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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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32.三つ数えろ

 俺とレジィは、共にブエタナの書斎へ向かい、そのドアの前に立った。


「――ブエタナ様、中にいらっしゃいますか?」


 レジィが呼びかけると、やや間を置いてから返事があった。


「……あなたがここに来たということは、あの者を生け捕りにしたのね?」


 それを聞くなり、レジィは満面の笑みをこちらに向けてきた。


「仰せの通りです」


 必死に笑いを押し殺しながら、彼が答えた。


「……よくやったわ。お入り」


 二人揃って中に踏み入ると、ブエタナは深々とソファに背をもたせ、ワインをあおっている最中だった。

 逃げも隠れもしなかったのは、自分の命運が尽きるなどとは、露ほども考えていなかったからだろう。


「――また会ったな」


 そう声をかけると、ブエタナはグラスを床に落とした。

 小さく乾いた音と共にそれは砕け、彼女の足元に破片が散った。


「……レジィ、これはどういうこと?」


 そう尋ねる彼女の顔は、ゾッとするほど青白かった。


「どういうことって言われても。まあ、見た通りだよ」


 言いながら、レジィは銀十字のペンダントを懐から取り出し、ブエタナの眼前に突きつけた。

 彼女はそれだけで全てを察したらしく、諦めたような笑みを口元にたたえた。


「……で、私にどうしろと?」


「俺たちの望みは一つ。南部総督とのつながりを明らかにする証拠だ。断ったら、どうなるか想像はつくよな?」


 有無を言わせぬ口調でレジィが詰め寄ると、ブエタナは唇を噛み、ゆっくりと窓の外に目を移した。

 長い沈黙の後、彼女は重々しい口ぶりで、わかったわ、と囁くように言った。


「……でも、その前に葉巻を吸わせてちょうだい。気を静めたいのよ。たったの一口でいいから」


「――駄目だ」


 レジィがぴしゃりと言い放つと、ブエタナは小さく嘆息し、ソファから立ち上がった。

 そして、部屋の奥に置かれた書き物机に向かい、その抽斗(ひきだし)から鍵束を取り出した。

 次いで、足を向けたのは、机の後方に位置する本棚だった。

 彼女はその前に立つと、縁に手をかけて静かに真横に滑らせた。

 奥に隠されていたのは、黒塗りの大きな金庫である。

 彼女はそれを鍵で開け、中から書類の束を取り出し、こちらに放り投げた。

 レジィはそれを拾い上げると、食い入るような視線を注ぎつつ、せわしなく紙をめくり出した。


「……総督と取引した際の契約書よ。直筆のサインもある」


 ブエタナはそう告げると、書き物机の前に置かれた椅子に座り、荒々しい手つきで抽斗から葉巻を引っ張り出した。

 彼女はナイフを用いて吸い口を切り落とすと、急いでそれを咥え、卓上の火打石を用いた点火器で火をつけた。

 葉巻の先から、次第に立ち昇ってゆく青白い煙を、彼女は眺めるともなく眺めていた。


「――本物だ。間違いないッ!!」


 やがて、レジィが歓喜に満ちた声を上げた。

 同時に、ブエタナが抽斗に手を忍ばせつつ、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


「悪いけれど、あなたたちに引導を渡されるのだけはご免よ」


 言いながら、赤く発光する小さな球体を取り出し、顔の高さまで掲げてみせた。

 ブエタナの表情には、満ち満ちた恍惚の色が浮かんでいる。


「……私の手にしているもの、何だかわかるわよね?」


 それは、“封魔焼夷爆弾(マジック・ナパーム)”と呼ばれる代物だった。

 扱い方は簡単で、手投げ式の爆弾と同様、導火線に着火して対象物に投擲するだけである。

 だが、魔力によって増幅されたその破壊力は、凄絶の一言に尽きた。

 この部屋など、瞬時に跡形もなく吹き飛ばされ、辺り一帯はすぐさま炎の渦に呑まれるだろう。

 そもそも、“封魔焼夷爆弾”は、攻城兵器として用いられるのが基本なのだ。

 屋内で起爆させれば、屋敷そのものが崩潰しかねない。


「――二人とも、道連れにしてあげるわ」


 咥えた葉巻の先端を、そっと口づけするように、導火線と触れ合わせた。

 たちまち着火した導火線は、勢いよく縮み出す。

 俺とレジィは、同時に顔を見合わせた。


「……いやはや、ヤキが回ったな」


 レジィが、絶望を滲ませた声で言った。


「――諦めるのは、まだ早い」


 俺は迷わず、“血の大剣”をブエタナに投げ放った。

 だが、彼女は満ち足りた表情を浮かべたまま、それを避けようともしなかった。

 自分が死んだところで、俺たちの運命は変わらない――全身でそう物語っているかのようだった。

 俺は声を大にして叫んだ。


「――血の剣よ、元の姿に還れッ!!」


 大剣は、直ちに中空で液状と化し、血しぶきとなってブエタナに降りかかった。

 葉巻と導火線の火、そしてブエタナの表情――それらが、一瞬のうちに消えてなくなった。


「……なぁレジィ、一つだけ教えてくれ。この女はもう用済みか?」


 尋ねると、彼は力強くうなずいた。


「証拠は既に手に入れた。これ以上聞き出すことは、もはや何一つとして残っていない」


 その答えに、俺はいたく満足した。

 俺はゆっくりと歩を進め、書き物机を蹴り倒し、ブエタナの前に立った。


「すっかり忘れていたが、用心棒を務めた分の報酬、まだ受け取っていなかったよな?」


 そう問うと、ブエタナはこくりとうなずいた。


「……いくらでも弾むわ。言われた通りの額を支払う。私には、それだけの貯えがあるのよ。さあ、遠慮せずに言って御覧なさい。その代わり、命だけは見逃して欲しいの」


 ブエタナの顔は、底知れぬ恐怖によって醜く歪み、まるで老婆のごとく変貌していた。

 俺は、心の底から彼女を哀れんだ。


「――金は要らん。その代わり、三つ数えろ」


 そう言って睨みつけると、ブエタナはひどく困惑した表情を浮かべた。


「……それに従えば、助けてくれるのよね? はっきり教えてちょうだい」


 俺は彼女の質問を無視した。答えてやる義理はない。


「――三つ数えろ、と言ったんだ。拒否権はない」


 さらに語気を強めると、ブエタナは諦めたように嘆息した。


「……いち」


 彼女が言い終えた瞬間、俺は「剣を」とレジィに叫ぶ。


「――ほらよッ」


 彼が放った大剣の柄を後ろ手に掴むと、直ちにブエタナの右肩口を一閃した。

 剣尖は、易々とその肉を裂き、激しい血しぶきが舞い上がる。

 右腕一本が、そっくりそのまま斬り落とされ、静かに床に転がった。


「……あ、あ、う」


 ブエタナは、呆けたように口を動かしながら、自分の右腕を見下ろしていた。


「――今のは、あんたが食い物にしてきた女たちの分だ。残りは二つ。さあ、数えろ」 


 ブエタナは、目に涙をあふれさせながら、小さく首を横に振った。


「駄目だ。言う通りにしろ」


 剣先を喉元に向けると、ブエタナは全身をわなわなと震わせ、両膝を床についた。


「……に」


 そう口にしたの同時に、ブエタナは失禁した。

 次いで、彼女は我に返ったような顔つきなり、必死に立ち上がろうともがき始めた。

 だが、俺はその頭を思い切り押さえつけ、力づくで動きを封じた。

 そして今度は、左肩口を目がけ、容赦ない斬撃を叩き込む。


「――これは、“天使の園”の子どもたちの分」


 言い終えると同時に、ブエタナの左腕が、付け根から丸ごと床に落ちた。

 血だまりに囲まれた彼女は、赤子のように口をぱくぱくとさせながら、声を上げずに喘いだ。

 じっとその様を見やりつつ、再び剣尖を喉元に突きつけると、彼女は覚悟を決めたように目を閉じた。


「……さん」

 

 力ない声を聞くなり、俺は深々と床に剣を突き立てる。

 そして、右の拳に、ありったけの怒りと力を込めた。

 脳裏には、“天使の園”で無念の死を遂げた、あの少年の顔が浮かんでいた。


(――これは、お前の分だ)

 

 ブエタナの顔面に、渾身の正拳を叩き込むと、盛大な血しぶきが上がった。 

 彼女の鼻は、おかしな方向に折れ曲がり、砕けた前歯が二本、音もなく床に転がった。


「……すまない。三では数が足りなかったようだ」


 言いながら、俺は剣を引き抜き、力いっぱい柄を握り締める。


「――腐り切った、てめえの頭に、別れを告げろ」


 ブエタナの首が、宙に飛んだ。

 この女のために命を散らした全ての者に贈る、せめてもの手向けだった。

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