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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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23.究極の選択

 翌朝、俺が目を覚ましたのは、部屋の外から聞こえてくる微かな足音のせいだった。

 ふと見やると、リューリカの姿は既にベッドにない。

 ソファから身を起こした俺は、妙な胸騒ぎを覚え、床に置いた片手剣を手に取った。

 息を殺して様子を窺っていると、やがて、音もなくドアが開いた。


 ドアの向こうに立っていたのは、いかにも腕っぷしの強そうな、五人の男たちである。

 それも皆、各々剣やら手斧やらを携えている。

 起こしに来たと考えるには、少々物騒過ぎる絵面と言えた。

 これでは、寝込みを襲いに来たと勘違いされても、止むを得ないだろう。


「何の用だ?」


 俺は剣の柄に手をかけつつ、男たちに尋ねた。


「……ドンがお呼びです」


 その中の一人が、いくぶん緊張したような声音で言った。


「一つ言っておくが、ドアを開けるなら、その前にノックをするのが礼儀ではないか?」


 そう言って男たちを睨みつけると、「今後は気をつけます」と返事があった。


「……まあいい。今、身支度をする」


 俺は鎧を着込み、片手剣を腰に下げ、大剣を肩に担いだ。


「ところで、朝っぱらからそんな物騒なものを手にしているのは、一体どういうわけだ?」


 男たちに尋ねると、しばしの沈黙を挟んだのち、答えが返ってきた。


「俺たち、ついさっきまで、屋敷の外で見回りをしていたんです。その帰りしなに、声をかけに来たというわけでして」


「……そうか。では、先を歩いて案内しろ。五人揃ってな」


 念のため、そう命じてから、部屋の外に出た。


 無言で廊下を進む一行の背を追いながら、俺は思案を巡らせていた。

 

(――やはり、この連中は、寝込みを襲いに来たに違いない)


 何と言っても、彼らは忍び足で部屋に近づき、勝手にドアを開けたのだ。

 そう考える以外に、説明はつかない。


(――だが、なぜ俺を狙う?)


 最も不可解なのは、その点だった。

 ブエタナの屋敷の襲撃には、俺の情報が必要不可欠なはずである。

 そして、その内容は、ガルノガ一家の人間には誰にも伝えていない。

 現段階では、俺は一家において、間違いなく利用価値のある存在だと言えた。


(――それなのに、どうしてだ?) 


 いくら考えてみても、その理由は思い浮かばなかった。

 やがて、一行は足を止め、こちらに向き直った。


「……この部屋の中で、ドンが待っています」


 黙って頷いてみせると、男たちは身を引いてドアまでの道を開けた。

 俺はドアの前に立ち、静かに二回ノックした。


「――誰だ?」


 その声は、紛れもなくドン・ガルノガのものだった。

 俺は深呼吸をしたのち、自分の名前を名乗った。


「……よく来てくれたな。入ってくれ」


 警戒しつつ、ゆっくりとドアを開くと、ドンと目が合った。

 彼は、その部屋の中央に、ナイフを手にして立っていた。

 そして、その切先は、彼の脇に並ぶ、リューリカの喉元に突きつけられている。

 リューリカは猿ぐつわを噛まされ、両手足には枷が嵌められていた。

 その目には、薄らと涙さえ浮かんでいる。


(――まさか、リューリカが回し者だったとばれたのか?)


 俺は絶句した。

 正直に言うと、その可能性は少しも考慮していなかったのである。


「聖者さんよ、済まねえな。俺はあんたのことが気に入っていたが、事情が変わった」


 ドンが静かな声で告げると、部屋の外にいた五人が中に入り、俺の背後へ並んだ。


「……これは一体、何の真似だ?」


 尋ねると、ドンは宙に向けた人差し指を、口元へ運んだ。


「それ以上は喋っちゃいけねえ。もし喋ったら、この女の命はない」


 黙ってドンを睨みつけると、彼は小さく鼻で笑った。


「……相変わらず威勢が良いな。だが、これから先は、こちらの指示に従ってもらう。まず、剣を床に置け」


 絶望が、体の内側を侵食していくのを、俺は感じ取っていた。

 今の状況では、どんな手を用いても、リューリカを助け出すことは不可能に思えた。

 血操術を使おうとすれば、指示を無視して剣を鞘から抜き、自らを傷つける必要がある。

 そんなことをしていたら、彼女は確実に殺されてしまうだろう。


 正直に言って、まともだと思える打開策は、何一つとして浮かんでこなかった。

 そうなると、残る選択肢は、当然二つしかない。

 ドンの指示に従うか、従わないか、だ。


 前者はまさしく、絶望的な賭けと言えた。

 大人しく武器を捨てたところで、二人とも揃って命拾いできる保証はない。

 少なくとも、五体満足で済まされることはないだろう。


 一方、後者を取れば、リューリカの死は避けられない。

 彼女の死のあとに待ち受けているのは、おそらく一対六の斬り合いだろう。

 その場合は、血操術に頼ることも可能であり、まず間違いなくこちらに分がある。

 要は、彼女を身代わりにして、俺が生き永らえるというわけだ。


 二人揃って死を覚悟するか、リューリカを見殺しにして生き残るか――今、俺に問われているのは、まさに究極の二者択一と言えた。

 何の因果か、リューリカが無理難題を吹っかけてくるのは、これで二度目である。


「……さあ、どうする、聖者さんよ。もたもたしてると、この女は死んじまうぜ?」


 ドンに鋭い眼差しを向けられた俺は、ため息をついたのち、大剣と片手剣を床に置いた。

 結局のところ、俺は目の前の人間を見殺しにできない性質なのだ。


(――もしそんなことをすれば、俺は俺でなくなる)


 曲げることのできない信念が、最後の最後でひょっこり顔を出してしまうのだ。

 こればかりは、そういう星の下に生まれついてしまったのだと、諦めざるを得ない。


「……よし、いいぞ。次は、両手を挙げたまま、壁に向かって真っすぐに歩け。そして、ぴったりと体を壁に密着させろ」


 武器を失った今、ドンの指示に従う以外、俺に選択肢は残されていなかった。


「そうだ、それでいい。そのままじっとしていろ。俺が良いと言うまで、その姿勢でいるんだ」


 目の前に広がる、真っ白な壁の中に、俺は絶望を見ていた。

 やがて、背後から足音が聞こえ、何者かが真後ろに立ったのがわかった。

 次いで、後頭部に激しい衝撃が走る。

 俺の記憶は、そこでぷつりと途切れた。



 *   *   *



「――また会えたわね」


 突如として耳に飛び込んできた、氷のように冷たい声が、再び俺の記憶を呼び覚ました。

 まぶたを開くと、そこには“ポリージアの聖母”の姿があった。

 血のように真っ赤なドレスをまとったブエタナは、美しくも歪んだ微笑をこちらに向けた。

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