24.絶体絶命
(――なぜ、こんなところに?)
ブエタナの背後には、悪趣味な拷問器具の数々が見えた。
どうやら俺は、彼女の屋敷の地下室にいるらしい。
痛みの残る頭を持ち上げ、視線を下方向に移すと、自分が大きな鉄板――拷問用の台に違いない――の上に、全裸で寝かされているのがわかった。
おまけに、板の四隅から伸びる鉄鎖の枷によって、完全に四肢の自由を奪われている。
「……実に不愉快だったわ。私にこれほどの恥をかかせたのは、あなたが初めてよ」
ブエタナが、真上からこちらを覗き込みつつ、憎悪を滲ませた声で言った。
「それは光栄だ」
そう返してやると、彼女は声高らかに笑った。
「ただ、あなたには感謝もしているの。私はドン・ガルノガと手打ちをした」
ブエタナが、満面の笑みで言った。
俺は思わず、なぜだ、と声を上げた。
「……特別に、順を追って教えてあげましょう。まず、私には、あなたの行動が手に取るようにわかった。安っぽい正義感に酔いしれ、囚われの女を助けようとしたのだろうと。その上、私の可愛いルミネラまで連れ去ったとなれば、逃げ込む先は、ガルノガ一家以外には考えられない」
ブエタナは、したり顔でそう言った。
「だから私は、ドン・ガルノガが囲っている、一番のお気に入りの愛人を拉致した。そして、ルミネラとの交換を申し出たの。そのおまけに、あなたと、あのリューリカとかいう娘も差し出してもらったというわけ」
そこで言葉を置き、ブエタナは天上を見上げた。
彼女の視線は、滑車の装置によって吊り上げられた、巨大な鳥かごのような檻へと注がれていた。
その中にあったのは、身を縮こめているリューリカの姿である。
檻の内側には、無数の鉄の棘が生えているために、彼女は少しも身動きがとれない状況に追い込まれていた。
ブエタナを思い切り睨みつけてやると、彼女は氷のような微笑を浮かべた。
「私とドン・ガルノガは、人質交換の場で今後について話し合う機会を持った。その結果、互いに納得のいく条件を呑んで、手打ちが決まったの。私たちは、“ビジネス”の発展のために、協力的な関係を築いてくことを約束し合った」
「……それはめでたい。神様は、あんたの善行を包み隠さずご存知だからな。ご褒美をくれたのだろう」
そう言ってやると、「気の利いた謝辞をいただけて、嬉しいわ」とブエタナは返してきた。
「それはそうと、間もなくこの屋敷で、和睦を祝したパーティが開かれるの。もちろん、ガルノガ一家の錚々たる面々も、お招きしているわ。その席に、最大の功労者であるあなたを呼んであげられないのは、とても残念ね」
「……だから、俺はその前座として、この薄暗い地下室でいたぶられる。そういうわけだろう?」
尋ねつつ、俺はブエタナの表情を探った。
(――俺の肉体を傷つけ、たっぷり血を絞り出すといい。水責めや、焼けた火掻き棒を押しつけられるのはご免だが)
心の中で、それを願うばかりだった。
俺が寝かされているのは、幸いにも拷問用の台である。
ブエタナがその毒牙を剥き、俺の身体から血が流れれば、その瞬間に立場は逆転する。
これ以上ない、血操術の使いどころと言えた。
俺はそれに賭けることにした。決して的外れな期待ではない。
「……本当はそうしてやりたいところだけど、あなたは大事な商品だから、傷物にはできないの」
予想外の言葉に、俺は胸のざわつきを覚えた。
「懇意にしている商売仲間が、賭け闘技場でのあなたの戦いぶりを見て、ぜひ手に入れたいと申し出てきてね。信じ難いほどの高値をつけてくれたから、喜んで許可してあげたわ」
「……俺が商品だと? 一体どういうことだ?」
尋ねると、ブエタナは静かに微笑みかけてきた。
「あなたは、隣国のヴァンデミアに売られる運命なの。奴隷剣闘士としてね」
勿体ぶった沈黙を挟んだのち、彼女はさらなる絶望を突きつけてきた。
「……だから、その代わりに、あなたが命懸けて救った女を、思う存分痛めつけてやることにしたの。もちろん、あなたの目の前でね。ささやかではあるけれど、私からの門出の祝いよ。気に入っていただけるかしら?」
頭の中が、一瞬で真っ白になった。
絶望が、波のように全身に押し寄せてくる。
「――止めろッ!!」
気づけば、無我夢中のままに叫んでいた。
「遠慮せず、俺の身体を使え。頑丈さには自信がある。少しくらい傷物にしたって、問題はないはずだ」
「……あら、そう。そこまで言うのなら、お言葉に甘えようかしら」
言いながら、ブエタナはドレスの胸元から、柄に宝飾のついたナイフを取り出した。
次いで鞘を払うと、剥き出しになった俺の陰茎に、その切先を突きつけた。
「……これがなくたって、戦いには差し支えないわよね?」
さもおかしげに尋ねつつ、ブエタナは下卑た笑い声を上げる。
俺が戦慄した、まさにそのとき、忙しなくドアがノックされた。
「――伯母様、例の者が見えました」
次いで響いてきたのは、ルミネラの声である。
ブエタナはそれを聞くなり、小さく舌打ちをした。
「……あなたの買い手が寄こした使いが、もう迎えに来たみたい。全く、運が良いわね」
俺は安堵のため息をついた。
ブエタナはナイフを胸元に収めると、足早に地下室を出て行く。
「……とうとうあなたともお別れね、ケンゴー」
伯母と入れ違いに中へ入ってきたルミネラは、一直線にこちらへ向かってきた。
彼女はにやけた表情で俺の顔を覗き込むと、勢いよく頬に唾を吐きかけてきた。
「これ、見覚えがあるわよね?」
言いながら、ルミネラが掲げてみせたのは、以前、彼女から贈られたワインの瓶である。
その中には、当然ながら、俺が仕込んだ鎮痛剤が残っているはずだった。
「ヴァンデミアへの道中、あなたが馬鹿な真似を仕出かさないように、気持ちよく眠らせてあげるわ」
彼女はワインの栓を引き抜くと、瓶の口を、無理やり俺の唇に押し当ててきた。
俺は必死に唇を閉ざしたが、それも無駄な抵抗でしかなかった。
ワインはどんどん口内に流れ出し、ほどなく、意識は混濁していった――。