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2.英雄たちの危機

「――“英雄殺し”」


 わずかな沈黙を挟んだのち、レジアナスが重々しい口ぶりで言った。


「……これについて、耳にしたことはあるか?」


 俺は首を横に振った。


「だったら、この話も知らないだろうな。昨晩、“死の渡り鳥”ことファラルモ氏が殺害された」


 俺は言葉を失った。

 同時に、ゼルマンドの首級を挙げた名誉を寄こせ、と迫ってきたときのファラルモの浅ましい目が、唐突に脳裏に蘇ってきた。

 智謀と話術に長けた狡猾な人間であり、俺自身を含め、彼を好む者はそう多くなかった。

 女好きで、金に汚く、周囲に敵を作りやすい典型的な性格だったと言える。

 だが、腕だけは確かだった。

 彼の極められた槍術は、ほとんど芸術の域に達していた。

 体の一部のごとく自在に槍を操り、大胆不敵に相手の裏をかき、正確に急所を一突きにする技術を有していた。

 少しも死を恐れず、常に冷静さを欠かさない、強靭な意思の持ち主でもあった。

 事実、ゼルマンドに奇襲をかけた際、前線で獅子奮迅の活躍を見せ、誰よりも敵の首を挙げたのは、ほかでもないファラルモだった。

 そんな男が殺されるなど、まるで冗談のようにしか思えない。


「……正直に言って、信じられん話だ」


 そう漏らすと、レジアナスは小さく嘆息し、「だが、紛れもない事実だ」と返してきた。


「この一週間で、“ゼルマンドを討ちし英雄”の一人が姿を消し、もう一人は殺された。王都の人々は、これらに関与した犯人を同一人物と見て、すっかり怯えきっている。“英雄殺し”なんて仇名までつけてな」


「……“英雄殺し”か」


 実に不吉な名前だ、と思わざるを得なかった。

“イーシャル”の身にも、災難が降りかかってくると言わんばかりである。

 だが、今の俺は、“傷跡の聖者”ことケンゴーだ。

 他人になったことに、これほどの感謝を覚えたのは初めてと言ってよかった。


「ツヴェルナには、まだ“英雄殺し”の噂は届いていないようだが、王都の町はまるでお通夜だ。ゼルマンドが盛大に暴れ回っていた、あのころのようにね」


「……事の重大さは理解した。それで、俺に力を貸して欲しいというのは?」


「――俺たちは、“英雄殺し”をおびき寄せ、返り討ちにするつもりでいる」


 レジアナスの声は、いくぶん緊迫した響きを帯びていた。


「……一体、どうやってだ?」


 尋ねると、彼は不敵に口角を上げた。


「理由こそ分からんが、犯人が狙っているのは、“ゼルマンドを討ちし英雄”ばかりだ。となれば次は、“冷血”ことリアーヴェル嬢、あるいはイクシアーナ様を標的とするに違いない。だから、二人を聖ギビニア教会の総本山、フラタル大聖堂に匿い、その事実を流布させるのさ。お目当てが揃っているとなれば、犯人は嫌でも姿を現すだろう。そして、聖ギビニア騎士団は、総力を挙げてそいつを迎え撃つ。これ以上の好き勝手を働かれるのは、ご免だからな」


 聖騎士を総動員できる上、レジアナス、イクシアーナ、リアーヴェル、そして俺も加われば、たとえ相手が何者であろうと、確かに戦力に不足はない。

 仮に犯人が恐れをなして攻めて来なければ、それはそれで二人の無事は保証される。

 悪くない手だ、と俺は思った。


「ところで、下手人の正体だが、見当はついているのか?」


 そう訊いた途端、レジアナスはひどく思い詰めたような顔になり、わずかにうなずいてみせた。 


「かつて“剣聖”と呼ばれたお尋ね者――“イーシャル”に違いないと踏んでいる」


「……何だと? どういう理屈だ?」


 全身にいやな汗が浮かぶのを感じつつ、無理に声を絞り出して尋ねると、「理由は三つある」とレジアナスは答えた。


「一つ目は、殺害現場だったファラルモ氏の自宅で、“魔力探知”の術を発動させたところ、強力な暗黒魔術が使われた痕跡が見つかったためだ。二つ目は、この男には“仲間に密告された”という噂がある点だ。それは明確な動機になり得る。そして三つ目は、ファラルモ氏を殺れる人間が、ほかに見当たらない、という点だ」


 レジアナスはそこで言葉を置き、強く唇を噛みしめた。そしてこう続けた。


「あんたは、“イーシャル”を殺せる自信はあるか?」


「――ッ!?」


 俺が俺自身を殺す――天地がひっくり返っても、不可能な話である。

 同時に、何の前触れもなく、次のような疑念が脳裏に浮かんだ。


(――この俺は、一体何者なんだ?)


 影であり、過去に身を潜めた“イーシャル”。

 光であり、現在と未来を生きる“ケンゴー”。

 同じ人間だったはずなのに、今では別々に行動し始めている――まるで自分が分裂してしまったかのような、非現実的な感覚に全身を貫かれていた。


「……さすがのあんたも、言葉が出ないか」


 言いながら、レジアナスはくたびれたような笑みを浮かべた。


「とにかく、犯人が化物であることに疑いの余地はない。無茶なお願いだってことは、十二分に承知している。だが、こんなことを頼めるのは、あんた以外誰もいないんだ」


 俺は密かに深呼吸を繰り返し、不吉な疑念をどうにか頭の外に追いやった。


「……要は、イクシアーナとリアーヴェルの警護について、“英雄殺し”の撃退に協力する。そういうことだな?」


 尋ねると、レジアナスは力強くうなずいた。


「イクシアーナ様は、神託を授かることができる聖女であり、民の希望そのものだ。絶対に失うわけにはいかない。そして何より、あんたは暗黒魔術の耐性を宿している。これ以上の“切り札”になってくれる奴は、世界中どこを探したっていない」


 魔術を使用するたび、その属性の魔素が体内に取り込まれ、耐性が生まれる――それは周知の事実である。

 加えて、古来よりこのレヴァニア王国では、暗黒魔術の使用は禁忌とされてきた。

 暗黒魔術の中には、死人を兵士として使役する“屍兵” の術など、世の理を根底から覆すほどの力を秘めたものが含まれているためである。

 暗黒魔術の使い手が世にない以上、その耐性を有する者も、同様に存在し得ない。

 レジアナスが俺を頼りにしたいと願うのも、無理からぬ話だった。


(――確かに、かつてないほど剣呑かつ厄介な敵であることは、間違いない)


 ひしひしとそれを感じる一方で、協力すること自体は、やぶさかではなかった。

 何と言っても、“英雄殺し”をとっ捕まえることができれば、その口を割らせ、ガンドレールの安否について手がかりを得られるかもしれないのだ。


(……しかし、イクシアーナとリアーヴェルは、“イーシャル”の顔を知っている)


 問題はその点だった。

 彼女たちと行動を共にしたのは、ゼルマンドに奇襲をかけた際の、ほんの数日に過ぎない。

 ロクに会話もしなかったので、さすがに声までは覚えていないだろう。

 だが、しっかりと顔を見られたことは確かである。

 レジアナスの申し出を受けることは、まさに密告の危険と隣り合わせと言えた。


「――仮に引き受けないと言ったら、どうするつもりだ?」


 そう問うてみると、レジアナスは直ちに表情を曇らせた。


「……こんなことは、決して口にしたくなかったが、あんたの秘密を公にしてもいい。それさえ辞さない覚悟でいる」


 レジアナスは決然とした口調で告げると、微かに口元を緩めたのち、こう続けた。


「――だが、あんたは必ず約束を果たす男だ」


「……それは買い被りすぎだ」


「いや、そんなことはないさ。俺は人を見る目には、多少の自信があってね」

 

 確信に満ちたレジアナスの声を聞くなり、俺は深いため息を漏らした。

 結局のところ、俺がどんな返事をするのかは、彼にも自分自身にも、既に分かりきったことだった。


「――わかった。受けよう」


 俺は半ば投げやりに言った。


「その代わり、顔は隠させてもらう。口も必要最低限しか利かんつもりだ。しかし、傍に立って二人を守り、必ず敵を迎え撃つことだけは約束しよう。それで構わないな?」


「……顔を隠して口も利かない、か。別に構わんが、なぜ正体を隠す必要がある?」


 言いながら、レジアナスは急に思い立った表情になった。


「――まさか、ウチの女聖騎士と密通して、恨みでも買っていたのか?」


「……好きに想像しろ」


 呆れ返って答えるや否や、レジアナスは下卑た薄笑いを浮かべた。


「……となれば、相手はリューリカだな。そうに違いない。ブエタナの屋敷で救われて、彼女はすっかりあんたに“ほの字”になった。で、ドン・ガルノガの屋敷で、二人はめでたく結ばれた。お互いに、吊り橋効果が働いたってわけさ。だが、あんたは基本的に冷めた男だ。一晩限りの火遊びだと割り切っていたが、リューリカのほうは違った。それで関係がこじれちまったんだ。そもそも、聖騎士の女ってのは、大半が男に免疫のない連中の集まりだからな。実にあり得る話だ。違うか?」


 俺は心の中で嘆息した。

 違うと真実を述べたところで、余計に話がこじれるのは目に見えていた。


「……お前の想像力は、実に逞しい」


 皮肉のつもりで言ってやったが、レジアナスはどういうわけか、妙に得意げな表情を漂わせていた。


「でも、 “傷跡の聖者”を警護につけるという話は、既にほとんどの団員に知れ渡っている。顔を隠したところで、もはや手遅れだと思うぞ」


「……とにかく、そうする必要があるのだ」


 顔を完全に隠し、声も発さず、暗黒魔術を使わない――確実とまでは言えないが、これらを徹底すれば、たとえイクシアーナやリアーヴェルだろうと、“イーシャル”だと見破ることは、ほとんど不可能に等しいだろう。

 また、仮に正体を暴かれたとしても、その相手がリアーヴェルならば、交渉の余地は残されているように思えた。

 彼女は自分の意志を何よりも重んじ、法や常識といったものを軽視する性格だと俺は踏んでいた。

 堅物のイクシアーナなら話は別だが、リアーヴェルに限れば、密告を回避できる望みはゼロではない。

 少なくとも、イクシアーナさえ警戒しておけば、どうにか乗り切れるという見込みはあった。


「……どうも解せないが、まあいいさ。とにかく頼んだぜ、相棒」


 レジアナスが差し出してきた右手を、俺は握り返してやった。

 その瞬間、自然と脳裏に浮かんだのは、戦場で颯爽と馬を駆るガンドレールの背中だった。


(――かつてお前が示してくれた義に、今度こそ報いてやる)


 俺は心の中でそれを誓った。

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