29.レジィとルミネラ
一階に出た俺は、不気味に静まり返ったホールを横切り、二階へ続く階段を駆け登る。
そして、迷わず廊下を突き進み、遂に大広間の扉の前に立った。
(――いよいよだ)
深呼吸を一つして、思い切り扉を押し開く。
「……ッ!?」
俺は我が目を疑った。
大広間で開かれていたのは、ずいぶんと趣の変わったパーティだったらしい。
あちこちに壊れた机や食器類、料理が散乱し、壁中に破損が見受けられた。
そればかりか、床一面は血の海と化し、数え切れぬほどの死体さえ転がっていたのである。
いつぞや寝込みを襲いに来たドン・ガルノガの手下たち、年かさの使用人、屋敷の料理人――見覚えのある顔も、その中に大勢混じっていた。
そして、立派な燕尾服をまとったドンは、青ざめた顔のまま、部屋の中央にひざまずいていた。
彼の両脇には、衣装を血で染めたレジィとルミネラが立っている。
肩に大剣を担いだレジィは、例のごとく退屈そうな表情を浮かべていたが、ルミネラはそれとは対照的に、楽しくて仕方ないといった顔つきだった。
彼女は黒いドレスを身にまとい、つま先と踵に鋭い刃があしらわれたブーツを履いている。
おまけに、その手には、モーニングスター――打撃武器の一種で、柄頭にスパイクの生えた鉄球が配されている――が握られていた。
先端の鉄球の大きさは、人間の頭の倍ほどもあった。
どう見ても、並の女が扱える代物ではない。
「――あら、ずいぶんと遅れた参加ね」
氷のような声で言い放ったのは、“ポリージアの聖母”その人だった。
顔を隠した俺を、ガルノガ一家の一味だと勘違いしているのだろう。
彼女は広間の隅に置かれた肘掛け椅子に腰を据え、優雅にワインを嗜んでいた。
(……一体、何が起きたというのだ?)
まさしく、血で血を洗う抗争の最終局面といった様相である。
生存者は、ブエタナ、レジィ、ルミネラ、そしてドン・ガルノガの四人だけだった。
「これでも、あなたたち一家とは、本気で仲良くしようと思っていたのよ」
ブエタナが、けれん味たっぷりの口調で話しかけてきた。
「でも、錚々たるガルノガ一家の面々を前にしたとき、ふと気がついたの。商売敵と手を組むのは、私のやり方に相応しくないとね。私は基本的に慎重で計画的な人間ではあるけれど、今回ばかりは素直に直観に従った、というわけ。ときには大胆に出ることが、成功の秘訣なのよ」
ブエタナはそこで言葉を置き、一口ばかりワインを啜った。そしてこう続けた。
「何にせよ、あなたたちには申し訳ないことをしたとは思うわ。まるで騙し討ちですもの。とは言え、ずいぶんこちらも人手を失ったのだから、お互い様ということにしておきましょう」
ブエタナの冷たい高笑いが、広間に響き渡った。
「……あばずれのど畜生め。地獄で会ったらぶち殺してやる」
ドンはそう吐き捨てると、俺を見るなり、くたびれたように微笑みかけてきた。
「ガルノガ一家はもう終いだ。しかし、あんた運が良かったな、早く逃げ……」
言い終わらぬうちに、ルミネラが鉄球を振り下ろし、ドンの頭を叩き割った。
血と脳髄が、激しく宙に飛散し、その体が前のめりに崩れた。
「――逃げちゃ駄目よ。私はまだ殺し足りないの」
ルミネラはゾッとするような笑みを浮かべ、俺の手にした“血の双剣”を見やった。
「……あら、面白そうなものを持っているわね。少しは楽しませてくれるかしら?」
言いながら、ルミネラがモーニングスターを宙に振るうと、凄まじい速度で先端の鉄球が飛来してきた。
どうやら、柄の中に鎖が仕込まれており、伸縮自在となっているらしい。
(……遠近両用というわけか)
俺はすぐさま双剣を交差させて構え、重みのある一撃を受け止めた。
掌に、びりびりとした振動が伝わってくる。
「――やるじゃないの」
鉄球から伸びた鎖は、瞬時に収納され、元の近接戦闘用の形状に戻った。
ルミネラはニヤリと笑い、舌なめずりしながらこちらに駆け出した。
「――血よ、矢の雨となって降り注げッ!!」
詠唱すると、床一面に散らばった、おびただしい量の血液が宙に浮かんだ。
それらは、数多の深紅の矢に変化し、一斉にルミネラに襲いかかる。
「……いいわ。すごくいい」
ルミネラは満ち足りた笑みを浮かべた。
そして、鎖を伸ばしたモーニングスターの先端を、高速でぶん回し始め、ことごとく血の矢を弾き飛ばしたのである。
彼女の突進の勢いは、少しも落ちる気配がない。
瞬く間に、互いの距離が縮まった。
(――今だッ!!)
彼女の足元に、ドンの手下の骸が転がっていたのを、俺を見逃さなかった。
虚を突き、無詠唱で“血液爆破”を発動させると、即座に小規模の爆発が起こった。
――だが、次の瞬間、ルミネラは俺の頭上に舞っていた。
直撃を回避し、さらには爆風を利用して飛翔したに違いなかった。
事前に身体強化の魔術を受けていたのかもれないが、仮にそうだとしても、実に驚嘆すべき身体能力と言えた。
(……まるで化け物だ)
以前から、ルミネラが護衛をつけず、常に一人きりで出歩いていたことを、俺は少なからず疑問に思っていた。
だが、これで合点がいった。
そんなものは、端から必要がなかったのだ、と。
彼女は、屋敷の使用人たちと同様、戦闘の英才教育を受けて育ったに違いなかった。
「――いい、とってもいいわッ!!」
ルミネラは中空で、大きくモーニングスターを振りかぶっていた。
俺は即座に、双剣を頭上に交差させ、重みたっぷりの一撃を受け止める。
その途端、血の双剣に微かな亀裂が入った。
(……馬鹿力めッ)
全身に力を込め、どうにか押し返してやると、ルミネラは後方に飛び下がりながら、上空に向けてモーニングスターの鎖を長く伸ばした。
すると、スパイクのついた鉄球は、深々と天井にめり込む。
鎖にぶら下がる格好となったルミネラは、両脚で巧みに宙を漕ぎ、大きく反動をつけると、振り子の要領で蹴りかかってきた。
ブーツの先端の刃が、瞬時に眼前に迫る。
しかし、俺は思い切り真横に跳び、間一髪のところでそれを逃れた。
次いで、すぐさま体勢を立て直し、天井に向けて“血の矢雨”を射出した。
狙いは、振り子の支点の役目を果たしている鉄球である。
「――すごく楽しいわ。こんなの久しぶりよッ!!」
こちらの目論見を読んだらしいルミネラは、モーニングスターの柄を手放すと、そのままくるりと宙返りをして、俺の足元近くの地面に両掌をついた。
そして、逆立ち状態のまま、片腕を軸に回転し出し、両脚を旋回させながら、ブーツの刃で斬りかかってきたのである。
俺は双剣でそれを受け流すと、大きく後方に下がって距離を取った。
“血の矢雨”によって破壊された天井の一部が、モーニングスターを巻き添えにして、雪崩のように落下してくるのが見えたためである。
ルミネラもまた、それに勘づくと、バック転を繰り返して後退し、易々と瓦礫の山を回避してみせた。
やがて立ち上がった彼女は、地面に落ちたモーニングスターを拾い上げると、ゆっくりと背後のレジィに向き直った。
「あなたも加わりなさいよ。どうせ退屈しているのでしょう?」
「……それじゃ、お言葉に甘えようかな。ずいぶん楽しそうにしてたから、遠慮してたんだけど」
レジィはそう言って、いつものように大あくびをした。
「まあ、一丁やってみますか。少々手を焼いてたみたいだしね」
「……馬鹿言わないで。お楽しみをお裾分けしてあげようってだけよ」
ルミネラが、むくれたような顔で反論した。
「それに私は、いつでも相手を圧倒していたいの。五分と五分の闘いも悪くはないけれど、二人でなぶり殺しにするほうがゾクゾクしない?」
「……さあ、どうだかね」
呆れたような声で答えると、レジィは小さく微笑み、疾風のごとく駆け出した。
こちらも直ちに双剣を構え、迎え撃つ体勢を整える。
(――いいだろう。お手並み拝見だ)
間合いに入るなり、俺たちは全く同時に剣を振るった。
レジィが放ったのは、身長の低さを生かした、下方向からの斬り上げである。
俺はそれを双剣で払いのけ、すぐに左右同時の袈裟斬りに転じる算段だった。
「……ッ!?」
しかし、互いの剣が触れ合った瞬間、“血の双剣”は同時に根元から折れ、刀身が宙に舞った。
レジィの一撃は、ただひたすらに速く、重く、力に満ち満ちていた。