23.究極の選択
翌朝、俺が目を覚ましたのは、部屋の外から聞こえてくる微かな足音のせいだった。
ふと見やると、リューリカの姿は既にベッドにない。
ソファから身を起こした俺は、妙な胸騒ぎを覚え、床に置いた片手剣を手に取った。
息を殺して様子を窺っていると、やがて、音もなくドアが開いた。
ドアの向こうに立っていたのは、いかにも腕っぷしの強そうな、五人の男たちである。
それも皆、各々剣やら手斧やらを携えている。
起こしに来たと考えるには、少々物騒過ぎる絵面と言えた。
これでは、寝込みを襲いに来たと勘違いされても、止むを得ないだろう。
「何の用だ?」
俺は剣の柄に手をかけつつ、男たちに尋ねた。
「……ドンがお呼びです」
その中の一人が、いくぶん緊張したような声音で言った。
「一つ言っておくが、ドアを開けるなら、その前にノックをするのが礼儀ではないか?」
そう言って男たちを睨みつけると、「今後は気をつけます」と返事があった。
「……まあいい。今、身支度をする」
俺は鎧を着込み、片手剣を腰に下げ、大剣を肩に担いだ。
「ところで、朝っぱらからそんな物騒なものを手にしているのは、一体どういうわけだ?」
男たちに尋ねると、しばしの沈黙を挟んだのち、答えが返ってきた。
「俺たち、ついさっきまで、屋敷の外で見回りをしていたんです。その帰りしなに、声をかけに来たというわけでして」
「……そうか。では、先を歩いて案内しろ。五人揃ってな」
念のため、そう命じてから、部屋の外に出た。
無言で廊下を進む一行の背を追いながら、俺は思案を巡らせていた。
(――やはり、この連中は、寝込みを襲いに来たに違いない)
何と言っても、彼らは忍び足で部屋に近づき、勝手にドアを開けたのだ。
そう考える以外に、説明はつかない。
(――だが、なぜ俺を狙う?)
最も不可解なのは、その点だった。
ブエタナの屋敷の襲撃には、俺の情報が必要不可欠なはずである。
そして、その内容は、ガルノガ一家の人間には誰にも伝えていない。
現段階では、俺は一家において、間違いなく利用価値のある存在だと言えた。
(――それなのに、どうしてだ?)
いくら考えてみても、その理由は思い浮かばなかった。
やがて、一行は足を止め、こちらに向き直った。
「……この部屋の中で、ドンが待っています」
黙って頷いてみせると、男たちは身を引いてドアまでの道を開けた。
俺はドアの前に立ち、静かに二回ノックした。
「――誰だ?」
その声は、紛れもなくドン・ガルノガのものだった。
俺は深呼吸をしたのち、自分の名前を名乗った。
「……よく来てくれたな。入ってくれ」
警戒しつつ、ゆっくりとドアを開くと、ドンと目が合った。
彼は、その部屋の中央に、ナイフを手にして立っていた。
そして、その切先は、彼の脇に並ぶ、リューリカの喉元に突きつけられている。
リューリカは猿ぐつわを噛まされ、両手足には枷が嵌められていた。
その目には、薄らと涙さえ浮かんでいる。
(――まさか、リューリカが回し者だったとばれたのか?)
俺は絶句した。
正直に言うと、その可能性は少しも考慮していなかったのである。
「聖者さんよ、済まねえな。俺はあんたのことが気に入っていたが、事情が変わった」
ドンが静かな声で告げると、部屋の外にいた五人が中に入り、俺の背後へ並んだ。
「……これは一体、何の真似だ?」
尋ねると、ドンは宙に向けた人差し指を、口元へ運んだ。
「それ以上は喋っちゃいけねえ。もし喋ったら、この女の命はない」
黙ってドンを睨みつけると、彼は小さく鼻で笑った。
「……相変わらず威勢が良いな。だが、これから先は、こちらの指示に従ってもらう。まず、剣を床に置け」
絶望が、体の内側を侵食していくのを、俺は感じ取っていた。
今の状況では、どんな手を用いても、リューリカを助け出すことは不可能に思えた。
血操術を使おうとすれば、指示を無視して剣を鞘から抜き、自らを傷つける必要がある。
そんなことをしていたら、彼女は確実に殺されてしまうだろう。
正直に言って、まともだと思える打開策は、何一つとして浮かんでこなかった。
そうなると、残る選択肢は、当然二つしかない。
ドンの指示に従うか、従わないか、だ。
前者はまさしく、絶望的な賭けと言えた。
大人しく武器を捨てたところで、二人とも揃って命拾いできる保証はない。
少なくとも、五体満足で済まされることはないだろう。
一方、後者を取れば、リューリカの死は避けられない。
彼女の死のあとに待ち受けているのは、おそらく一対六の斬り合いだろう。
その場合は、血操術に頼ることも可能であり、まず間違いなくこちらに分がある。
要は、彼女を身代わりにして、俺が生き永らえるというわけだ。
二人揃って死を覚悟するか、リューリカを見殺しにして生き残るか――今、俺に問われているのは、まさに究極の二者択一と言えた。
何の因果か、リューリカが無理難題を吹っかけてくるのは、これで二度目である。
「……さあ、どうする、聖者さんよ。もたもたしてると、この女は死んじまうぜ?」
ドンに鋭い眼差しを向けられた俺は、ため息をついたのち、大剣と片手剣を床に置いた。
結局のところ、俺は目の前の人間を見殺しにできない性質なのだ。
(――もしそんなことをすれば、俺は俺でなくなる)
曲げることのできない信念が、最後の最後でひょっこり顔を出してしまうのだ。
こればかりは、そういう星の下に生まれついてしまったのだと、諦めざるを得ない。
「……よし、いいぞ。次は、両手を挙げたまま、壁に向かって真っすぐに歩け。そして、ぴったりと体を壁に密着させろ」
武器を失った今、ドンの指示に従う以外、俺に選択肢は残されていなかった。
「そうだ、それでいい。そのままじっとしていろ。俺が良いと言うまで、その姿勢でいるんだ」
目の前に広がる、真っ白な壁の中に、俺は絶望を見ていた。
やがて、背後から足音が聞こえ、何者かが真後ろに立ったのがわかった。
次いで、後頭部に激しい衝撃が走る。
俺の記憶は、そこでぷつりと途切れた。
* * *
「――また会えたわね」
突如として耳に飛び込んできた、氷のように冷たい声が、再び俺の記憶を呼び覚ました。
まぶたを開くと、そこには“ポリージアの聖母”の姿があった。
血のように真っ赤なドレスをまとったブエタナは、美しくも歪んだ微笑をこちらに向けた。