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11.聖者と仲間たち

 ウイユベリ辺境伯を迎えた俺たちは、中央の塔の二階に設けられた客室へと彼を案内した。


「――ええと、その、申し訳ないのですが」


 客室の前に着くなり、イクシアーナが不意にうつむきながら話し出した。

 彼女の深い緑色の瞳は、頼りなげに小刻みに震えている。


「今日だけは、辺境伯様と二人きりにしていただきたくて……。皆さん、廊下で待機していて下さいますか?」


 恥じらっているような声だったが、そこには確かな幸福の気配を感じ取ることができた。


「――もちろんですともッ!! なあ、みんなッ?」


 トモンドが、満面の笑みで呼びかけてきた。

 無論、俺に反対する理由があるはずもなく、黙ってうなずいてみせた。

 続いてネーメスも、当然ながら同意の旨を口にする。


「しかしですね、ありとあらゆる危険を想定した場合、室内でも警護を、んッ……」


 唯一、アゼルナが反対の意を示しかけたが、直ちにトモンドの大きな掌で口を塞がれた。

 その様子を一瞥したネーメスは、何事もなかったかのように部屋のドアを開き、イクシアーナと辺境伯に向き直った。


「――どうぞ、お入り下さいませ」


 促された辺境伯は、丁寧にお辞儀をしたのち、室内に足を踏み入れた。


「皆さんも、交代で昼休憩をとって下さいねッ」


 イクシアーナはそう言い残し、辺境伯のあとに続く。

 ドアが閉められると同時に、トモンドはアゼルナの口から掌を離した。


「――もう、何すんのよッ。行っちゃったじゃないッ!!」


 アゼルナは怒り心頭という様子で、眉を吊り上げてトモンドに迫った。

 とは言え、彼女にも多少の配慮はあるらしく、口調こそ厳しいが、声の大きさはずいぶんと控え目だった。


「……荒っぽかったのは謝るが、ほら、あの二人の様子、見ていて分かるだろう? さすがに邪魔しちゃいかんぜ」


 慌てて弁明するトモンドに、ネーメスがため息交じりに助け船を出した。


「――アゼルナ、トモンドの言う通りですよ。無粋な真似をするのは、我々に相応しくありません」


 ネーメスの口調は、幼子を諭すような優しい響きを帯びていた。


「今のイクシアーナ様には、息抜きが必要です。この一週間、大聖堂の敷地内から出ることも許されず、朝から晩まで礼拝堂に篭りきりなのですから。またとない会食の機会にまで警護につかれては、身も心も休まらぬでしょう」

 

「分かってるわよ、それくらい。でも……」


 アゼルナは悔しそうに拳を握り、一人こちらに背を向けた。


「分かってくれたのなら、構いません。では、僕はお先に休憩に入らせていただきますよ。半時間ほどで戻って参ります」


 ネーメスはそう言うなり、さっさとその場から立ち去っていった。

“名誉”が絡むと途端に別人に豹変するらしいが、普段の彼は至極真っ当な人間なのだろうと、俺は密かに感心した。


 それから間もなく、木の盆を持った二人の修道女がやって来て、室内に食事を運び込んだ。

 案に違わずその献立は、黒パン、豆と芋のサラダ、野菜スープという実に質素な品目だった。


「……そう言えば、昼休憩の順番って、くじで決める約束だったよな。まあ、別にいいけどさ」


 帰ってゆく修道女たちの背を眺めつつ、トモンドがぼそりと呟いた。

 俺は心の中で苦笑を漏らした。


「ところでアゼルナ、さっきは何を言いかけたんだ? 『分かってるわよ、それくらい。でも』の次だよ」


 トモンドが、優しく気遣うような口調で訊いた。

 今も気まずそうにしているアゼルナの言い分を聞いてやろうという、彼なりの配慮に違いなかった。


「――わざわざ蒸し返さないでくれる? とにかく、私はね、辺境伯(あの男)だけはどうもいけ好かないの」


 言いながら、アゼルナは憎しみのこもった眼差しをトモンドに向けた。

 トモンドの質問に込められた意図は、全く伝わっていない様子である。


「悪かったよ。他意があったわけじゃないんだ」


 頭を掻きつつ、少々困ったような口ぶりでトモンドが言った。

 

「……そう言えば、お前の元婚約者、どことなく辺境伯に似てたって話だもんな。もし変なこと思い出させちまったんなら、ちゃんと謝るぜ」


 それを聞いた途端、アゼルナの顔色が唐突に真っ青になった。


「――ちょっと待って、何で知ってるの? あたし、教会の人間には、誰一人としてその話をした覚えはないんだけど」

 

「おいおい、お前自身が話したんだぞ? 先日の副団長の昇進祝いの席で、酔っ払ってさ」


 トモンドが言うなり、アゼルナは放心したように一点の虚空を見つめ出した。

 彼女はしばらくの間そうしていたが、やがて我に返ってこう訊いた。


「……それはマズいわね。ほかには何か言ってた?」


「元婚約者の何ちゃら男爵が、結婚直前にひどい浮気者だったと露見した。それで、あの手この手で復讐して、さらには脅して、大金を掠め取った上に婚約破棄してやった、だっけかな」


 言いながら、トモンドは思い出し笑いを始めた。


「聞いて下さいよ、聖者さん。その復讐のやり口ってのが、実にえげつな、うッ……」


 言いかけたトモンドの脛を、アゼルナがいやというほどつま先で蹴った。

 実にえげつない一撃だった。


「皆まで言うな。で、その話だけど、イクシアーナ様は聞いてないわよね?」


 悶え苦しみながらうなずくトモンドを見て、アゼルナは安堵のため息を漏らした。


「……とまあ、こいつは見ての通り手荒な奴ですが、それでも、良いところはあるんですよ、聖者さん」


 痛みを堪えながらトモンドが発した言葉に、「聞かせてもらおう」と俺は返した。


「元婚約者に復讐したはいいものの、その途端に虚しさを覚え、自分を悔い改めようと聖ギビニア騎士団に入団したらしくてね。酔ったお前が言ってたぜ?」


 アゼルナはトモンドの問いかけを無視し、どこか居心地悪そうにそっぽを向いた。


「その殊勝な心がけに免じて、少しだけなら、見直してやろう」


 以前アゼルナに言われたセリフをそのまま送ってやると、彼女は恨めしげに俺を一瞥して、小さく鼻を鳴らした。


「……何はともあれ、これでイクシアーナ様も少しは人心地つくだろう。今日も決闘の件で、ずいぶんと迷惑かけちまったしな。しかし、辺境伯さまさまだよ。まさに良いときに来てくれた」


 トモンドが感慨深げに話すのを聞きながら、俺は総主教の言葉を思い返していた。


『彼女の身を守ることはもちろん、ほかの面でも手助けしてあげて欲しいのです』


『彼女は、他者の理解の範疇を超えた、実に深い苦悩を抱えることとなりました。そして、それを和らげてくれる誰かを必要としています』


 その“誰か”とは、ウイユベリ辺境伯に違いない――そう思いを改めると、急に肩の荷がおりた心持ちがした。

 言わずもがな、俺の正体はお尋ね者“イーシャル”であり、今は得体の知れぬ仮面の男である。

 イクシアーナの前では素顔を晒すことはおろか、声を発することさえ躊躇われる身だ。


(――そのような人間が、どうやって彼女を手助けしてやれる?)


 総主教が俺を頼りにしてくれたことは光栄だったが、内心では重荷に感じていた。

 正直に言えば、彼女の身を守ってやる以外、何一つとして力になれる自信はなかった。

 だからこそ、ウイユベリ辺境伯の登場は、まさに僥倖(ぎょうこう)と呼ぶに相応しかった。 


(――二人は、互いに想い合っているのだろう)


 辺境伯がイクシアーナにしてみせた、敬慕の念が込められた手の甲への口づけ。

 そして何より、先ほど彼女が発した、あの恥じらったような、それでいて幸せそうな声。

 いくら朴念仁の俺だとて、気づかぬはずがなかった。


(――やはり俺には、ただの用心棒のほうが、性に合っている)


 そう思うと、不意に可笑しさが込み上げてきた。

 よくよく考えてみれば、何の因果か、“聖母”の次は“聖女”が警護の対象である。

 と言っても、前回とは何もかも事情が違っていた。

 今回の“聖女”は正真正銘の本物である。

 そして何より、レジアナスを始め、頼ることのできる仲間たちがいた。


 気さくで思いやりに満ちた大男トモンド。

 イクシアーナの絶大なる崇拝者であり、少々不穏な過去を持つアゼルナ。

“名誉”への固執さえ乗り越えられれば、将来が楽しみなネーメス。


 一時はどうなることかと思ったが、何とはなしに、彼らと上手くやっていける気がした。


 その後、俺たちは半時間ごとに一人ずつ昼食休憩を取った(くじ引きで、トモンド、俺、アゼルナの順に決まった)。

 中央の塔の二階には、教会内部の人間のための共同食堂があり、俺もそこで食事をとった。

 その献立は無論、先ほど修道女たちが客室へ運んだものと全く同じだった。

 そして、最後のアゼルナが戻って間もなく、イクシアーナと辺境伯が会食を終えて部屋から出てきた。


(――イクシアーナの深い苦悩とやらは、少しは和らいだのだろうか?)


 そう思いつつ、彼女の顔色を探ったが、はっきりとしたことは分からなかった。

 そこには、表情と呼ぶべき表情は、特に浮かんでいない。

 だが、少なくとも俺の目には、幸福の余韻をひた隠しにしているように映った。



 *   *   *



「――ところで、リアーヴェルからは、まだ何の連絡もないのかしら?」


 イクシアーナが思い立ったように言ったのは、名残惜しそうに馬車に乗り込んだ辺境伯を、正門で見送った直後のことだった。


「副団長は、イクシアーナ様の手紙を預けた使者を、今朝一番に送っているはずです」

 

 ネーメスの言葉を聞くなり、イクシアーナは不意に黙り込んだ。

 彼女が不安げな表情を浮かべると同時に、一同に微かな緊張が走った。


(――まさか、リアーヴェルの身にも、何か起きたのだろうか?)


“冷血”こと、魔術の才媛リアーヴェル――あくまでも可能性の話だが、ゼルマンドを討ちし英雄に数えられる彼女が、今まさに“英雄殺し”の訪問を受けていたとしても、それは特に驚くべきことではなかった。

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