4.禍々しき小男
移転の魔法陣を抜けた先は、薄暗い洞窟の内部だった。
先ほどの黒いローブ姿の男も、俺のあとを追って姿を現した。
「……私は、ドルガンと申します。以後、お見知り置きを」
男は俺の前に進み出て、恭しく頭を垂れた。
同時に、不快な体臭が漂ってきたが、我慢してやり過ごすほかなかった。
(……この男、拷問でも受けていたのか?)
改めて間近に見ると、このドルガンと名乗る人物は、実におぞましい形相をしていた。
顔全体に大きな火傷の跡があり、右目が完全に潰れている。
開いている左目も、真っ白く濁っており、本当に見えているのかは疑わしい。
おまけに、鼻も欠けていた。
本来それがあるべき場所には、骸骨のように二つの小さな穴が並んでいるばかりである。
まるで生ける屍のようだった。
大きく腰が曲がっているせいもあるだろうが、背丈も俺の腰ほどしかない。
「……一体、何が目的で俺を助けた?」
尋ねると、ドルガンは黄ばんだ乱杭歯を剥き出しにして、ぎこちない笑みを浮かべた。
「実を申しますと、私はかつて、ゼルマンド様の元で下働きをしておりました」
「……質問の答えになっていないぞ」
俺はそう指摘した。
予想外のドルガンの発言に、内心動揺を隠せないでいたが、それはおくびにも出さなかった。
「……かつての主人の仇に手を貸す不届き者と、お思いになられますかな?」
どうやらこの男は、人の話を聞かぬ性質らしい。
俺はまともな会話を諦め、知らぬ、と答えた。
「つれないお言葉ですな。しかし、私は命の恩人なのですからね。その点だけは、どうか御心に留めていただきたい」
ドルガンは念を押すように言うと、小さな咳払いをした。
「……では、話を本題に戻しましょう。貴方様は、ゼルマンド様に代わって世界を統べるべきお方なのです。“死者の王”を討ちし英雄が、事もあろうに暗黒魔術の使い手だった――ああ、何と禍々しい事実でしょう!!」
ドルガンは唐突に声を張り上げた。
そして、勿体ぶった間を置いたのち、こう続けた。
「そんな貴方様に、すっかりいかれてしまったからこそ、私は此度のような無茶を冒した次第です。これで、ご納得いただけましたかな?」
俺は黙ってうなずいてみせた。
どうやら、俺をゼルマンドの後釜として担ぎ上げ、一旗揚げようという腹積もりらしい。
「ところで、俺を連れ出したのは、お前一人で計画したことか? ずいぶんと協力者がいるように思えたが」
気がかりだったことを尋ねると、ドルガンはよくぞ聞いてくれたとばかりに薄汚い笑みをこぼした。
「今回の計画は、徹頭徹尾、私が一人で考え出したものでございます。ただ、実行に移すとなれば、もちろん一人の力では不可能です。従って、ゼルマンド教団の残党に助力を仰ぎました」
ゼルマンド教団とは、民間のゼルマンド信者の集団である。
かつてはゼルマンドの戦勝を祈願し、おぞましい黒ミサを頻繁に行っていたが、崇拝の対象を失って以降、その活動は衰退の一途を辿り、今では風前の灯火との噂だった。
「私は、神を失った哀れなゼルマンド信者たちに、新たな夢を見せてやると約束したのですよ。先代を超える偉大な神が、再び導いてくれると。すると、彼らはその理念に共鳴し、喜んで力を貸してくれたという次第です」
悦に入ったような口調で言い、ドルガンは共犯者を見るような目を俺に向けた。
「今になって、貴方様もきっとお分かりでしょう。自らの英雄に感謝するどころか、火刑さえ命じる人間どもの醜悪さを。そんな下郎どもが牛耳るこの世界に、決して未来はありませぬ。奴らに裁きの鉄槌を下し、ご自分の手で歴史を塗り替えたいとは思いませぬか?」
「……それも一興だな」
無論、この男に協力するつもりは毛頭ないが、様子見がてら、俺はそう答えておいた。
「ご承知くださいますとは、身に余る光栄にございます。そこで一つ、聞いていただきたいお願いがあるのですが、申し上げてもよろしいでしょうか?」
俺はうなずき、構わん、と言った。
「……私めを、あなた様の右腕として重用していただきたいのです」
薄らと頬を染めながら、ドルガンが申し訳なさそうに口を開いた。
その瞳は、想い人に恋心を打ち明ける乙女のような憂いを帯びている。
「――好きにしろ」
ゾッとしながらそう答えると、ドルガンはたちまち破顔した。
「ああ、何たる名誉。ならば早速、転生の儀式を始めるといたしましょう!!」
「……転生の儀式?」
「左様でございます。貴方様はまだ、正式に悪魔との契約を結んでおりませんから」
実に馬鹿げていると思ったが、俺はあえて関心を装い、こう尋ねた。
「それは実に興味深い。だが、一体どうやって結ぶのだ?」
「……まさか、ご存じないとは驚きました」
ドルガンは大きく目を見開き、下卑た笑い声を漏らした。
「十三人の処女の喉を掻き切り、その生き血を浴びるのですよ。そして、死した彼女たちと、一晩中まぐわい続けるのです」
この男は狂っている。狂い過ぎている、と思った。
(これほどまでに邪悪な人間は、必ず除かなければならぬ)
俺はそう決心した。
「娘たちは、既に用意してあるのか?」
「はい。それは当然ですとも」
「では、すぐにその場所まで案内しろ。俺は飢えているのだ。一刻も早く儀式を済ませ、女を抱く」
意に添わぬが、俺は悪漢を演じることにした。
「もちろんでございます。ただ、少々準備が必要ですので、もうしばらくお待ちいただけませんでしょうか? 女どもの身体も、清めねばなりませんし……」
「黙れッ!! 俺の右腕になりたいのなら、さっさと案内せぬかッ!!」
激しく恫喝すると、ドルガンは幼い子どものように身を縮ませ、あまり声を荒げないでください、と懇願してきた。
だが、その顔つきは、ひどく恍惚としている。
前の主人との歪んだ関係性を、俺はそこに垣間見た気がした。
(この男は、叱咤され、虐げられることを望んでいるのだろう)
そう察した俺は、罵詈雑言を浴びせてドルガンを上機嫌にさせ、遂に女たちの元へ案内させることを承諾させた。