21.もう一人の首領
「すみません。ちょっと何を言っているのか、理解できないのですが……」
リューリカが憔悴しきった声で言った。
「……ガルノガ一家のドンは、ブエタナの屋敷に奇襲をかけるつもりでいた。そしてあんたは、屋敷の構造と警備の人員配置を把握するよう命じられていた。それは間違いないな?」
問いかけると、リューリカは小さくうなずいた。
「俺は屋敷の構造と警備の人員配置、その全てを記憶している。お近づきの印に、ルミネラを差し出した上で、ガルノガ一家のドンにそれを教えてやるのさ」
「つまり、ガルノガ一家にブエタナの屋敷を襲撃させる――そういうことですか?」
「その通り、ゴミ同士で潰し合ってもらう」
俺はそう答えた。
「無論、屋敷の襲撃には、俺も参加する腹積もりだ。そして隙を見計らい、自らの手でブエタナの身柄を確保する。成功すれば、バルボロ一家は壊滅も同然だ。売春宿に囚われた女たちだって、すぐに解放してやれる。あとは、ブエタナ本人に、総督を失墜させる証拠を吐かせればいい」
「そんな、無茶な……」
うつむいたリューリカが、ぽつりと呟く。
「無茶かどうかは、やってみない限りわからない」
「でも、そんな強硬手段に出たら、上層部が何と言うか……」
彼女の不安を、俺は笑い飛ばした。
「もちろん、これ以上に良い代案があるのなら、聞く耳は持つ。で、どうなんだ?」
詰め寄ると、リューリカは深々とため息をついた。
「……ありません」
「ならば、力を貸してくれ。是が非でも、俺はやり遂げてみせる」
そう宣言すると、リューリカは再びため息をついた。
「……もう、どうなっても知りませんよ。上層部には、ケンゴーさんのほうから上手く報告してくださいね。私は絶対に嫌です」
呆れたように言いながら、リューリカは俺の手から巻物をむしり取った。
そして、彼女がそこに記された文言を読み上げると、足元から青白い光が放射状に広がってゆく。
俺はその光景を目の端に入れつつ、背負い袋を肩に担ぎ、それから床で眠っているルミネラを抱きかかえた。
やがて、床に複雑な文様の魔法陣が浮かび上がり、その上に立っていたリューリカの姿が、フッと消えた。
(――失敗だけは勘弁してくれよ)
心の中で祈りながら、俺は魔法陣の中へと足を踏み入れた。
* * *
「――おいおい、あんたたち、一体何なんだ?」
転移が終わるなり、頓狂な声が耳に飛び込んできた。
辺りを見渡すと、どうやら寝室のようである。
部屋の中央には、大きな天蓋つきのベッドが置かれており、そこに裸体の男女が仲睦まじく寝そべっていた。
「……誰かと思えば、リューリカじゃねえか」
男のほうが身を起こし、呆れたような声で言った。
太っているというほどではないが、やや肉付きの良い、四十がらみの男である。
肌は浅黒く、きっちりと分けた黒髪を後ろに撫でつけており、顎の先端には尖った髭を生やしていた。
パッと見、人の良さそうな面立ちをしているが、その眼光はいやに鋭く、額には縦に走る深い傷跡が残されている。
「で、そちらの御仁は……」
男はそう言いかけたが、俺の腕に抱えられた手土産を見た途端、口をつぐんだ。
「悪いが、席を外してくれ」
しばしの沈黙を挟んだのち、男は女に向かってそう言った。
女は怯えたようにうなずき、床に散らばっていた衣服を拾い上げると、それで体の前を隠し、逃げるように部屋から立ち去った。
俺はひとまず、すっかり眠りこけているルミネラを床に下ろした。
「……ここは一体どこで、あの男は何者なんだ?」
リューリカに耳打ちすると、彼女は押し殺した声でこう答えた。
「――ここはドンの屋敷。そして、目の前の男こそ、ドン・ヴィットジェロ・ガルノガその人です」
それを聞いて、俺は思わず笑みをこぼした。
「……あんたの腕でおねんねしていたのは、あの女狐の姪っ子だよな?」
ドン・ガルノガは眉間に深い皺を寄せながら、そう尋ねてきた。
「その通りだ。俺はあんたと取引がしたくて、ここに来た」
そう言って、俺は真っ直ぐにドンを見つめた。
「大したタマだな」
口端を不敵に歪めながら、ドンは俺の顔をまじまじと見た。
「……なるほど、あんたが噂の“傷跡の聖者”か。女狐の用心棒が取引を申し出るとは、にわかには信じ難いが、まあいいだろう。聞かせてもらおうじゃねえか」
「――俺を雇ってもらいたい」
そう告げると、ドンは驚いたように瞬きを繰り返した。
「ブエタナの屋敷の構造、警備の人員配置、その全てが俺の頭に入っている。襲撃の際は、間違いなく役に立つはずだ。そしてこの女は、言うなればお近づきの印だ。利用価値はいくらでもあるだろう」
「……そりゃあ、願ってもねえ話だが、ちょっとばかり虫が良すぎる。俺は神様なんて一度も信じたことはねえが、その考えを改めても良いと思っちまったほどだ」
ドン・ガルノガは、笑いを含んだ声でそう言った。
「ここは一つ、あんたが寝返った理由ってのを、聞かせてもらいたい。リューリカが一緒ってのも、どうも腑に落ちねえしな」
こちらに向けられたドンの眼差しは、一層鋭さを増していた。
「屋敷の使用人として働き出したリューリカに、俺は一目惚れした。互いに恋に落ちるのに、時間はかからなかった」
思いつくままに、俺は話し出した。
「ブエタナとは、遅かれ早かれ縁を切るつもりでいた。実に腹に据えかねることがあってな。そんな考えをリューリカに打ち明けると、彼女は自らの素性を明かし、寝返りを持ち掛けてきた。それが経緯だ」
「……なるほどな。しかし、リューリカもやるじゃねえか。女の武器を使ったってわけだ」
ドンの言葉を聞くなり、彼女は薄く頬を赤らめ、足元を向いた。
「ところで、腹に据えかねることってのは、一体何だったんだ? 女狐の姪っ子を連れ去るなんて危ねえ橋を渡るくらいだ。余程ひでえことをされたに違いねえ」
興味津々といった口調で、ドンが尋ねてきた。
「ブエタナは、実につまらぬことで使用人をなじり、手を上げた。無論、リューリカに対してもだ。俺はそれが許せなかった」
情感たっぷりに声を張り上げると、ドンは盛大に笑い出した。
「……良いねえ、あんた。気に入ったよ。愛する女のために体を張る男ってのは、俺は好きだね。いいとも、俺の用心棒として雇ってやろうじゃねえか」
してやったり、である。
気づかぬうちに、俺もずいぶん口が達者になったものだと、我ながら感心せざるを得なかった。
「で、取引ってのはそれだけか? もう少々欲張ったって、罰は当たらねえと思うが」
「……では、一つだけ質問をさせて欲しい。“天使の園”の少年にブエタナを襲わせたのは、あんたたちの差し金か?」
俺はドンの顔を真正面から見据え、そう尋ねた。