~英雄たちのその後2~ ガンドレールの罪と罰
今回のお話は、“レヴァニアの鷹”こと若き騎士団長、ガンドレールの視点で進行します。
(……神は、最愛の人を救わなかったこの愚か者に、罰を下したのだろうか)
薄れゆく意識の中、僕はかつて犯した己の罪――それは無論、イーシャルが磔の身となったとき、兵舎のベッドの中でうずくまっていたことだ――について想いを巡らせていた。
視界は靄がかったようにぼやけ、全身に力が入らない。
多少でも動かせるのは、もはや指先と首くらいのものだった。
(――これが“死”か)
ゼルマンド軍の残党狩りの際、最前線で指揮を執っていた僕は、不覚にも首筋に矢傷を受けた。
と言っても、それはかすり傷程度でしかなく、痛みは皆無に等しかった。
戦いに差し支えるようなものでは決してない。
ただし、矢毒を受けた可能性はあった。それだけが唯一の懸念だった。
(――首元から毒を吸い出すとなれば、自分では不可能だ。となれば、イーシャル以外の誰かが、僕の肌に唇をつけることになる)
実に馬鹿げているかもしれないが、たったそれしきのことが、僕に二の足を踏ませたのだ。
手当すべきか否かの判断を留保しているうちに、僕はますます戦いに夢中になり、やがて傷のことなどすっかり忘れてしまった。
――だが、結局はそれが命取りとなったのだ。
傷を受けて半日ほど経ったころ、急な眩暈に襲われた僕は、無残にも馬から転げ落ちた。
戦場で落馬するなど、人生で初めてのことだったので、自分でも驚かざるを得なかった。
不吉な予感に見舞われた僕は、息も絶え絶えで本陣に引き返した。
そして、すぐに軍医に診てもらったが、結果はあまりに無慈悲なものだった。
やはり、僕は矢毒を受けていたのだ。
おまけに、毒は全身に回っており、既に手の施しようがないと断言されたのである。
(――今回の遠征が終われば、イーシャル捜索の任につくはずだったのに)
それを思うと、悔やんでも悔み切れなかった。
おかしなことで頭を悩ませず、すぐに手当てさえ受けていれば、こんな事態には陥らずに済んだのである。
それが今となっては、生まれ育った我が家のベッドに身を横たえ、ただ死を待つだけの身となってしまった。
(――せめて、愛する君に手を握られて、最期を迎えられたら良かった)
そう願わずにはいられなかった。
だが、運命とは何と皮肉なのだろう。
今、現実に僕の手を握っているのは、人生で最も憎しみを抱いてきた人間である。
規律や規範、家名を押しつけ、幼い僕を容赦なく鞭で打ち、罵り、地面に蹴りつけてきた男――そう、我が父、ハブロスク・カルソッテ伯爵である。
父上は、僕に為したのと同じことを、愛すべき弟たちにも繰り返した。
僕は何度となく弟たちを救おうと考えたが、結局は勇気が出ず、自分のベッドにうずくまり、懺悔の涙を流し続けることしかできなかった。
以来、どれほど歳を重ねても、父上の前に出るたび、己の無力さを突きつけられるような心持ちがした。
ときには、それがひどい息苦しさとなり、過呼吸を起こしたことさえあった。
今思えば、イーシャルの死刑宣告を知ったのち、ベッドで泣き暮らすことを選んでしまったのも、“自分には愛する者を救う力がない”という諦めに支配されていたせいかもしれない。
父上は、この身に屈辱と無力感という“呪い”を植えつけた張本人と言えた。
「弟たちも、お前と同様、……いや、それ以上に厳しく鍛えたつもりだったが、私の望んだ通りには成長しなかった」
やがて、ずっと黙っていた父上が、ぽつりとそう漏らした。
今、この部屋にいるのは、僕と父上の二人きりである。
母上は、僕の最期を看取るために戻ってきた弟たちを出迎えに、ちょうど席を外したところだった。
「――お前が、お前こそが、カルソッテの家を継ぐに相応しい者だったのに」
僕は自分の耳を疑った。
生まれてこの方、ただの一度さえ、父上に褒められたことはなかった。
そればかりか、彼の瞳には、薄らと涙さえ浮かんでいる。
無論、泣き顔を見るのは、人生で初めてのことだった。
「……父上、この僕を、認めて下さるのですか?」
気づくと、僕はそう問いかけていた。
父上の下す評価など、何の価値もない――常々そう自分に言い聞かせてきたにもかかわらず、今わの際にそれを気にかけるとは、我ながら苦笑を漏らさずにはいられなかった。
「何を言うか。当たり前であろう。私は真実しか言わぬ」
父上はそう言って、僕の手を一層強く握りしめた。
「我が一族でも、その若さで騎士団長にまで出世したのは、お前を除いて誰もおらぬ。そして何より、お前はあのゼルマンドを討った英雄の一人だ。私は不器用で、厳しい態度に出ることしかできなかったが、それでも、お前のことは常に誇りに思っていた」
それを聞いて、嬉しくなかったと言えば嘘になる。
無論、この程度で父上を許すつもりは毛頭なかったが、それでも、彼が決して嘘を口にしない人間だということは、誰よりも深く理解していた。
昔から父上の口癖は、“私は真実しか言わぬ”だった。
父上が僕を誇りに思っていたと口にするなら、それは紛れもない事実であり、疑いを挟む余地は微塵もない。
(――少しは、自分を誇ってもいいのだろうか?)
今さらながら、そんな風に思うと、急に胸のつかえが取れたような、どっと肩の荷が下りたような気持ちになった。
同時に、ひどい眠気に襲われた僕は、ゆっくりとまぶたを閉じた。