26.聖者の逆襲
無我夢中に馬を走らせてゆくと、遂に屋敷の門が視界に入った。
開かれた門の前には、衛兵の男が二人、並んで立っている。
「――おい、馬を止めろッ!!」
右に立つ男が、大きく声を張り上げたが、従うつもりは毛頭ない。
俺は速度を落とさぬまま、手綱から手を離し、“血の剣”を両手持ちした。
すると、二人の男は目配せして左右に開き、それぞれ剣を構える。
勢いよく馬の腹を蹴りつけると、瞬く間に相手との距離が詰まった。
「――血の剣よ、双つに分かれよ」
唱えると、先端から亀裂が走った“血の剣”は、真っ二つに割れて双剣へと変化した。
俺は左右の手に剣を握ると、鐙を強く踏みしめ、前傾姿勢をとる。
そして、すれ違いざまの斬撃を衛兵たちに浴びせ、そのまま門の中に至った。
手綱を引き、馬を止めて後ろを向くと、男たちは首を失った姿で地面に伏していた。
馬を下りた俺は、近くに生えていた木に手綱を結び、それから男たちの亡骸に駆け寄った。
(――戦支度が必要だ。何せ相手は、屋敷の人間全員だ)
あまり気乗りはしなかったが、止むを得ないことだった。
俺は二人の死肉を双剣で切り刻み、二つの大きな血溜まりをつくる。
そして、それを両手ですくい、体中に隈なく塗りたくった。
「――血よ、我が身を守る盾となれ」
そう唱えると、全身を真っ赤に染め上げた血が、霧状に変化して身の周りを漂い始めた。
これは“血の盾”という血操術で、魔術耐性を格段に高める効果を有している。
低位の攻撃魔術なら、完全に無効化できる優れものだった。
(――屋敷の使用人は、剣と魔術の訓練を積まされた戦闘のエキスパート、か)
俺はドン・ガルノガの言葉を思い返していた。
使用人の中には、高位の魔術師が混じっている可能性も大いにあり得る。
警戒しておくに越したことはない。
だが、準備はこれで終わりではなかった。
またも両手で血を汲み上げると、覚悟を決めた俺は、一息でそれを飲み干す。
「――血よ、我が喉を潤し、活力となれ」
詠唱するや否や、体の奥が燃えるように熱くなった。
まるで、体内に激しい爆発が起こったかのようである。
間もなく、全身から汗が吹き出し、体の隅々まで力が行き渡るのを感じた。
(……“血の活性”を使うのは、ゼルマンドの奇襲作戦以来だな)
他者の血を取り込むことで、限界まで身体能力を引き出し、さらには痛覚まで麻痺させる血操術――それが“血の活性”だった。
効果は半日ほど持続するが、それが切れた瞬間に底知れぬ疲労感に襲われ、立っていることさえままならなくなる。
まさしく、諸刃の剣と言えた。
俺自身、数えるほどしか使ったことはない。
(……だが、半日もあれば十分だ。長居するつもりは毛頭ない)
俺は残った血を用い、左右に持った“血の双剣”の刀身に、さらなる幅と厚みを与えた。
そして、遂に伏魔殿を目指して駆け出すと、ほどなく、四人の衛兵が視界に入った。
彼らは屋敷の厚い鉄扉の前に、剣を携えて待ち構えていた。
「――曲者だッ!!」
左右から二人ずつ、挟み込むようにこちらへ駆けてくる。
(――準備運動には丁度良い)
四人を存分に引きつけてから、俺は宙に舞った。
“血の活性”によって増幅された脚力は、まさに驚嘆の一言に尽きた。
一瞬で、大の男を見下ろせるほどの高さに到達したのである。
俺は落下の勢いを利用しつつ、右手前の男の脳天を割った。
次いで、その男の肩を蹴って飛び、右奥の男の背後をとる。
「――畜生の分際でッ!!」
男は振り返りざまの横一線を放ったが、その動きはひどく緩慢に映った。
“血の活性”は、動体視力さえも向上させるのである。
男の一撃を、左の剣で受け流した俺は、右の突きで相手の胸を深々と破った。
左の二人を睨みつけると、彼らはじりじりと後退し出した。
野生の猛獣とまみえたかのような、根源的な恐怖が、彼らの瞳に宿っていた。
やがて、二人は方向転換し、我先にと逃げ出したが、俺はそれを許さなかった。
無防備な二つの背を目がけ、同時に双剣を投擲したのである。
二本の剣は、矢のごとく宙を飛び、易々と二人の背を刺し貫いた。
俺はすぐさま双剣を引き抜くと、死体の一つを肩に担いだ。
そして、まっすぐ屋敷へ向かい、分厚い鉄扉を押し開く。
玄関先で待ち受けていたのは、計七名の使用人たちだった。
それも、十代半ばから二十代前半と見える者ばかりである。
執事服の男三名に、メイド服の女が四名の内訳だった。
その中には、案に違わず、ヘッテの姿もある。
皆が皆、揃って得物を手にし、横一列に並んでいた。
(――正直に言って、気が進まぬ)
敵として改めて対峙してみて、ひしひしとそれを感じた。
全員が年若く、中には俺の世話係を命じられていた娘や、ほとんど子どものようにしか見えない者まで混じっている。
そして何よりも、彼らが“天使の園”で育ったという事実が、俺の心に暗い影を落とした。
加えて、このうちの誰かが、聖ギビニア騎士団の捜査員という可能性さえあるのだ。
何と言っても、屋敷の使用人は数が多い。
目立たずに、かつ潜り込みやすいとなれば、まさにうってつけの職種と言えた。
(――だが、名乗り出ろと言ったところで、結果は知れている)
俺は心の中で嘆息した。
仮に本物の捜査員が混じっていたにせよ、このような一触即発の場で、進んで身分を明かすとは夢にも思えない。
おまけに、今の俺は、得体の知れぬ刺客に過ぎなかった。
そんな人間が、どれだけ言葉を尽くしたところで、聞き流されるのがオチである。
(……行く手を阻む者は、それが誰であろうと、本気でぶつかる以外に術はない)
俺はようやく覚悟を決めた。手加減すれば、こちらの命が危ない。
「……道を開けろ。邪魔する奴は容赦しない」
静かな声で告げると、ちょうど真ん中に立っている男が、一歩前に踏み出した。
銀縁の眼鏡をかけた、長身痩躯の男で、死神が持つような大鎌を携えている。
男は俺の担ぐ死体を見て、微かに首を傾げたが、すぐに毅然とした口調で話し出した。
「――それは出来かねます。パーティが終わるまでは、何人たりともここを通すなと、命を承っておりますので」
男が言い終えると同時に、使用人たちが一斉に動き出し、俺の周囲を取り囲んだ。