5.死の祝宴
ドルガンのあとにつき、絶えず入り組んだ道を進んでゆくと、やがて岩と岩の間にはめ込まれた、大きな鉄格子の扉が目に入った。
「……さあ、こちらでございます」
扉の前に立ったドルガンが、手にした松明でその奥を照らし出すと、そこには、絶望の色を浮かべて地面にうな垂れる若い女たちの姿があった。
その数、全部で十三人。
皆、手足に枷をはめられ、猿ぐつわを噛まされている。
着替えを与えられていないのか、身にまとった衣服はすっかり汚れ切っていた。
「貴様、きちんと食事は摂らせているのか?」
湧き上がる怒りを抑えながら尋ねると、ドルガンは冗談めかした口調で、死なない程度に与えていますよ、と答えた。
「……とにかく、これで準備が必要と言った理由はお分かりいただけたでしょう。かように小汚い女たちを貴方様に差し出したとあっては、大変な失礼に値します。面倒ですが、身を清めてやらねばなりますまい」
俺は黙ってうなずいた。
事を起こすには時期尚早だが、ひとまず、女たちの生存と居場所を確認できたことは、大きな収穫に違いなかった。
「ならば、儀式はあとでいい。それより、俺は腹が減った。もう何日も、まともに飲み食いしていなかったのでな。何でもいい、食事を用意しろ」
「左様にございますか。ならば、仰せのままに」
「……いや、待て、ドルガン。良いことを思いついたぞッ!!」
俺は高笑いしながらそう言った。
「手下共を一人残らずかき集め、酒宴を開くのだ。そこで、俺が新たな神になることを宣言しようではないかッ!!」
「……なるほど、それは良きお考えです。では、儀式はそのあとに」
ドルガンが仰々しく頭を下げた。
* * *
その後、洞窟内の開けた場所で、酒宴が催された。
集まったのは、俺とドルガンを含めてちょうど二十人。
一同は、所狭しと並べられた酒や料理を、ぐるりと取り囲むようにして地べたに腰を下ろしていた。
その輪の中心に座していたのは、ほかでもない俺である。
「……諸君らには、まずは一言、礼を述べておきたい」
言いながら、俺は酒杯を手に立ち上がった。
「かつては、敵としていがみ合う仲だった人間に、諸君らは救いの手を差し伸べた。俺は、その恩義に応えたいと思う」
その場の誰もが、真剣な眼差しを俺に注いでいた。
悪漢の振る舞いも、どうやら少しは板についてきたようである。
「我が手で救った民たちに十字架にかけられたあのとき、英雄だった俺は死んだ。今、この心に残っているのは、愚かな人間たちに対する“復讐”の二文字のみ」
俺は憤怒に染まった表情をつくり、固く拳を握り締めた。
「さあ、諸君らよ、共に愚民どもを血祭りに上げ、新たな歴史を築こうではないか。この栄光に満ちた門出に、乾杯ッ!!」
存分に声を張り上げ、一気に葡萄酒をあおると、一同も俺のあとに続いた。
久々に口にした酒の味は、ひどく耐え難いものだった。
娼婦たちが泥酔し、醜態をさらす姿を散々眺めてきた俺にとって、飲酒は忌避すべき行為でしかなかった。
(――もう二度と飲むものか)
そう心に誓いながら、俺は空になった杯を掲げ、斜向かいに座っていた大柄な男に声をかけた。
「……おい、そこの君、一杯注いでくれまいか?」
「はいッ、喜んでッ!!」
駆け寄って来た男が酒瓶を傾けると、杯はすぐさま真っ赤な葡萄酒で満たされた。
「……感謝する」
言いながら、俺は男が腰に下げていた剣を引き抜き、その首に躊躇なく突き立てる。
次の瞬間、男の頸動脈から激しく鮮血が噴出した。
「――血よ、全てを包む霧となれッ!!」
直ちに操血術を唱えると、辺り一帯を紅の濃霧が覆った。
十九対一では、さすがに分が悪い。
まずは敵の視界を奪い、行動を制限する必要があった。
「……どういうことだ? 一体何が起きたんだ?」
「……まさか、裏切られたのか? 何てことだッ!!」
「おいおい、相手はあの“剣聖”だぞ? 勝てるわけがねえッ!!」
方々から漏れる絶望の声を聞きつつ、俺は少し離れた地点から、先ほど殺めた大柄な男の屍に両手をかざした。
「――血よ沸き立てッ!! 肉よ爆ぜろッ!!」
詠唱するや否や、男の屍が燃え上がり、凄まじい勢いで爆発した。
弾け飛んだ肉片や内臓が、炎の散弾となって、あちこちに降り注ぐ。
――血液爆破。
血液を発火させ、人体に大爆発を巻き起こす、最高位の血操術の一つである。
かなりの集中が求められるため、対象にできるのは、完全に動きの止まっている相手――要するに死体だ――に限られるが、その効果は折り紙つきだ。
義勇軍に参加していた当時、俺は幾度となく、この術で絶望的な戦況を覆してきたのである。
爆発によって霧が晴れると、そこには、いくつもの無残な焼死体が転がっていた。
数えてみると、全部で八つ。
約半数が生き残ったようだが、それらの誰もが、負傷者、逃げ出そうとする者、恐れをなして岩陰に隠れる者のいずれかだった。
(――勝った)
俺はゼルマンド教の元信者たちを、一人、また一人と血の刃で斬り殺していった。
恐怖と混沌に支配された人間を仕留めるのは、実に造作もないことだった。
気づけば、辺りは文字通り血の海と化し、最後に残ったのはドルガンただ一人となっていた。
「……い、一体、何が気に食わなかったのでしょうか? 誰か粗相でもいたしましたか?」
観念して岩陰から飛び出してきたドルガンが、声を震わせながら尋ねてきた。
「――気に食わないさ」
俺はそう言って、ゆっくりとドルガンの元へ近づいていった。
「お前の存在、そのものが」
ドルガンは、死を覚悟したのだろう。
慌てて地面に手をかざし、“移転の門”を開こうとしたが、見過ごすわけにはいかなかった。
「血よッ!! 矢の雨となって降り注げッ!!」
一帯に散らばった、おびただしい量の血液が、鋭い切先を持つ無数の矢に変化し、一斉にドルガンに襲いかかる。
次の瞬間、惨めな小男は、真っ赤に染まった針鼠のごとく変わり果てていた。
その後、俺は洞窟内を駆け回り、ほかに敵がいないかどうかを確かめたが、幸いにも、それは杞憂に終わった。
(あとは、女たちを自由にしてやり、安全な場所まで送り届ければいいだけだ)
そう思ったが、その前に一つだけ、やるべきことがあった。
今や俺は、脱走した死刑囚である。
遠からず、人相書きつきの手配書が出回るのは明白だった。
(となれば、女たちに顔を知られるのは、得策とは言えぬ)
そう考えた俺は、肩まで伸びていた髪をナイフでそぎ、短く切り揃え、次いで顔中を覆っていた髭を綺麗さっぱり剃り落とした。
髭は俺のトレードマークのようなもので、誰が名づけたかは知らぬが、ときに親しみを込めて“髭の剣聖”と呼ばれることもあった。
だが、実を言えば、俺は好き好んで髭を生やしていたわけではない。
真の目的は、頬のおびただしい数の傷跡を隠すためにほかならなかった。
過去、戦場において、俺はしばしば自分の身体を傷つける必要に迫られた。
無論、そこから流れ出る血液を、血操術の媒介とするためである。
それは止むを得ないことだったが、一つ困ったのは、どうしても頬に傷が集中することだった。
剣の腕で知られていた俺は、常に最前線で戦う役目を担ったので、当然、頭のてっぺんから足のつま先まで、フルプレートで武装せねばならなかった。
そうなると、容易に傷をつけられるのは、どうしても頬に限られてしまう。
戦いの最中に肌を露出するとなれば、兜の面頬を上げるのが最も容易だったからだ。
従って、十二年にも及ぶ戦いの日々を過ごすうち、自然と頬の傷跡は増え、いつしか目も当てられないほどの数に膨れ上がった。
要するに、髭も長髪も、カムフラージュの手段に過ぎなかったのである。
従って、それらを失くせば、ずいぶん印象も変わるだろうと踏んだのだ。
しかし、それだけではまだ不安だった。
用心を重ねるに越したことはないので、俺は身にまとっていたぼろ布の裾を破り、それを顔中に巻きつけたのち、ようやく女たちの元へと向かった。