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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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~英雄たちのその後2~ ガンドレールの罪と罰

 今回のお話は、“レヴァニアの鷹”こと若き騎士団長、ガンドレールの視点で進行します。

(……神は、最愛の人を救わなかったこの愚か者に、罰を下したのだろうか)


 薄れゆく意識の中、僕はかつて犯した己の罪――それは無論、イーシャルが磔の身となったとき、兵舎のベッドの中でうずくまっていたことだ――について想いを巡らせていた。

 視界は靄がかったようにぼやけ、全身に力が入らない。

 多少でも動かせるのは、もはや指先と首くらいのものだった。


(――これが“死”か)


 ゼルマンド軍の残党狩りの際、最前線で指揮を執っていた僕は、不覚にも首筋に矢傷を受けた。

 と言っても、それはかすり傷程度でしかなく、痛みは皆無に等しかった。

 戦いに差し支えるようなものでは決してない。

 ただし、矢毒を受けた可能性はあった。それだけが唯一の懸念だった。


(――首元から毒を吸い出すとなれば、自分では不可能だ。となれば、イーシャル以外の誰かが、僕の肌に唇をつけることになる)

 

 実に馬鹿げているかもしれないが、たったそれしきのことが、僕に二の足を踏ませたのだ。

 手当すべきか否かの判断を留保しているうちに、僕はますます戦いに夢中になり、やがて傷のことなどすっかり忘れてしまった。


 ――だが、結局はそれが命取りとなったのだ。


 傷を受けて半日ほど経ったころ、急な眩暈に襲われた僕は、無残にも馬から転げ落ちた。

 戦場で落馬するなど、人生で初めてのことだったので、自分でも驚かざるを得なかった。

 不吉な予感に見舞われた僕は、息も絶え絶えで本陣に引き返した。

 そして、すぐに軍医に診てもらったが、結果はあまりに無慈悲なものだった。

 やはり、僕は矢毒を受けていたのだ。

 おまけに、毒は全身に回っており、既に手の施しようがないと断言されたのである。


(――今回の遠征が終われば、イーシャル捜索の任につくはずだったのに)


 それを思うと、悔やんでも悔み切れなかった。

 おかしなことで頭を悩ませず、すぐに手当てさえ受けていれば、こんな事態には陥らずに済んだのである。

 それが今となっては、生まれ育った我が家のベッドに身を横たえ、ただ死を待つだけの身となってしまった。


(――せめて、愛する君に手を握られて、最期を迎えられたら良かった)


 そう願わずにはいられなかった。

 だが、運命とは何と皮肉なのだろう。

 今、現実に僕の手を握っているのは、人生で最も憎しみを抱いてきた人間である。

 規律や規範、家名を押しつけ、幼い僕を容赦なく鞭で打ち、罵り、地面に蹴りつけてきた男――そう、我が父、ハブロスク・カルソッテ伯爵である。

 父上は、僕に為したのと同じことを、愛すべき弟たちにも繰り返した。

 僕は何度となく弟たちを救おうと考えたが、結局は勇気が出ず、自分のベッドにうずくまり、懺悔の涙を流し続けることしかできなかった。


 以来、どれほど歳を重ねても、父上の前に出るたび、己の無力さを突きつけられるような心持ちがした。

 ときには、それがひどい息苦しさとなり、過呼吸を起こしたことさえあった。

 今思えば、イーシャルの死刑宣告を知ったのち、ベッドで泣き暮らすことを選んでしまったのも、“自分には愛する者を救う力がない”という諦めに支配されていたせいかもしれない。

 父上は、この身に屈辱と無力感という“呪い”を植えつけた張本人と言えた。


「弟たちも、お前と同様、……いや、それ以上に厳しく鍛えたつもりだったが、私の望んだ通りには成長しなかった」


 やがて、ずっと黙っていた父上が、ぽつりとそう漏らした。

 今、この部屋にいるのは、僕と父上の二人きりである。

 母上は、僕の最期を看取るために戻ってきた弟たちを出迎えに、ちょうど席を外したところだった。


「――お前が、お前こそが、カルソッテの家を継ぐに相応しい者だったのに」


 僕は自分の耳を疑った。

 生まれてこの方、ただの一度さえ、父上に褒められたことはなかった。

 そればかりか、彼の瞳には、薄らと涙さえ浮かんでいる。

 無論、泣き顔を見るのは、人生で初めてのことだった。


「……父上、この僕を、認めて下さるのですか?」


 気づくと、僕はそう問いかけていた。

 父上の下す評価など、何の価値もない――常々そう自分に言い聞かせてきたにもかかわらず、今わの際にそれを気にかけるとは、我ながら苦笑を漏らさずにはいられなかった。


「何を言うか。当たり前であろう。私は真実しか言わぬ」


 父上はそう言って、僕の手を一層強く握りしめた。


「我が一族でも、その若さで騎士団長にまで出世したのは、お前を除いて誰もおらぬ。そして何より、お前はあのゼルマンドを討った英雄の一人だ。私は不器用で、厳しい態度に出ることしかできなかったが、それでも、お前のことは常に誇りに思っていた」


 それを聞いて、嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 無論、この程度で父上を許すつもりは毛頭なかったが、それでも、彼が決して嘘を口にしない人間だということは、誰よりも深く理解していた。

 昔から父上の口癖は、“私は真実しか言わぬ”だった。

 父上が僕を誇りに思っていたと口にするなら、それは紛れもない事実であり、疑いを挟む余地は微塵もない。


(――少しは、自分を誇ってもいいのだろうか?)


 今さらながら、そんな風に思うと、急に胸のつかえが取れたような、どっと肩の荷が下りたような気持ちになった。

 同時に、ひどい眠気に襲われた僕は、ゆっくりとまぶたを閉じた。

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