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6.荒ぶる聖者

「……ふざけているのは、むしろ副団長のほうではありませんか?」


 短い沈黙を挟んだのち、ネーメスと呼ばれた男が、冷ややかな声でそう告げた。


「聖騎士の叙任さえ受けていない人間を連れてきて、あまつさえ“聖女の盾”の真似事をさせるなど、我々の名誉を軽んじているとしか思えません」


「……名誉がイクシアーナ様を守ってくれるなら、いくらでも重んじてやるさ」


 諭すように話し出したレジアナスの声は、実に落ち着き払ったものだった。


「でも、現実はそうじゃない。あんたは、それくらいのことも分からないのか?」


「――ええ、分かりたくなどありませんね」


 ネーメスは間髪を入れずに答えた。


「僕はバシュトバー侯爵家の生まれです。そして聖騎士でもある。ゆえに、何よりも名誉を重んじるのは当然のこと。まあ、副団長のような育ちのお方には、それさえ分からずとも、仕方ないかもしれませんが」


 腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってくるのを、俺は感じていた。

 レジアナスの生まれ育った環境について、俺は何一つとして知らない。

 ネーメスの口ぶりから察するに、それは決して恵まれたものではなかったのだろう。


(――だが、レジアナスはそれを糧にしたに違いない。だからこそ、その若さで一角の男になった)


 俺はその事実を、誰よりも理解できる人間の一人だった。

 レジアナスは罪を背負い、深く懊悩しながらも、断固たる意志を持ち続け、遂にポリージアの町を救ってみせた――それは、まさに彼にしか成し得ない、英雄的行為にほかならなかった。

 それを目の当たりにした俺は、常にレジアナスに対し、自分なりのやり方で敬意を払ってきたつもりである。

 表立ってはそう映らないかもしれないが、その自負は確かにあった。

 そして何より、一言で簡単に片づけられるような間柄ではないが、レジアナスは俺にとって大切な存在である。

 彼がこちらをどう思っているかは分からないが、俺にとってはそれが真実だった。


(――貴様なんぞに、レジアナスを語る権利はない)


 思い切りネーメスを睨みつけてやると、彼もそれに気づいたらしく、これ見よがしに高慢な笑みを浮かべてみせた。

 そしてこう言った。


「とにかく、“傷跡の聖者”とやらは不要です。我々だけでイクシアーナ様をお守りしますゆえ」


 どうしたものかと思い、ちらとアゼルナとトモンドを見やる。

 すると案の定、アゼルナは、目の前の出来事が楽しくて仕方ないといった風にほくそ笑んでいた。

 一方トモンドは、関わり合いになるのはご免だとばかりに、呆れと困惑とがない交ぜになった表情を浮かべている。


「……今回の件は、総主教様がお決めになったことだ。逆らうつもりか?」


 唇を噛みしめ、ぐっと拳を握りながら、レジアナスが訊いた。


「――はてさて、それもどうだか。団内で孤立しかけている副団長が、一人でも自分の手駒を増やしたいと願い、総主教様を言いくるめたのではないですか?」


 ネーメスの声は、相手をなじることを心の底から楽しんでいるような、鼻持ちならない響きを帯びていた。


「……言いがかりは止めろ」


 レジアナスが微かに震える声でそう返すと、「火のないところに煙は立たない」とネーメスが囁くように言った。


「ここ最近は、副団長がその少年らしい愛らしさで総主教様を誘惑し、(しとね)を共にしているのではないかと、もっぱら噂になっておりますよ」


「――ふざけるなッ!! 誰がそんなことするかよッ!!」


 遂に声を荒げたレジアナスを見て、ネーメスは乾いた笑い声を上げた。


「あれだけ長い間、“ポリージアの聖母”の元にいたんです。どのような手練手管を身につけていようと、別に誰も驚きはしませんよ」


 黙ってうつむいたレジアナスを見て、俺の堪忍袋の緒はとうとう切れた。


「――貴様、その汚い口を閉じろ」


 俺はそう言って、ネーメスの元に詰め寄った。


「これ以上レジアナスを侮辱することは、この俺が許さん」


「“この俺が許さん”ですと?」


 ネーメスは首を傾げながらそう言って、嘲るように笑った。


「……別に、誰もあなたの許可など必要としておりませんが」


「――黙ってレジアナスに謝れ」


 真っ直ぐに相手を見据えながら、俺はそう告げた。


「貴様が自分の名誉を守りたいと言うのなら、それ以外に残された道はない」


「――この僕を、愚弄するつもりですか?」


 ネーメスの問いかけを、俺は鼻で笑ってやった。


「口を慎め。答えることさえ無駄な質問だ」


「……実に不愉快なお人です。“聖者”とは、名ばかりのようですね」


 歪んでいたネーメスの口元が、急に引き締まった。


「僕の名誉を傷つけることは、バシュトバーの家名を貶めることと同義。あなたは、それがどれほど愚かな行いか、理解した上で言っているのですか?」


「――貴様は、いちいち能書きが多い」


 俺はぴしゃりと言ってやった。


「口を開けば“名誉”、二言目にも“名誉”。お前の空っぽの頭は、名誉のことしか考えられないのか?」


 そう投げかけると、ネーメスは急に心ここにあらずといった顔つきになり、親指の爪を噛み始めた。

 同時に、彼の淡い褐色の瞳に、憎悪の炎が静かに立ち上がったのを、俺は見て取った。


「ついでに、一つ良いことを教えてやろう。家名、そして聖騎士であること――この二つを差し引けば、何一つ残らないような人間には、端から名誉など存在しない」


 畳みかけるように言ってやると、ネーメスは爪を噛むのを止め、狂人のごとく笑い出した。

 そして、ゆっくりとこちらの胸元に剣尖を突きつけてきた。


「――今の言葉、断じて聞き捨てなりません。バシュトバー家と聖騎士の名誉にかけて、あなたに決闘を申し込みます」


「……いいだろう。望むところだ」


 そう答えると、レジアナスが慌てて俺の正面に回り込んだ。


「――おい、止めておけよ。感情的になるなんて、あんたらしくないぞ?」


「確かに、そうかもしれないが……」


 言いながら、俺もずいぶんと変わったものだと思わざるを得なかった。

 一昔前ならば、所詮は他人事と思って素知らぬふりができたかもしれない。

 けれども、今の俺に見過ごすことはできなかった。


「俺だって人間だ。譲れないものはある。この男は、越えてはいけない一線を越えた」


 俺は優しくレジアナスの肩を叩き、道を空けて欲しいと頼んだ。

 そして、再びネーメスの前に立つと、彼は決闘の条件を提示してきた。


「一般的な作法に則り、相手を殺すか、戦闘不能に陥らせるか、あるいは『参った』と言わせたほうが勝ち、ということでいかがでしょう? 当然、魔術の使用は厳禁です。武器は飛び道具を除き、それぞれ望むものを一つ選ぶのが良いかと」


 それで構わん、と俺は言った。そしてこう続けた。


「ただし、こちらにも呑んで欲しい条件が一つある。貴様に『参った』と言わせた場合は、先ほどのレジアナスに対する発言を取り消してもらう。そして謝罪しろ。誠心誠意心を込めてな」


「お好きにどうぞ。負けるつもりはありませんので」


 淡々とネーメスが言うなり、レジアナスは焦りを滲ませた声で叫んだ。


「……ああ、もう、どうすりゃいいんだッ!? アゼルナ、トモンド、お前らも止めろよッ!!」


「――絶対に嫌」


 間を置かず、アゼルナがにべもなく言った。


「聖者か何だか知らないけど、そんな気持ち悪い仮面を被った男、イクシアーナ様に近づかないで欲しいもの。ネーメスが負けるわけないし、さっさと犬死にすればいいわ」


「……副団長には悪いが、俺も止めるつもりはないぜ」


 どこか申し訳なさそうに頭を掻きながら、トモンドが続いて口を開く。


「実を言うと、俺は聖者さんの腕前がどれほどのもんか、この目で確かめたいと思っていたんだ。俺たちと同等か、あるいはそれ以上の実力が本当にあるのか、とね。……というわけで、またとない機会だし、立会人は俺にやらせてもらいたい。構わないよな?」


「……異論はない」


 俺がそう返すと、ネーメスも同意の旨を口にし、それから不遜な笑みを浮かべた。


「――では、これで決闘成立ですね」


 俺が黙ってうなずいた瞬間、レジアナスの悲痛な叫びが耳に飛び込んできた。


「――もう嫌だ。何でどいつもこいつも馬鹿ばっかりなんだよッ!!」


 俺は急に可笑しくなった。

 確かに、馬鹿げた面があることは否定できない。

 だが、決闘を受けたのは、相応の考えがあってのことだった。

 自らの矜持を貫き、レジアナスの名誉を守るのはもちろんのことだが、それだけが理由ではない。


「……お前の気持ちも分かるが、ここは一つ、俺を信じて任せて欲しい」


 レジアナスに向き直り、俺ははっきりとそう告げた。


「――全て上手くやってみせる。絶対にだ」


 レジアナスは仏頂面で黙っていたが、やがて諦めたように口元を緩めた。


「……分かったよ。あんたは必ず約束を果たす男だ。ただし、今回だけだぞ」


 しっかりとうなずいてみせると、レジアナスは小さく微笑んだ。

 お読みいただき、どうもありがとうございます!

 昨日のアクション文芸部門の日間1位に続き、本日、同部門の【週間ランキング1位】も達成しました。

 応援して下さった全ての皆さまに、この場を借りて心より感謝申し上げます!

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