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3.フラタル大聖堂

「――交渉成立だな」


 真っ白な歯を剥き出しにして、レジアナスが微笑みかけてきた。

 それから彼は、腰のベルトに括り付けられた小さな革鞄の蓋を開け、中から取り出した布袋をこちらに差し出してきた。


「支度金だ。もし足りなかったら言ってくれ」


 受け取った布袋は、俺の掌に十分な重みをもたらした。

 ガルノガ一家との一連の騒動の中で、武器や防具類は全て失っていたため、こちらとしては願ってもいない話だった。


「……悪いな。遠慮なく使わせてもらおう。正直に言うと、どこぞの依頼主(ブエタナ)が報酬を踏み倒したせいで、丁度金に困っていたところだ」


「それじゃ、一時間後にまたこの宿に来る」


 レジアナスはそう言って、部屋をあとにした。



 *   *   *



 その後、俺は町の武具屋へ向かい、インゴル鋼――軽さと耐久度、魔術耐性に優れた合金である――の鎧一式に加え、片手剣と両手剣、投擲用のナイフなどを買い揃えた。

 次いで足を運んだのは、少々怪しげな路地裏の魔導具店である。

 そこで俺の目に留まったのは、口元以外を覆う形状の、無骨な鉄仮面だった。

 店主曰く、「呪力の込められた品で、一度身に着けたら、“解呪”の魔術を使わない限り、二度と外すことはできません」とのことだったので、俺は迷わず購入して装着した。

 今回の一件が済むまでは、たとえ食事中だろうと素顔を晒すことはできないので、まさにおあつらえ向きと言えた。


 宿屋で再び落ち合ったレジアナスには、「いくら何でも怪しすぎる。変質者みたいだ」などと散々笑われてコケにされたが、屁とも思わなかった。

 むしろ、俺が気がかりだったのは、“毎晩仮面を着けたまま安眠できるのか”という点だった。

 しかし、背に腹は代えられないと自らに言い聞かせ、無理に納得するほかなかった。


 かくして俺たちは、レジアナスの用意した“移転の門”の巻物(スクロール)を使い、王都の郊外に建立された、フラタル大聖堂へと向かったのだった――。



 *   *   *



 初めて目にするフラタル大聖堂は、城塞と言っても差し支えないほどの、巨大かつ荘厳な施設だった。

 高くそびえる三つの尖塔が連なった形状をしており、石の外壁には、見事な彫刻や装飾が精緻に施されていた。

 中央の塔には、病人や怪我人のための施療室、礼拝堂、地下霊廟――聖人や英雄たちの遺骸が祀られている――が設けられているのだと、レジアナスが教えてくれた。

 右の塔は修道士と男性聖騎士の宿舎、左は修道女と女性聖騎士の宿舎となっているらしい。

 また、“英雄殺し”を警戒しているためだろう、敷地内の至るところに聖騎士たちが配され、そこはかとない緊張感が漂っていた。


「……あとで詳しく案内してやるけど、まずは総主教様にご挨拶だ」


 レジアナスがそう言って、中央の塔の入口に続く石段を昇り始めた、そのときだった。


「――あの、もしかして、ケンゴーさんじゃありませんか?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはリューリカが立っていた。

 銀色の壮麗な甲冑に身を包み、槍と大盾を携えた彼女は、以前とは別人のように見違えた。


「――やっぱりそうだッ。イクシアーナ様の警護につくという話は本当だったんですね」


「――ああ。そっちも元気にしているようだな」


 そう言ったのと同時に、レジアナスが妙な視線をこちらに送っているのに気がついた。


「……あっ、副団長、お疲れさまですッ!!」


 リューリカもそれを察したらしく、取ってつけたようにレジアナスに声をかけ、軽く会釈をした。


「ところで、ケンゴーさん、どうしてそんな仮面を被っているんです?」


「……俺の顔は傷だらけで醜い。こんな面を下げてお目通りするのは、総主教様や聖女様に失礼だと思ってな」


 咄嗟にそう答えると、リューリカは怪訝な表情を浮かべた。


「そんな、考え過ぎですよ。それに、醜くなんかありませんし……」


 彼女は急にうつむくと、「それでは、巡回に戻りますね」と慌ただしい口調で言って、足早にその場から立ち去っていった。


「それに、醜くなんかありませんし……」


 レジアナスは急にうつむき、先ほどのリューリカの口調を真似て言った。

 俺は珍しく、彼を殴ってやりたいという衝動に駆られた。


「――やっぱり、リューリカはあんたに惚れてる。今ので確信した。俺への挨拶を忘れるくらい、あいつはあんたに気をとられていた」


 そう話す彼の瞳には、好奇心に満ちた輝きが宿り、口元には下品な笑みさえ浮かんでいた。


「……しかし、一晩を共にした男女の雰囲気ではなかったな。むしろ、手さえ握ったことがないって感じの初々しさだった。ということは、リューリカは密通の相手ではないな?」


「……下らん探偵ごっこに付き合うつもりはない」


 呆れ返りながらそう言ってやったが、レジアナスは聞く耳を持たなかった。


「ということは、あんたが女聖騎士とやらかしたのは、“聖者”として知られる遥か昔のことだったのかもな。俗に言う、若気の至りってやつだ。それならば、確かに顔を隠す意味はある。……あ、わかった。もしかして、気まずい別れ方をした昔の恋人が団内にいるんじゃないのか?」


「……いい加減黙って、総主教様の元に案内しろよ」


 さらに語気を強めて言うと、レジアナスは退屈そうに肩をすくめて歩き出し、大聖堂の中へと足を踏み入れた。

 レジアナスのあとに続いた俺は、礼拝堂を囲む長い回廊を渡り、裏口を抜けて広大な庭園に出た。

 すると、そこには数え切れないほどのテントが張り巡らされていた。

 ゼルマンド戦役によって生まれた難民、戦災孤児、かつて“天使の園”で暮らしていた子どもたち――行き場を失った人々を、次の住処が見つかるまでという条件で、一時的に受け入れているのだ、とレジアナスは言った。

 テントの間を縫い、さらに歩を進めてゆくと、無数の墓石が目に飛び込んできた。

 教会墓地である。

 そして、その手前の小さく開けた場所に、難民たちによって人の輪が築かれていた。

 その中心に立っているのは、純白の立ち襟の司祭服(キャソック)に身を包み、同じく純白の円帽子を被った、白髪の老人である。

 その老人が総主教であることは、一目瞭然だった。

 彼の小さな体躯から、常人ならざる生命の輝きのようなものが、否応なく滲み出している。

 彼はただひたすらに優しく包み込むような、しかし確かな情感を込めた力強い口調で、人々に向かって神の教えを説いていた。


「――せっかくだし、説法を聞こうぜ」


 レジアナスの提案を受け入れ、俺たちは人垣の最後尾に加わった。


「……受難が去ったあと、あなた方に残されたものは何か? それは“落ち着き”です」


 総主教の声量は決して大きくなかったが、不思議とよく通る声だった。


「神はあなた方に、“変えることのできない物事を受け入れる落ち着き”を授けたのです。そして、それさえあれば、次の一歩を強く踏み出すことができるでしょう。そのときに忘れてはならないのは、“変えることのできる物事を変える勇気”を持つことです」


 俺は信仰心などというものとは、およそ無縁な人間である。

 生まれてこの方、ただの一度でさえ、真剣に神の存在を信じたことはない。

 だが、総主教の声は、そんな俺の頑なな心さえ、優しく溶かしていくような熱を帯びていた。


「受け入れなくてはならない物事と、勇気を持って変えてゆける物事。両者の違いを見分けることができる、“正しい目”さえ持っていれば、我々はいつの日か、必ずや己の望む場所へと辿り着くことができるでしょう」


 いつしか、俺は引き込まれるように、総主教の話に耳を傾けるようになっていた。


「では、どうすれば“正しい目”を授かることができるのか? その答えは、経典の中にさえ記されておりません。あなた方一人ひとりが、過去の経験、未来への希望、全ての感情と感性――それらを頼りに、自らの力で、己の内に見出すほかないのです。神はいつでも、その手助けをして下さるでしょう」


 そこで言葉を置くと、総主教は真っ直ぐに俺を見て、柔和な笑みを口元にたたえた。

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