1.消えた鷹
本章のお話は、『英雄たちのその後1&2』を先に読んでいると、よりお楽しみいただける内容となっています。
――“レヴァニアの鷹”こと若き騎士団長にして、名門カルソッテ伯爵家の長男、ガンドレールの失踪。
国防ギルドに居合わせた連中からそれを聞かされたのは、ツヴェルナに戻ってわずか五日後、つまりは昨晩のことだった。
ゼルマンド軍の残党狩りの際、深手を負わされたガンドレールは、故郷の自宅に戻って療養していた折、忽然と姿を消したらしい。
だが、驚くべきはそれだけではなかった。
――何と、彼の部屋には、その父母と二人の弟たちの惨殺死体が残されていたという。
そればかりか、屋敷の使用人まで悉く殺されていたという話だった。
この国中を激震させた報せについて、人々の意見は完全に二分した。
『ガンドレールは何らかの事件に巻き込まれ、誘拐された』
『下手人はほかならぬ彼自身だ』
しかし、誰が何を言おうと、俺にははっきりとわかっていた。
たとえどんな理由があったとしても、あれほど真っ直ぐな信念を持った男が、家族を手にかけることは絶対にあり得ない、と。
『――全く馬鹿だよ、あいつは。ただ一人、派閥争いから身を置き、賄賂の類は決して受け取ろうとしない。騎士の世界にも、政治や駆け引きがあることをまるで知らないのさ』
ガンドレールが陰でそのように揶揄されるのを、かつて何度となく耳にしたことがあった。
しかし、彼は周囲に疎んじられながらも、剣の腕と実績だけを頼りに、遂にはあの若さで騎士団長にまで昇り詰めたのである。
そんな男だからこそ、戦場では常に、安心して背中を任せることができた。
あえて口に出したことはなかったが、俺は彼という人間そのものを、信頼していたのである。
イクシアーナ、ファラルモ、リアーヴェル、そしてガンドレール――共にゼルマンドを討った四人の中で、“俺を告発しなかった”と心から信じることができたのは、言わずもがな、ガンドレールただ一人だけだった。
『僕たち四人は、“何も見なかった”。そういうことにしませんか?』
ゼルマンドに勝利した直後、彼は真っ先にそう口にした。
目の前で暗黒魔術を使ったこの俺を、ただの一言も咎めないどころか、進んで庇いさえしたのである。
あのときの驚きを、俺は今も忘れていなかった。
確かに、共に馬を並べ、何度も死線を潜り抜けた仲ではあった。
けれども、さして言葉を交わした記憶もなく、決して親友などと言えるような間柄ではなかったはずだ。
戦場では頼りになる奴――お互いにとって、ただそれだけだと俺は考えていた。
にも関わらず、彼はほかの三人を説得し、自ら俺の罪の片棒を担いでみせた。
(たとえ、暗黒魔術に手を染めたとしても、俺の心根までは腐っていない――間違いなく、ガンドレールはそう信じていたのだろう)
融通の利かぬ生真面目とばかり思っていたが、決してそうではなかった。
彼は己の矜持を貫き、清濁併せ呑む広い度量を示してくれた。
しかし、あのときの俺は、ガンドレールに一言礼を述べたに過ぎなかった。
そればかりか、心のどこかで、冷笑的な眼差しさえ向けていたように思えてならない――。
『俺は、ゼルマンドを殺すためだけに生き永らえてきたようなものだ。それを成し遂げた今、もはやこの世に未練はない。煮るなり焼くなり、異端魔術審問所に告発するなり、好きにしろ』
そう口にしたことを、今でもはっきりと覚えている。
戦うことに、生きることに疲れ果て、心が荒みきっていたせいだ。
(――死んでも良いと考える人間を庇い立てするとは、ずいぶんな物好きだ)
少なからず、そんな風に斜に構えていた部分があったことを、恥じないわけにはいかなかった。
たとえ厚意に対する照れ隠しだったにせよ、それは愚か者の考えというほかない。
(――ガンドレールが助け船を出してくれたからこそ、今の俺がある)
本来ならば、あの場の四人に力づくで拘束されるか、はたまた殺されていたとしても、文句は言えない立場だったはずだ。
それなのに、俺は五体満足で生き延び、こうして安宿のベッドに寝転んでいる。
一方、彼は大事な人間を皆殺しにされた挙句、行方不明――その事実を思うと、ひどく暗澹たる心持ちになった。
(……だが、この俺に、一体何ができる?)
考えてみたが、まるでわからなかった。
彼を救い出そうと考えたところで、手がかりはただの一つもない。
そもそも、生きているかどうかさえ、定かではないのだ。
俺は自らの無力さを呪い、深いため息を漏らした――と同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「――あの、ケンゴーさま、お客さまがお見えになっております」
宿屋の給仕の声だった。いくぶん戸惑ったような響きを帯びている。
「……こんな朝っぱらにか? 一体誰だ?」
「名前は申しておりませんでしたが、身なりから察するに、大層なご身分のお方かと」
俺は訝しんだ。
“イーシャル”であったころなら、確かに貴族や大商人などと多少の付き合いがあった。
けれども、今は違う。
聖者を演じるようになって以降、その手合いの人間とは、宿を訪ねられるほど親しい関係を築いた覚えはない。
となれば、初めて会う人物に違いなかった。
「……わかった、部屋に通してくれ」
何とはなしに嫌な予感を抱きつつも、給仕にそう告げた。
やがて、再びドアをノックする音が部屋に響いてきた。
どうぞ、と言いながら、俺はベッドから身を起こして立ち上がった。
「――よう、また会ったな」
俺は我が目を疑った。
ずかずかと部屋の中に踏み込んできたのは、見事な白金の甲冑に身を包み、体躯にそぐわぬ鉄塊のごとき大剣を肩に担いだ、栗色の髪の少年だった。
そう、ほかでもない、レジアナスその人である。
「しっかし、ずいぶんとシケた塒だなあ。あんたの剣の腕で一稼ぎすれば、もっとマシなところに泊まれるだろうに」
レジアナスはぐるりと部屋を見回しながら、呆れたような声を出した。
「……余計なお世話だ、副団長。それで、急に何の用だ?」
彼は一瞬だけ口元を緩めたが、すぐに真剣な顔つきへと変わった。
「――俺自身や、俺の大切にする人が大きな困難に陥ったときは、必ず力を貸してくれると約束したよな?」
そのことは当然覚えていた。俺は黙ってうなずいてみせた。
「本当のことを言えば、こういう約束は後々まで大事にとっておきたかった。再会だって、もっと別なかたちでしたかったと心から思う。でも、そんなことは言っていられない事態に直面したんだ。力を貸して欲しい」
そう告げるレジアナスの顔には、はっきりと焦燥の色が浮かんでいた。