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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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22.天使の園の真実

「……何でそんなことを知りたいのかはわからねえが、まあいいさ、教えてやろう」


 しばしの沈黙を置いたのち、ドン・ガルノガはそう話し出した。


「あのガキのことなら、覚えているとも。俺たちの差し金かと問われれば、少なくとも、半分はそうかもしれねえな」


「……半分だと? それはどういう意味だ?」


 尋ねると、ドンは幾分神妙な面持ちになった。


「あのガキは、数週間前、俺たちの溜まり場になっている酒場へやって来た。たった一人で、それも真夜中に孤児院を抜け出してな。そのとき、俺もちょうど酒場に顔を出していた。確か、リューリカも一緒にいたよな?」


 ドンの問いかけに、彼女は小さくうなずいてみせた。

 実に信じ難い話だが、どうやら嘘ではないらしい。


「……で、何の用だと訊くと、ガキはこう答えた。『ブエタナを殺してやりたいから、力を貸して欲しい。それが駄目なら、自分で殺るから武器をくれ』とな。当然、俺は止めておけと言った。だが、ガキはどこまでも食い下がった。終いには、テーブルの上に置かれた酒瓶を、俺たちに向かって投げつけてくる有様だ。大した奴だと思ったよ。ガキのくせに、いい目をしていた。抜身の刃みてえだったな。まるであんたみたいに」


 そこで言葉を置き、ドンは俺の目をじっと見やった。そしてこう続けた。


「仕方なく、上等なナイフをくれてやると、ようやくガキは大人しくなった。それで俺は一安心して、こう言い添えてやった。『殺される覚悟がない限り、決して人を殺しちゃならねえ。このナイフを見るたび、ちゃんと俺の言葉を思い出せよ』ってな。ガキはうなずいて、満足そうに帰っていった。普通なら、そこで一件落着だ。だが、しばらくしてから、ガキが死んだと風の噂で聞いた。あいつには、正真正銘、殺される覚悟があったんだ。俺はそれをわかっちゃいなかった。今じゃ、悪いことをしちまったと思ってる」


「……出鱈目を言うな」


 ドンに向かって詰め寄ると、彼は小さく鼻で笑った。


「あんた、何もわかっちゃいねえな。あの孤児院にいたガキども、みんな器量が良かっただろう?」


 なぜ、そんなことを持ち出す必要があるのだ?――そう訝りながらも、黙ってうなずいてみせると、ドンは冷ややかな笑みを浮かべた。


「あの女狐は、全国各地から戦争で身寄りをなくしたガキどもを選りすぐって、見目麗しい者ばかり、あそこにかき集めた。わざわざそんなことをする意味が何なのか、察しがつかないか?」


「……まさか、あんな年端も行かぬ子どもたちに、客でも取らせていたというのか?」


 そう尋ねる俺の声は、自分でもよくわかるほど震えていた。


「ポリージアは、大勢の人間が集まる町だ。一風変わった趣味を持つ輩も、決して少なくはねえ。ほかでやらない商売は、ずいぶんと良い稼ぎになる。あの女狐は、そこに目をつけたってわけだ」


 そう言って、ドンは急に派手な笑い声を上げた。


「しかし、傑作だよな。あの女、“天使の園”なんて名前つけやがってよ。ありゃ、正真正銘、この世の地獄だ。あんなガキが殺意を抱くのも、無理もねえこった」


 俺は完全に言葉を失っていた。

 怒り、悲しみ、絶望、憎悪――ありとあらゆる負の感情が、胸中に激しく渦巻いていた。


「ガキなんて、脅して震え上がらせりゃ、何でも言うことを聞く。仮に反抗しようものなら、元より天涯孤独の身だ。殺しちまったところで、誰にもわかりゃしねえ。数が減ったら、また新しく仕入れれば済む話だ。全くぼろい商売だよ。この俺でさえ、真似しようとは思わねえ」


 それを聞いた瞬間、俺が思い返したのは、ヘッテのメイドドレスの裾に、不可解な血痕が残されていた、あの一件である。


(……まさか、彼女が捌いていたのは鶏ではなく、人間の子どもだったのではないか)


 それは、あまりにおぞましい仮説と言えた。

 次いで、脳裏に浮かんだのは、ブエタナの屋敷の地下室を埋め尽くす、拷問器具の数々である。


「どうした、顔色が悪いぞ?」


 おどけるような口調でドンが尋ねてきたので、「少々疲れているだけだ」と俺は答えた。


「……そんなら、今日はさっさと休んだほうがいいな。だが、最後に一つ、良いことを教えてやろう」


 言いながら、ドンは不敵に口端を歪めた。


「あの女狐は、孤児院のガキどもに、剣と魔術の訓練を受けさせている。で、その中に芽のある奴がいれば、戦闘のエキスパートに育て上げ、使用人として傍に置いてきたのさ。要は屋敷の人間全員が、一線級の兵士も同然ってわけだ。よって、殴り込みをかける際は、決して油断ならねえぞ。もっとも、そのせいであの女狐は、いつか使用人たちが謀反を起こすんじゃねえかって、内心ビクついてるって噂だが」


 それは納得のいく話だった。

 身内の裏切りを心底恐れていたからこそ、屋敷の中でも、常に見張りを命じてきたのだろう。

 また、レジィはほかの使用人とは違い、ブエタナに特別な信頼を置かれてこそいるが、あるいは彼も、“天使の園”の出身者なのかもしれなかった。


(――あの屋敷を襲うとなれば、レジィと剣を交えることになるかもしれぬ)


 それを思うと、俺はひどく複雑な気持ちになった。

 加えて、“天使の園”で目にした彼の剣筋を見る限り、実に油断ならない相手でもある。


「……まあ、詳しい話は、明日にまたゆっくりしようや。今日のところは寝かせてくれ」


 ドンはあくび交じりにそう言うと、手を叩いて部下を呼びつけ、ルミネラの身柄を預けた。


「それと、言い忘れていたが、隣に空いている客室がある。二人で好きに使ってくれ。明日からは忙しくなるだろう。今のうちに、たっぷり楽しんでおくといい」


 言い終えるや否や、ドンはごろりとベッドに横になった。



 *   *   *



 ドンの部屋をあとにした俺とリューリカは、隣の客室へと向かった。

 豪勢なベッドが一つに、ソファと机だけが置かれた、だだっ広い部屋である。


「あんたはベッドに寝るといい。俺はこっちで寝る」


 剣と背負い袋を床に置いた俺は、鎧を脱いでソファへ横になった。

 すると、リューリカが物言いたげな表情を浮かべつつ、こちらへ近づいて来た。


「……ドンを口先で丸め込むなんて、ずいぶんと嘘がお上手なんですね。驚きました」


「誉め言葉のようには聞こえないが」


 つい減らず口をたたいてしまったが、彼女が皮肉を口にする理由には、心当たりがあった。


「やはり、恋人同士のふりをさせたことを、根に持っているのか? もしそうだったとしたら謝ろう」


 友好的な関係を維持するために、俺はそう申し出た。

 聖ギビニア教会の女聖騎士は、神に仕える身として、生涯独身を貫くのが掟である。

 となれば、恋愛沙汰も、すべからく御法度に違いなかった。


(……たとえ嘘でも、その手合いのことに嫌悪感を示す可能性は、大いにあり得る)


 俺はそれを案じたのだ。


「それなら、せっかくですし、謝ってもらおうかしら」


 リューリカが澄ました顔でそう言ったので、俺は頭を下げた。


「不快な思いをさせて済まなかった」


「……冗談ですよ。それくらい、わかりませんか?」


 リューリカが、さもおかしげに尋ねてきた。

 実に不可解な言動を取る女だと思ったが、あえて指摘はしなかった。


「それならば安心した」


 当たり障りのない言葉を選び、俺はゆっくりと目を閉じる。

 

「……えっと、ケンゴーさん、怒っちゃいました? もしそうなら、お詫びと言っては何ですが、ベッドで寝てもらって構いませんよ。私がソファで眠りますから」


 リューリカが取り繕うように伺いを立ててきたが、俺は「気持ちだけ受け取っておこう」と言って寝返りを打ち、彼女に背を向けた。


(――今思えば、ツヴェルナの安宿のベッドも、決して悪くはなかった)


 ソファに身を縮める、その窮屈さが、不意にそんな感慨を抱かせた。

 次いで、脳裏に浮かんできたのは、ミードの村の長閑(のどか)な風景である。


(――村の連中は皆、元気にやっているだろうか?)


 テモンやシナム一家と共に囲む食卓が、ひどく懐かしく思い返された。

 最後に村を訪れたのは、わずか十日ほど前だというのに、ずいぶんと長い時間が経ったように思えてならなかった。


(――この一件が無事に解決したら、その足で村を訪ねよう)


 俺はそれを励みにしようと決めた。

 今の調子で事が運べば、あともう一山さえ越せば、その日も近いはずである。

 だが、ヴリド爺さんや、失踪した村の娘たちの家族には、ずいぶんと酷な報告をしなければいけなくなりそうだった。


(――せめて、彼女たちが生きてさえいてくれれば)


 やがて眠りに落ちるまで、俺は心の中でそれを祈り続けた。

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