27.聖者の導き
(――ここは戦場だ。迷いは捨てなくてならぬ)
自らにそう言い聞かせ、剣の握りに力を込めた。
相手が“天使の園”の出身者だろうと、聖騎士だろうと、気にかけている余裕はない。
戦況は一対七である。お世辞にも有利とは言い難い。
(――躊躇を見せれば、殺られるのはこちらだ)
それは火を見るよりも明らかだった。
にも関わらず、案の定、いつもの悪い癖が出た。
「……あんたたちとは、やり合いたくない」
俺の口は、独りでに言葉を発していた。
結局は、感情が理性を上回ったのである。
「俺の目的は、ブエタナの身柄の拘束だ。今日であの女の命運は尽きる。そうなれば、あんたたちは晴れて自由の身だ」
眼鏡の男は、それを聞くなり、低い笑い声を漏らした。
「……命運が尽きるのは、あなたのほうでしょう。周囲を見て御覧なさい。ご自分の置かれている状況が、わからないのですか?」
「わかっているとも」
俺はすぐに答えた。
「……あんたたちは、この屋敷の使用人は、揃って“天使の園”の出身者だと聞いた。あそこで何が行われていたか、俺は知っている。だが、今からでも決して遅くはない。すぐにこの屋敷から去り、自分の人生を取り戻せ」
言い終えるなり、俺は押し黙った使用人たちを見回した。
皆揃って若く、いくらでも出直しの利く年齢と言えた。
「……あなたが手にしているのは、“血の剣”よね?」
沈黙を破ったのは、背後から聞こえてきた、耳馴染みのある声だった。
振り返ると、真後ろに立っていたヘッテが、蔑むような目でこちらを見ていた。
「暗黒魔術に手を染める人間のお説教なんか、聞く耳持たないわ。せっかくだから教えてあげるけど、私たちは皆、自分の意志でここにいるの。ブエタナ様は、無力な私たちを庇護し、力を与えて下さった。心から感謝しているわ」
怒りに満ちた声でそう言うと、ヘッテは手にしたレイピアの剣尖を向けてきた。
「あなたの魂胆は見え透いている。詭弁を弄し、戦いを避けたい――ただそれだけよ。ガルノガ一家の刺客にお似合いな、実に浅ましい考えね。顔さえ隠すような臆病者のくせに、知った風な口を利かないで欲しいわ」
「……俺はガルノガ一家の刺客ではない。そして、臆病者はあんたたちのほうだ」
そう告げるなり、俺は顔を覆う布の結び目を解き始めていた。
(――告発されるぞ。また磔になりたいのか?)
当然のごとく、理性がそう訴えかけてくる。
だが、感情はまたしてもそれを跳ね除け、俺はとうとう素顔を晒した。
「短い間だが、生活を共にしたのだから、この顔は覚えているだろう?」
使用人たちの間に、張り詰めた沈黙が落ちる。
ヘッテは、目を見開いたまま、呆然とした表情を浮かべていた。
「俺がこの屋敷に潜り込んだのは、元より、ブエタナに囚われた女たちを救い出すためだ。そして既に、問題を解決する目途は立った。あとは、あんたたちのご主人様をとっ捕まえれば、それで全てが終わる」
俺はそこで言葉を切り、わずかな間を置いてこう続けた。
「だから、すぐにこの屋敷を立ち去るんだ。臆病風は吹かせるな。勇気を持って、自分の人生を生き直せ」
祈るような気持ちで、俺は使用人たちの顔を一人ひとり見やる。
しかし、彼らの表情にはほとんど変化がなく、そこから感情を読み取ることは難しかった。
ヘッテに対しては、少なからず期待を寄せたが、彼女の表情もまた、何も物語っていはいなかった。
最後に顔を合わせたのは、真正面の眼鏡の男だった。
「……聖者様の世迷言は、それでお終いですか?」
言いながら、男が不敵に口角を上げた。そのときだった。
「――さっきは、ひどいことを言ってご免なさい」
それはヘッテの声だった。微かな震えを帯びている。
「私は長い間、人生を生き直したいとばかり願い続けてきた。でも、“願う”のは今日でおしまいにする。願うだけじゃなくて、きちんと生き直すの。上手く言えないけど、私はあなたの言葉を信じたい」
彼女は自らに言い聞かせるように話すと、レイピアを鞘に納め、胸を張って屋敷の外に出て行った。
眼鏡の男は、それを目にした途端、奇妙な歪みを顔に浮かべた。
「……ヘッテは勇気を示した。あとに続く者は?」
そう問いかけると、一人の男と二人の女が武器を捨て、無言で去っていった。
これで、残る使用人は三名となった。
正面からこちらを睨む、大鎌を手にした眼鏡の男。
その左隣りには、両腕にかぎ爪を装着した小柄な女が立っていた。
そして、右斜め後ろに位置する男は、どうやら魔術師らしい。
左手に杖を、右手には細身の直剣を携えていた。
「――あんたたちは、行かなくていいんだな?」
最後通牒を突きつけたが、彼らは返事の代わりに行動で示した。
正面の二人が、揃ってこちらに駆け出し、後ろの男が呪文詠唱を開始したのである。




