの門外漢であり、力になってやれるとは微塵も思えなかった。

 皮肉な結果だが、用心棒の役目に専念すべきだという思いがより強まっただけである。

 お陰で、かえって胸のつかえがとれたような心持ちだったが、何もかもがすっきりしたわけではなかった。


(――彼女はあのとき、俺に何を話そうとしたのだろう?)


 その点だけは、唯一謎のままだった。

 とは言え、俺が一人で考えたところで、その謎を明らかにできるはずもない。

 必要があれば、彼女のほうから再び接触してくるだろうと結論を下し、ひとまず考えの外に追いやった。


「……ほかには、何かあるか? あんたの手助けになれるようなこと」


 レジアナスが、じっと俺の顔を覗きつつ、そう問いかけてきた。


「では、あと一つだけ、頼まれてくれるか? もし良ければ、レジアナス自身について、何か話して聞かせて欲しい」


 そう持ちかけたのは、例のごとく、総主教の言葉が脳裏に焼き付いていたからだった。

 若くしてレジアナスを副団長に抜擢したのは、“外の世界”を良く知る人間の力が必要だからだと総主教は話していた。

 レジアナスの知る“外の世界”が一体どのようなものか、俺は興味があった。

 そしてまた、俺も“外の世界”を知る人間だと総主教は言った。

“外の世界”を知っていること――それはレジアナスとの共通項であり、今まさに、俺自身の運命を変えようとしている何らかの要素だという気がしていた。 

 だからこそ、俺はそれについて手がかりが欲しかった。

 そして何よりも、友であるレジアナスの人となりについて、より深く知っておきたいという想いがあった。


「あんた、熱でもあるのか?」


 レジアナスは目を見開いてそう訊くなり、小さく声を立てて笑った。


「……まあ、別に構わないけどさ、急に自分自身について話せと言われてもなあ。もう少し、具体的に訊いてくれたほうが助かる」


「そうだな、たとえば聖騎士になるまでは、どんな暮らしをしていたのだろう? 無論、何か差支えがあるならば、無理して答える必要はない」


 そう尋ねると、レジアナスは微かに口元を緩めた。


「何だ、そんなことか。別に構わないぜ。ウチの団員にも、既にほとんど知られているしな」


 彼はそう言うと、少しばかり真剣な面持ちになり、どこか遠い目で天井を見上げた。

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