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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第一章:聖者の目覚め
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5.死の祝宴

 ドルガンのあとにつき、絶えず入り組んだ道を進んでゆくと、やがて岩と岩の間にはめ込まれた、大きな鉄格子の扉が目に入った。


「……さあ、こちらでございます」

 

 扉の前に立ったドルガンが、手にした松明でその奥を照らし出すと、そこには、絶望の色を浮かべて地面にうな垂れる若い女たちの姿があった。

 その数、全部で十三人。

 皆、手足に枷をはめられ、猿ぐつわを噛まされている。

 着替えを与えられていないのか、身にまとった衣服はすっかり汚れ切っていた。


「貴様、きちんと食事は摂らせているのか?」


 湧き上がる怒りを抑えながら尋ねると、ドルガンは冗談めかした口調で、死なない程度に与えていますよ、と答えた。


「……とにかく、これで準備が必要と言った理由はお分かりいただけたでしょう。かように小汚い女たちを貴方様に差し出したとあっては、大変な失礼に値します。面倒ですが、身を清めてやらねばなりますまい」


 俺は黙ってうなずいた。

 事を起こすには時期尚早だが、ひとまず、女たちの生存と居場所を確認できたことは、大きな収穫に違いなかった。


「ならば、儀式はあとでいい。それより、俺は腹が減った。もう何日も、まともに飲み食いしていなかったのでな。何でもいい、食事を用意しろ」


「左様にございますか。ならば、仰せのままに」


「……いや、待て、ドルガン。良いことを思いついたぞッ!!」


 俺は高笑いしながらそう言った。


「手下共を一人残らずかき集め、酒宴を開くのだ。そこで、俺が新たな神になることを宣言しようではないかッ!!」


「……なるほど、それは良きお考えです。では、儀式はそのあとに」 


 ドルガンが仰々しく頭を下げた。



 *   *   *



 その後、洞窟内の開けた場所で、酒宴が催された。

 集まったのは、俺とドルガンを含めてちょうど二十人。

 一同は、所狭しと並べられた酒や料理を、ぐるりと取り囲むようにして地べたに腰を下ろしていた。

 その輪の中心に座していたのは、ほかでもない俺である。


「……諸君らには、まずは一言、礼を述べておきたい」


 言いながら、俺は酒杯を手に立ち上がった。

  

「かつては、敵としていがみ合う仲だった人間に、諸君らは救いの手を差し伸べた。俺は、その恩義に応えたいと思う」


 その場の誰もが、真剣な眼差しを俺に注いでいた。

 悪漢の振る舞いも、どうやら少しは板についてきたようである。

 

「我が手で救った民たちに十字架にかけられたあのとき、英雄だった俺は死んだ。今、この心に残っているのは、愚かな人間たちに対する“復讐”の二文字のみ」


 俺は憤怒に染まった表情をつくり、固く拳を握り締めた。


「さあ、諸君らよ、共に愚民どもを血祭りに上げ、新たな歴史を築こうではないか。この栄光に満ちた門出に、乾杯ッ!!」


 存分に声を張り上げ、一気に葡萄酒をあおると、一同も俺のあとに続いた。

 久々に口にした酒の味は、ひどく耐え難いものだった。

 娼婦たちが泥酔し、醜態をさらす姿を散々眺めてきた俺にとって、飲酒は忌避すべき行為でしかなかった。


(――もう二度と飲むものか)


 そう心に誓いながら、俺は空になった杯を掲げ、斜向かいに座っていた大柄な男に声をかけた。


「……おい、そこの君、一杯注いでくれまいか?」


「はいッ、喜んでッ!!」


 駆け寄って来た男が酒瓶を傾けると、杯はすぐさま真っ赤な葡萄酒で満たされた。


「……感謝する」


 言いながら、俺は男が腰に下げていた剣を引き抜き、その首に躊躇なく突き立てる。

 次の瞬間、男の頸動脈から激しく鮮血が噴出した。


「――血よ、全てを包む霧となれッ!!」


 直ちに操血術を唱えると、辺り一帯を紅の濃霧が覆った。

 十九対一では、さすがに分が悪い。

 まずは敵の視界を奪い、行動を制限する必要があった。


「……どういうことだ? 一体何が起きたんだ?」


「……まさか、裏切られたのか? 何てことだッ!!」


「おいおい、相手はあの“剣聖”だぞ? 勝てるわけがねえッ!!」


 方々から漏れる絶望の声を聞きつつ、俺は少し離れた地点から、先ほど殺めた大柄な男の屍に両手をかざした。


「――血よ沸き立てッ!! 肉よ()ぜろッ!!」

 

 詠唱するや否や、男の屍が燃え上がり、凄まじい勢いで爆発した。

 弾け飛んだ肉片や内臓が、炎の散弾となって、あちこちに降り注ぐ。

 

 ――血液爆破ブラッド・エクスプロージョン


 血液を発火させ、人体に大爆発を巻き起こす、最高位の血操術の一つである。

 かなりの集中が求められるため、対象にできるのは、完全に動きの止まっている相手――要するに死体だ――に限られるが、その効果は折り紙つきだ。

 義勇軍に参加していた当時、俺は幾度となく、この術で絶望的な戦況を覆してきたのである。


 爆発によって霧が晴れると、そこには、いくつもの無残な焼死体が転がっていた。

 数えてみると、全部で八つ。

 約半数が生き残ったようだが、それらの誰もが、負傷者、逃げ出そうとする者、恐れをなして岩陰に隠れる者のいずれかだった。


(――勝った)


 俺はゼルマンド教の元信者たちを、一人、また一人と血の刃で斬り殺していった。

 恐怖と混沌に支配された人間を仕留めるのは、実に造作もないことだった。

 気づけば、辺りは文字通り血の海と化し、最後に残ったのはドルガンただ一人となっていた。


「……い、一体、何が気に食わなかったのでしょうか? 誰か粗相でもいたしましたか?」


 観念して岩陰から飛び出してきたドルガンが、声を震わせながら尋ねてきた。


「――気に食わないさ」


 俺はそう言って、ゆっくりとドルガンの元へ近づいていった。


「お前の存在、そのものが」


 ドルガンは、死を覚悟したのだろう。

 慌てて地面に手をかざし、“移転の門”を開こうとしたが、見過ごすわけにはいかなかった。


「血よッ!! 矢の雨となって降り注げッ!!」


 一帯に散らばった、おびただしい量の血液が、鋭い切先を持つ無数の矢に変化し、一斉にドルガンに襲いかかる。

 次の瞬間、惨めな小男は、真っ赤に染まった針鼠のごとく変わり果てていた。


 その後、俺は洞窟内を駆け回り、ほかに敵がいないかどうかを確かめたが、幸いにも、それは杞憂に終わった。


(あとは、女たちを自由にしてやり、安全な場所まで送り届ければいいだけだ)


 そう思ったが、その前に一つだけ、やるべきことがあった。

 今や俺は、脱走した死刑囚である。

 遠からず、人相書きつきの手配書が出回るのは明白だった。

 

(となれば、女たちに顔を知られるのは、得策とは言えぬ)


 そう考えた俺は、肩まで伸びていた髪をナイフでそぎ、短く切り揃え、次いで顔中を覆っていた髭を綺麗さっぱり剃り落とした。

 髭は俺のトレードマークのようなもので、誰が名づけたかは知らぬが、ときに親しみを込めて“髭の剣聖”と呼ばれることもあった。

 だが、実を言えば、俺は好き好んで髭を生やしていたわけではない。

 真の目的は、頬のおびただしい数の傷跡を隠すためにほかならなかった。


 過去、戦場において、俺はしばしば自分の身体を傷つける必要に迫られた。

 無論、そこから流れ出る血液を、血操術の媒介とするためである。

 それは止むを得ないことだったが、一つ困ったのは、どうしても頬に傷が集中することだった。

 剣の腕で知られていた俺は、常に最前線で戦う役目を担ったので、当然、頭のてっぺんから足のつま先まで、フルプレートで武装せねばならなかった。

 そうなると、容易に傷をつけられるのは、どうしても頬に限られてしまう。

 戦いの最中に肌を露出するとなれば、兜の面頬(めんぼう)を上げるのが最も容易だったからだ。


 従って、十二年にも及ぶ戦いの日々を過ごすうち、自然と頬の傷跡は増え、いつしか目も当てられないほどの数に膨れ上がった。

 要するに、髭も長髪も、カムフラージュの手段に過ぎなかったのである。

 従って、それらを失くせば、ずいぶん印象も変わるだろうと踏んだのだ。

 

 しかし、それだけではまだ不安だった。

 用心を重ねるに越したことはないので、俺は身にまとっていたぼろ布の裾を破り、それを顔中に巻きつけたのち、ようやく女たちの元へと向かった。

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