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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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31.元用心棒対用心棒

 取り乱したブエタナを目にしたのは、間違いなく今回が初めてだった。


(――奪うばかりで、失ったことがないのだろう)


 俺は彼女を哀れむと同時に、とうとう風向きが変わったことを悟った。


「――ブエタナ様ッ!! 気を確かにッ!!」


 全身に裂傷を負い、血まみれになったレジィが、大剣を杖替わりに立ち上がり、声を張り上げた。


「これ以上、ここにいては危険です。お逃げください」


 レジィの言葉に従い、ブエタナは一目散に扉の前まで走った。

 そして、怒りに肩を震わせながら、彼にこう命じた。


「……その者を生け捕りにしなさい。絶対によ」


 それから、彼女は俺の目を真っ直ぐに見た。

 その顔は、激しい憎悪で歪み切っている。


「あなたのことは、この私が、自らの手で殺してあげるわ。たっぷりと時間をかけて、この世の全ての苦痛を与えた上でね」


 走り去るブエタナを、視界の端に映しながら、俺は再び剣を構えた。

 正直に言えば、立っているのがやっとの有様だった。

 間違いなく、血を流し過ぎたせいである。


(……このままでは、いずれこの命も尽きる)


 はっきりとそれを感じつつ、俺はレジィを見やった。

 彼もまた、大剣を支えにすることで、ようやく立っているという状態だった。

 一刻も早く止血をするには、彼との一騎討ちを制する以外に道はない。

 

(――まだ死ぬわけにはいかぬ)


 俺は自らに言い聞かせた。

 ブエタナをとっ捕まえ、南部総督との癒着を暴く証拠を掴むまでは、是が非でも生き続けなければならない。


(――頼りになるのは、もはやこの一振りのみ)


 剣の握りに、俺は力を注いだ。

 部屋の床を満たした血は、既にことごとく乾いている。

 数え切れないほど転がっていた骸も、今では一つ残らず焦げた肉塊と化した。

 片っ端から、“血液爆破ブラッド・エクスプロージョン”の媒介にしたためである。

 加えて、己の血で血操術を使うことも不可能と言えた。

 これ以上の血を失うことは、自殺行為に等しい。

 従って、剣と剣、力と力の純粋なるぶつかり合いのみが、残された選択肢だった。


(――だが、それもまた一興)


 元より俺は、剣で身を立ててきた男だ。

“剣聖”などと呼ばれるのは、実にこそばゆかったが、それでも、数多(あまた)の戦場を、剣を頼りに生き抜いてきたことは事実である。


「……頼んだぞ」


 自分でも馬鹿げていると思ったが、俺は剣にそう語りかけた。

 そして吼えた。


「――うおおおおおおおおッ!!」


 もつれそうになる脚を懸命に動かし、俺はレジィに向かっていった。

 彼もまた、全く同時にこちらへ駆け出した。


(――おそらく、勝負は一瞬で決まる)


 俺はそれを予感した。

 もはや、お互いにほとんど力は残されていない。

 なればこそ、次の一振りに全身全霊を捧げ、一気に相手を叩き潰すのが常道である。

 無論、俺自身とてそのつもりだった。


 ――だが、そこに一片の曇りが生じた。


「……ッ!?」


 俺は我が目を疑った。

 互いの間合いに入る、その寸前で、レジィが手にした大剣を投げ放ったのである。

 それは、真っ直ぐに俺の胸へと迫ってきたが、速さにも勢いにも、明らかな陰りが見えた――いや、より正確に言えば、あえて加減したと言わんばかりの手緩さだった。

 まるで殺意が感じられないのである。防ぐのは容易に思われた。


(――どういうことだ?)


 俺は首を捻らざるを得なかった。

 斬り合いを始めてからというもの、レジィは常に沈着冷静であり続けた。

 行動には一切の迷いも無駄もなく、その全てが“俺を殺す”という目的において、正しく効率的に機能していた。

 まるで精密機械のようだ、と俺は思った。一種の畏怖の念さえ覚えた。

 そんな相手が、最後の最後で勝負を放棄するなど、到底考えられることではない。


(――ならば、何か別の意図が隠されているはずだ)


 訝りつつ、しっかりとレジィの大剣を払い落とした、そのときだった。


(……しまったッ!!) 


 武器を捨てて身軽になったレジィが、電光石火の速さで、こちらの懐に飛び込んでいた。

 意識が朦朧としかけていたからこそ、普段以上の集中が求められていた。

 にもかかわらず、相手の挙動を疑うあまり、俺は僅かに呼吸を乱した。

 自ら招いた隙を、まんまと突かれたのである。

 ニヤリと笑ったレジィが、俺の顔を目がけ、真っ直ぐに右手を伸ばした。


(――してやられた)


 果たして、彼の用意した止めの一撃は、いかなる類のものか――それは想像さえつかなかったが、俺はとうとう覚悟を決めた。

 そして、ゆっくりと目を閉じた。



「……やっぱり、あんただったか」



 安堵のため息を交えたレジィの声が、耳に飛び込んできた。

 そっと目を開くと、くたびれたような笑顔の彼が、こちらを見上げていた。

 その手には、一体どういうわけか、俺の顔に巻かれていたはずの布が握られている。


「あんたの剣筋は、一度だけだが、賭け闘技場で見た。だから、もしかしてそうじゃないかと疑っていた」


「要するに、正体が俺と分かったら、殺り合うつもりはない――そういうことか?」 


 尋ねると、お察しの通り、とレジィは答えた。


「……しかし、あんたって人は、実に驚かせてくれる。ルミネラをさらい、ガルノガ一家に屋敷の襲撃を焚きつけ、見破られ、果ては奴隷に身を落とした――そう思っていたのに、まさか抜け出して、たった一人で殴り込みに来るとはね。その上、暗黒魔術の使い手ときた」


 そう言って、レジィは小さく笑い出した。


「そんな男が“聖者様”とは、聞いて呆れる。ほとんど悪魔の化身じゃないか」


「御託は十分だ。何が言いたい?」


 レジィの胸元に剣先を向けると、「友好的にいこうぜ」と彼は言い、大きな深呼吸を一つした。


「……まあ、あんたなら、別に教えても構わないか」


 言いながら、彼は懐に手を忍ばせた。

 そして、取り出した細い銀鎖のペンダントを、俺の眼前に突きつけたのである。

 その先端には、二つの剣が組み合わさった形状の、銀の十字架がぶら下がっていた。

 正真正銘、聖ギビニア騎士団に所属する聖騎士の証だった。


(――まさか、レジィが潜入捜査員だったとは)


 俺は完全に言葉を失っていた。

 大方、屋敷の使用人のうちの誰かであろうと、見当をつけていたからだ。

 人数が多く、潜り込みやすいとなれば、当然そこに行き着く。

 逃がした七人の中にいたのでは、とも考えていた。

 だが、予想はものの見事に裏切られた。


「……教会の命を受けて、俺はこの屋敷に潜り込んだ」


 いくぶん神妙な面持ちで、レジィが口を開いた。


「細かい説明までし出すと、少々厄介なんだが、一言で説明するなら、ブエタナの悪事を一つ残らず暴いてやろうってわけさ。要するに、俺とあんたは、斬り合ったところで何一つ得をしない。それを証明したかった」


 言い終えるなり、レジィがこちらに歩み寄った。

 そして、俺の胸部の傷口に、そっと手をかざす。


「――神聖なる光よ、彼の者に癒しの施しを」


 そう唱えると、彼の手に白く温かい光が宿り、直ちに流血が止んだ。

 次いで、同様の魔術を用い、自分自身の傷も治療した。


「……今のはまあ、お近づきの印ってところだ。で、そのお返しと言っちゃあ何だが、あんたの目的を知りたい」


 レジィがこちらに向けた眼差しは、いつになく真剣なものだった。


「馬鹿みたいな危険を冒し続けたのには、相応の理由があるはずだ。それくらいは教えてくれたって、構わないだろう?」


「――腐り切った、この町の掃除だ」


 俺はそう答えた。


「バルボロ一家とガルノガ一家を壊滅させ、ブエタナの身柄を拘束する。そして、南部総督との癒着を示す証拠を吐かせる。最大の狙いはそれだ。娼館に囚われた女たちの解放は、おそらく教会が担ってくれると踏んでいる。違うか?」


 尋ねると、レジィは低い笑い声を漏らした。


「……いやはや、またもや驚かされたよ。まさか、俺と同じ目的だったとはね。で、あんたはどこの組織の回し者だ?」


「どこの組織にも、属してなどいない」


 そう告げると、レジィは途端に眉をひそめたが、すぐに思い当たった顔になった。


「……なるほどね。あんたは、“傷跡の聖者”として、顔も名前も割れている。この手の仕事を任せるには、お世辞にもおあつらえ向きとは言えない。そして何より、好き好んで暗黒魔術の使い手を雇う組織なんて、どこにもありゃしない。ゼルマンド軍の残党なら、話は別だろうが」


 レジィはそこで口をつぐみ、まじまじと俺の顔を見た。


「要するに、何の後ろ盾もなく、たった一人きりで、この町を掃除しようと動いていたわけだ。しかも、目的達成は現実のものになりかけている」


 そう言うなり、レジィは盛大に笑い声を上げた。


「はっきり言うけど、あんたはブエタナ以上の化物だよ」


「……誉め言葉として受け取っておこう」


 そう返すと、レジィは共犯者を見るような眼差しを向けてきた。


「共に用心棒を務めたよしみもある。最後は、二人で仕上げと洒落込みますか」


 黙ってうなずいてみせると、レジィは真っ白な歯を剥き出しにして微笑みかけてきた。

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