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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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30.聖母の叫び

(――まずいッ!!)


 レジィの剣尖が、勢いを保ったまま、真っ直ぐ胴に向かってきた。

 俺は存分に体をのけ反らせ、大きく後方に飛ぶ。


(……間一髪だった)


 背中にいやな汗を感じつつ、安堵のため息を漏らした。

 鎧の表面を斬られはしたものの、無傷で済んだのは、“血の活性”のお陰にほかならなかった。

 脚力と動体視力が強化されていなければ、致命傷を負っていたに違いない。


「本気だったのに、仕留め損なっちゃったよ。やるじゃん、あんた」


 レジィは感心したような声を出すと、すぐに剣を構え、再び矢のごとく走り出す。

 だが、こちらは完全に丸腰だった。


(――何としても、時間稼ぎをしなければ)


 そこで俺が選択したのは、無詠唱の“血液爆破ブラッド・エクスプロージョン”だった。

 レジィの傍に転がる死体を、手当たり次第に爆破させ、遮二無二(しゃにむに)接近を防ぎ続けたのである。

 そして、十分に距離をとったのを確認したのち、手近にあった血溜まりから“血の大剣”を錬成した。

 それは、ただひたすらに大きく、分厚く、大雑把な一刀で、レジィの鉄塊のごとき大剣を上回る刀身を有していた。


(――これならば、二度と折れることはあるまい)

 

 かくして、態勢を整えはしたものの、その後は防戦一方に追いやられた。

 後方に下がったルミネラが、次から次へと鉄球を投げつけ、それを捌くか避けるかすると、その隙を突いてレジィが襲いかかってくる――二人は、馬鹿の一つ覚えのように、この戦法を繰り返すようになった。

 ルミネラが当初見せていた、こちらを弄ぶような奇想天外な戦いぶりは、完全になりを潜めていた。


(――本気で、殺しにかかってきている)


 そう思わざるを得なかった。

 二人が前衛と後衛に分かれたやり口は、実に単純だが、確実性に富んでいた。

 こちらが動きを誤れば、その瞬間に、即あの世行きとさえ思われた。

 少なくとも、棺桶に片足を突っ込むことにはなるだろう。

 おまけに、二人の連携には少しの隙もなく、呪文詠唱のために意識を集中することさえ難しかった。

 どちらか一人でも仕留めない限り、敗北は必定と言えた。

 これほどまでに死を身近に感じたのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。


(……このままでは、埒が明かない)


 体力と集中力が次第に消耗していくのを、俺は感じ取っていた。

 そして、これこそが二人の狙いに違いなかった。


(――いずれ訪れるであろう、俺のミスを突き、一気呵成(いっきかせい)に勝負を決めるつもりなのだ)


 虎視眈々と、二人がその機会を窺っていることは、容易に想像できた。

 だが、それは裏を返せば、次のようにも言い換えられる。


(――こちらがミスをすれば、二人は戦い方を変える)


 ほかに打開策が見当たらない今、命の危険は承知の上で、俺は賭けに出ることを決めた。

 そのときだった。


「……ルミネラ、レジィ、いつまで遊んでいるつもり?」


 部屋の隅で、高みの見物を決め込んでいたブエタナが、そう声を荒げた。

 終わりの見えない戦いに、業を煮やしたに違いない。

 大層なご身分だと思ったが、その一言で二人が躍起になってくれれば、こちらとしては儲けものである。

 だが、そう都合良く事は運ばなかった。


「――伯母様、申し訳ないけれど、黙っていてくれる?」


 ルミネラが、ぴしゃりとそう言い放ったのだ。

 彼女が伯母に盾突く姿を見たのは、今回が初めてだった。

 だが、それだけ本気なのだ、と俺は思った。


(――たとえブエタナに(とが)められようと、二人が戦い方を変えることはない)


 それを確信した俺は、遂に覚悟を決めた。

 ルミネラの放った鉄球を、あえてその身に受けたのである。


「……ッ!!」


 密かに後方に飛び、ダメージを緩和こそしたものの、その一撃は強烈に左脇腹を打った。

 覚悟こそしていたが、あばら骨の二、三本は間違いなく逝った。

 そして、俺は演技ではなくよろめき、地面に片膝を突いた。 

 それは、誠に奇妙ではあるが、真実と虚構が入り混じった、まさに命懸けの演技と言えた。


「――残念だけど、遂にお終いだね」


 つまらなさそうに言いながら、レジィが間合いに踏み込み、狂ったように剣を打ち込んできた。

 止めを刺しに来たことは、火を見るよりも明らかだった。

 俺は歯を食いしばり、必死にそれに喰らいつく。

 互いの剣が触れ合うたび、激しい火花が散った。

 まるで、命そのものをぶつけ合っているような感覚だった。

 踊るように、何度も剣を重ねる傍ら、背後に死の影を感じ続けた。

 死の剣舞、と俺は思った。

 それほどまでに、斬り合いは凄絶を極めた。

 だが、同時に手応えを感じてもいた。

 遠距離から鉄球を放てば、レジィさえ巻き込みかねない――そんな状況が続くように仕向け、見事成功させたのだ。


 そして、遂にその瞬間がやってきた。

 後衛に位置していたルミネラが、機は熟したと見たらしく、背後から迫ってくるのを目の端に捉えたのである。

 しかし、俺はそれに気づかぬふりをした。

 あくまでも、レジィとやり合うだけで手一杯、という体を装い続けた。

 

 やがて、ルミネラが背後に立ったのを、俺は気配で感じ取った。

 レジィの剣を捌きつつ、ちらと後ろを見やると、彼女は既にモーニングスターを高々と頭上に振り上げていた。


「――さようなら。愛を込めてこれを送るわッ!!」


 俺は咄嗟に頭上に剣を振り上げ、全身全霊の力で鉄球を受け止める。

 あばらに激痛が走り、思わず膝を折りそうになるが、血が滲むまで唇を噛み、自らを奮い立たせた。

 結果、どうにか踏み止まったが、無論、胴体はがら空きである。

 瞳の中には、最後の一太刀を浴びせようと、大剣を振りかぶったレジィの姿が映っていた。

 死の影を、さらに色濃く感じながらも、極限まで意識を集中させた。

 これより先は、生きるか死ぬか、二つに一つだった。


「――うおおおおおおおおッ!!」


 俺は力の限り咆哮した。

 そして、全身をばねのように弾かせ、力任せに鉄球を跳ね飛ばした。

 一方、レジィの放った渾身の袈裟斬りは、既に左肩に到達しかけていた。

 俺は剣の軌道と速さを見極めながら、小さく後方に飛ぶ。

 剣尖は易々と鎧を裂き、さらには肩から胸にかけての肉を抉った。

 鮮血が、盛大に眼前に散った。



 ――だが、俺はまだ生きていた。



 死なない程度(・・・・・・)に斬らせることに、成功したのである。


「血よッ!! 矢の雨となって全てを貫けッ!!」

 

 朦朧とする意識の中、自らの血を媒介に血操術を唱えた。

 鋭い血の刃が、放射状に拡散し、近距離からレジィとルミネラを強襲する。


(――肉を斬らせて、骨を断つ)


 俺の狙いは、まさにこの一言に尽きた。

 二人を前線に誘い出し、あえて一太刀を我が身に受ける。

 それも、相手に仕留めたと思わせるような、強烈な一撃を、だ。

 だからこそ、その一撃のあとには、逃れようのない隙が生じる。


「……あ、ああッ!!」


 体中を裂かれたルミネラが、苦悶に満ちた声を発し、よろめきながら後退した。

 一方、レジィは咄嗟に大剣を盾替わりにし、その陰に身を隠していた。

 だが、あれほどの近距離から、全ての血の刃を防ぐことは不可能である。

 深手を負わせたことは間違いなかった。


「――うおおおおおおおおッ!!」


 俺は目を見開き、再び吼えた。

 まだ意識を失うわけにはいかなかった。

 

「――血の剣よ、地を這いずる蛇となれッ!!」


 詠唱するや否や、血の大剣が生き物のようにうごめき出す。

 それは鞭のようにしなって伸び、半死半生のルミネラに足元から絡みつき、その体をきつく締め上げた。

 そして、大蛇の牙のごとき鋭い先端で、彼女の喉を深々と喰い破った。


「……あ、お、伯母様、さっきは、口答えして、ごめんなさい」


 喘ぐように、途切れ途切れに言葉を発しながら、ルミネラは遂に絶命した。


「……ルミネラ、私の可愛いルミネラ」


 椅子から立ち上がったブエタナが、呟くように言った。


「――い、いやあぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


 偽りの聖母の狂ったような叫びが、部屋中に激しく響き渡った。

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