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9.聖女降臨

 久々に対面したイクシアーナに、俺は否応なく目を奪われた。

 彼女は記憶していた以上に美しく、神々しく、そして何よりも、非現実的な存在として俺の目に映った。

 宗教画の中から、そのまま抜け出て来た人物だと説明されたほうが、しっくりくるほどである。

 彼女の肌は、ほとんど透明に近い白で、豊かな長い銀髪によく馴染んでいた。

 直線的な眉、すらりと高い鼻、小さく結ばれた唇――顔のどの部位も、精緻な芸術品のごとく整い、まさに作り込まれた彫像を思わせた。

 血肉の通った感じや、生活のにおいというものに、およそ欠けているのである。

 しかし、唯一その例外にあたるのが、彼女の“目”だった。

 潤いある深い緑の瞳には、神秘的な奥行きがあり、同時にあふれんばかりの活力に満ち満ちていた。

 イクシアーナの顔は、“静”と“動”、相反する要素の見事な調和によって成立していた。

 彼女の尋常ならざる存在感を決定づけているのは、おそらくその点に違いなかった。


 ――と、改めて感じさせられたのだが、それは束の間の幻想に過ぎなかった。


「……一体、何を考えてるのですかッ? 仲間同士なのに真剣で決闘するなんて、猿でもやりませんよッ!!」


 腰に両手を当てたイクシアーナが、むくれた顔で口を開いた途端、浮世離れした荘厳さが一挙に失われた。

 あまりの変化の振れ幅に、俺は少なくない戸惑いを覚えた。


「よりにもよって、団員の模範となるべきあなたたちが、こんなことを仕出かすだなんて。はっきり言わせてもらいますけど、前代未聞の事態です。まあ、誰も怪我はしていないようですし、不幸中の幸いではあるけれど……」


 ため息交じりに言いつつ、彼女は俺たちの前に立つと、一人ひとりの顔を射抜くように見た。


「――よし、決めました。総主教様を心配させたくないので、この一件は闇に葬ります。しかし、その代わりに、私があなたたちにお仕置きをしますッ!!」


 俺は完全に狼狽していた。

 今目の前にいるイクシアーナは、俺の知っている彼女とはまるで別人だった。

 もはや聖女と言うよりは、どこにでもいる少々気の強い娘といった風である。


(……しかし、これこそが彼女の本来の姿なのだろう)


 実に意外ではあるが、そう結論づけるほかなかった。

 ゼルマンド討伐で共闘した際は、単によそゆきの顔を見せていただけに違いない。


「――イクシアーナ様ッ!!」


 そのとき、直立不動のアゼルナが唐突に声を上げた。


「一言申しておきますが、私はこの決闘に一切関わっておりません。その点では、イクシアーナ様をご失望させていないと、聖騎士の名の下に確信しておりますッ!! とは言え、お仕置きは喜んで賜りたいと存じますッ!!」


「一人だけ責任逃れするようなことを口にするんじゃありません。……それより、何でお仕置きには乗り気なのよッ!!」


 イクシアーナが声を荒げると、ただならぬ気配を察したのだろう、見物人たちの輪はたちまち崩れていった。

 彼女はその様子をちらと横目で見て、幾分気まずそうに咳払いをした。


「……まあ、一旦お仕置きの件は置いておきましょう。とにかく、私はアゼルナにも責任があると思います。だって、決闘を傍観していたんでしょう?」


 イクシアーナの問いかけに対し、アゼルナは力強く首を振った。


「いえ、そんなことはありません。精一杯止めたのですが、か弱き乙女の力では不可能だったのですッ!!」


 真っ赤な嘘である。

 厚顔無恥もいいところだが、それ以上に、アゼルナの言動は理解不能だった。


「――レジアナス、アゼルナの話は本当ですか?」


 イクシアーナがそう尋ねたが、無論、彼は真実を語った。


「完全に嘘だよ。決闘を止めるどころか、進んで立会人の仕事を手伝ってたしな。その上、きらきらと目を輝かせて、誰よりも楽しそうに見物してた」


 直ちに憤怒の形相を浮かべたアゼルナが、歯ぎしりしながらレジアナスを睨んだ。

 すると、小さな副団長は、舌を出して応戦した。

 

「――やっぱりそうでしたか。何となくですが、そんな気がしていました。あと、念のため言っておきますが、あなたはか弱き乙女ではありません。むしろ逆」


 イクシアーナがきっぱり告げると、アゼルナは大きく肩を落としてうつむいた。


「――とにかく、あなたたちは同罪です。連帯責任です。横一列に並びなさいッ!!」


 イクシアーナがぴしゃりと言い放つと、一同は従順な犬のごとく動き出し、左からレジアナス、ネーメス、トモンド、アゼルナの順に並んだ。

 出遅れた俺は、仕方なしに列の最後に加わった。

 脇に立つアゼルナは、今にも泣き出さんばかりの表情を浮かべている。


「――それじゃ、容赦なくいきますよッ!!」


 そう宣言すると、彼女はレジアナスの頬を勢いよく平手打ちした。

 続けてネーメスにも、同じくそれを見舞った。

 次いでトモンドの前に立ったが、彼の背はあまりに高く、その頬はイクシアーナの手が届かぬ位置にあった。

 考え込むようにしばし沈黙したのち、イクシアーナは小さく咳払いをした。

 そして、おずおずと口を開いた。


「……ちょっとこう、膝を曲げてもらえるかしら?」


 トモンドは男らしくうなずき、すぐ指示に従った。

 イクシアーナはばつが悪そうな面持ちだったが、それでも、遠慮なくトモンドの頬を打った。


「――今度は私の番ですね。お願いしますッ!!」


 気持ちを立て直したと見えるアゼルナが、気合十分に叫ぶと、イクシアーナは小さく眉をひそめた。

 そして、アゼルナの頬にどぎつい平手打ちを浴びせた。

 前の三人よりも、いくぶん力が込められていたように見えたのは、おそらく俺の気のせいではないだろう。


「――ありがとうございますッ!!」


 深々と頭を下げたアゼルナの表情は、妙に恍惚としたものだった。

 彼女が曰く言い難い性癖の持ち主であることに、もはや疑いの余地はなかった。

 次は、とうとう俺の番である。


(――この流れだと、間違いなく同じ目に遭わされるはずだ。となれば、イクシアーナは無理にでも仮面を剥ぎ取ろうとするだろう)


 普通に考えればそれが順当だが、俺はまだ余裕を持っていた。


『呪力の込められた品で、一度身に着けたら、“解呪”の魔術を使わない限り、二度と外すことはできません』


 この仮面を売った魔導具店の店主が、そのように話していたためである。

 対象物から呪力を取り除く”解呪”は、一般的には使いどころの限られた魔術であり、さらには習得が難しいともっぱらの噂だった。

 古代遺跡の曰くつきのお宝を狙うトレジャーハンターや、怪しげな魔導具類を取り扱う商店主でもない限り、好んで身につける者は多くない。

 だが、唯一の懸念点があった。

“解呪”は、聖騎士や修道士が最も得意とする、聖光魔術の一つなのである。


(――もし、イクシアーナが仮面のからくりを見破り、その上、“解呪”まで身につけていたとしたら?)


 その可能性は低いと思いつつも、背筋を冷たい汗が伝ってゆくのを、俺は確かに感じ取っていた。


「……あまり望ましくない初対面になってしまいましたね、“傷跡の聖者”さん」


 言いながら、イクシアーナは遂に俺の眼前に立った。

 

「力を貸して下さることには感謝していますが、それとこれとは話が別です。何と言っても、あなたは決闘の当事者ですから。特別扱いはしませんよ」


 イクシアーナは、天使のような悪魔の微笑みを、こちらに向けた。

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「――ありがとうございますッ!!」 わかる!!
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