14.続・冷血の素顔
一同の大聖堂への転移が済んだのち、リアーヴェルは少しばかり眉根をひそめた。
「……む、工房の者たちに、しばらく留守にする、と伝えるのを忘れた。つい勢いで来てしまったが、まあ大きな問題はなかろう。あとで使い魔でも送って知らせてやる」
彼女は言い終えるなり、大きなあくびを一つして、急に真剣な顔つきになった。
そして、敷地内の守備体制について、イクシアーナに詳しく尋ね始めた。
兵力と人員配置、装備や扱える魔術のレベル、指揮系統、退路――質問項目は実に多岐に渡り、そのやり取りは半時間ばかり続いた。
「……基本的なところは押さえているようだが、それだけでは不十分だ。相手が“英雄殺し”である以上、とことん厳重な警戒態勢を敷くべきだろう」
リアーヴェルはそのように所感を述べると、以下の通り、イクシアーナに三つの提案を行った。
一つ、“移転の門”封じの結界を全敷地内に常時張ること。
二つ、暗黒魔術を無効化する結界を全敷地内に常時張ること。
三つ、使い魔を放ち、大聖堂の上空やその近辺を監視すること。
要は“英雄殺し”の突然の出現を防ぎ、暗黒魔術の使用を禁ずることで、より確実な状況で相手を迎え撃つ、という腹積もりである。
実に理想的ではあるが、現実的な見地から見れば、ほぼ不可能と言わざるを得なかった。
使い魔の使役はまだしも、特定の魔術を封じるような結界術は、余程の術者でなければ使いこなせない。
一部区域ならまだしも、それを敷地全域に常時張るなど、到底考えられぬことだった。
「リアーヴェルの提案はもっともです。事実、会議で守備体制について論じ合った際も、全く同じ案が出ました」
イクシアーナはそう言うなり、小さくため息を漏らした。
「しかし、これらを実現するには、教会の術者では明らかに力不足です。よって、断念せざるを得ませんでした」
それに対するリアーヴェルの返答は、次のようなものだった。
「――この私を誰だと思っている? それくらい、すぐに実現してみせようではないか」
* * *
実に驚くべきことに、その日の午後のうちに、リアーヴェルの提案は、そっくりそのまま現実のものとなった。
まず、彼女は指笛を吹き、上空を飛び回る野生の烏や鳩を、悉く足元に呼び寄せ始めた。
次第にその数は膨れ上がり、ほどなく、百羽は下らないだろうという大群となった。
そして、彼女は鳥たちに片っ端から“使役”の術をかけて自らの使い魔に変え、再び空に放った。
使い主は、使い魔の五感全てと通じ合い、さらにはその目や耳を借りることができる。
つまり、リアーヴェルは百以上の目と耳を同時に持つ、超人的な監視者と化したのだった。
これほどまでの芸当を、いとも簡単にやってのけるのは、おそらくこの世界において、彼女ただ一人だけだろうと思われた。
次いで、教会内で魔術の腕に優れる者が、一人残らず裏庭に集められた。
リアーヴェルは彼らに対し、特定の魔術を封じる結界術について懇切丁寧な講義を行い、それから実技指導を開始した。
初めて目にする彼女の指導力は、まさに驚嘆の一言に尽きた。
直ちに術者たちの悪い癖を見抜き、簡潔で的を射た指摘を行い、さらには彼女の望むレベルに達するまで術を反復させ、上達を促したのである。
加えて、術者たちに乞われれば、文句一つ言わず、何度となく結界術を実演してみせた。
結果、日が暮れるまでの間に、大半の者が“移転の門”と“暗黒魔術”を封じる結界術を習得するに至った。
これで、敷地全域に特殊結界を常時張れるだけの人員が確保されたのである。
全ては、リアーヴェルの厳しくも献身的な指導の賜物にほかならなかった。
あのような体たらくで、よく魔導具工房の経営者が務まるものだ――リアーヴェルに対して抱いていたそのような認識は、直ちに改めざるを得なかった。
(――断じて、一工房の主に収まるような器の人間ではない)
その小さな身体とは不釣り合いな、実によく通る声で術者たちを叱咤激励する様は、まさにカリスマと呼ぶに相応しかった。
彼女の根底には、とことん突き抜けた魔術に対する愛情と真摯な姿勢があった。
傍から見ていて、俺はひしひしとそれを感じさせられた。
リアーヴェルに教わる者たちは皆、惜しみなく畏敬の眼差しを彼女に注いでいたが、それも無理からぬことだった。
本来ならば、リアーヴェルのような人間こそ、宮廷魔術師団の長として君臨し、国中の魔術師たちを教え導くべきに違いなかった。
にも関わらず、彼女はそのような立場――魔術師ならば誰もが願ってやまない立場だ――には、露ほども興味を示さない。
事実、リアーヴェルは過去に国王から、宮廷魔術師団長の座に就かないかと乞われていた。
ゼルマンド討伐後の祝宴の席で、そのようなやり取りがされているのを、俺は横で聞いていたことがあった。
国王の申し出に対する彼女の返答は、次のようなものだった。
「――私にとっては、自由こそが全て。身に余る光栄ですが、謹んで辞退いたします」
しかも即答である。
リアーヴェルに限った話ではないが、人の上に立つべき人間は、往々にしてその役を拒む。
そして、そうあるべきでない人間がその役を買って出るという、実に滑稽ながらも物悲しい場面に、俺は過去何度となく出くわしてきた。
人の世の巡り合わせとは、何と複雑怪奇なのだろう――リアーヴェルの新たな一面を垣間見たことによって、俺は改めてそれを痛感させられた。
* * *
かくして、初日の任務は多少の波風こそあれ、どうにか無事にやり過ごした。
気づけば、既に日はとっぷりと暮れ、頭上には片割月が顔を覗かせていた。
「……ケンゴーさん、大変お疲れさまでした。もしよろしければ、今日の感想など聞かせていただきたいので、夜に二人でお話ししませんか?」
突然、イクシアーナがそう持ちかけてきたので、俺は驚かされた。
“聖女の盾”の面々と共に、彼女とリアーヴェルを宿舎に送り届ける道すがらのことだった。
しかし、俺は黙って首を横に振ってみせた。
彼女はうつむき、少しだけ寂しげな表情を浮かべたが、やむを得ぬことだった。
二人きりで会って言葉を交わすことは、当然ながら避けるべきである。
加えて、話すべきことがまるで見当たらないというのも事実だった。
元より、俺は会話が不得手な人間である。
“聖者”を演じ続けてきたために、嘘だけは上手くなったが、必要に迫られなければ、言葉などロクに出て来やしない。
唯一自信があると言えば、義勇軍時代に否応なく身につけた、口汚い罵りと皮肉だけだった。
しかし、そんなものは通常の会話において、馬の糞ほども役に立たない。
……いや、畑の肥やしにさえならない以上、馬の糞以下である。
「――さらばだ、諸君。明日も頼むよ」
女性宿舎への通用口に着くなり、リアーヴェルがひらひらと手を振りながら言った。
「――では皆さん、また明日に」
続いて、イクシアーナが折り目正しくお辞儀をした。
それから、ちらと俺の顔を一瞥し、急に口を開きかけたが、結局は何も言わなかった。
意味ありげな仕草に映ったが、俺は気にしまいと務めた。
用心棒の役目に徹するのみと、腹は既に決まっていたからだ。
それから、イクシアーナとリアーヴェルは、通用口を抜けた先で四人の女聖騎士と合流し、その奥へと進んでいった。
夜間の二人の警護は、“聖女の盾”の女聖騎士が担当することになっていたが、彼女たち四人がそうなのだろう。
「――なあ、これから町へ繰り出して、聖者さんの歓迎会と洒落込むのはどうだい? ほかの聖騎士連中も呼んでよ。こんな状況だからこそ、俺たちだって息抜きが必要だ」
トモンドがそう提案してくれたが、ネーメスもアゼルナも不参加の意志を表明した。
ネーメスは、「勤務外でも、有事に備えて聖堂内から離れるつもりはありません」とのことで、アゼルナは「もう酒には懲りた」と一言口にした。
そんなわけで、歓迎会は一瞬のうちにお流れとなった。
その後、俺はトモンドと教会内部の共同食堂で夕食をとったのち、宿舎の三階に用意された自室へと向かった。
書き物机と椅子が一組に、さして大きくはないベッドがあるだけの簡素な部屋だが、俺にとっては十分だった。
湯浴みを済ませようと(同階に共同浴場が設けられていた)、すぐに鎧を脱ぎ、着替えにとりかかると、間もなく部屋のドアをノックされる音が聞こえた。
「――ケンゴー、いるか?」
それはレジアナスの声だった。
ドアを開けて中に入れてやると、彼はいくぶん改まった顔つきで「少しだけ話せるか?」と尋ねてきた。
彼も既に職務は終わったと見え、例の大剣は帯びず、白いシャツに革の吊りズボンという出で立ちだった。
「ああ、構わん」
俺はそう答え、ベッドの上に腰を下ろした。
「……それで、その、話なんだが」
レジアナスは言いよどみつつ、書き物机の前の椅子に座り、こちらに真剣な眼差しを向けてきた。
普段とはどこか違う彼の気配に、俺の胸は小さくざわついた。