20.起死回生の一手
「……違う。俺は聖騎士ではない」
苦慮の末、正直に打ち明けると、リューリカは物分かりの良い笑顔を浮かべた。
「もはや隠す必要はないと思いますが、そういうことにしておきましょう」
「……」
やはり彼女は、俺が仲間だと信じ込んでいる様子だった。
だが、それでこちらが不都合を被るかと言えば、案外そういうわけでもない。
(――むしろ、情報を引き出すには、勘違いさせていたほうが好都合かもしれぬ)
そう考えた俺は、今の状況を最大限に利用することを決めた。
「ところで、あんたはどこに連れて行かれようとしていたんだ?」
気がかりだったことを尋ねると、リューリカは実に不愉快そうな表情を浮かべた。
「……断言はできませんが、一家の経営する売春宿かと。大方、そこで働かせるつもりだったのでしょう」
彼女の口ぶりは、相応の確信に満ちたものだった。
見込んだ通り、リューリカはブエタナの裏の顔に通じているらしい。
「では、あんたがブエタナの“ビジネス”について知っていることを、洗いざらい話してみろ。ガルノガ一家に潜入していたならば、それくらいのことは聞き及んでいるだろう」
リューリカは、こちらの意図を読めないといった様子で首を傾げていたが、やがて重々しい口ぶりで話し出した。
「その辺の事情は、もちろんあなたのほうが詳しいでしょうが、ブエタナが人身売買によって身を築いたのは、周知の事実です」
彼女はそう言って、忌々しげに唇を噛みしめた。
「ブエタナはゼルマンド戦役中、偽りの求人情報によって集めた若い女性たちを、闇ルートを通じて性奴隷としてゼルマンド軍に高値で売りつけていた。そして、その資金を元手に、賭博場と売春宿の経営、高利貸しなどに乗り出し、瞬く間に暗黒街の顔役にのし上がった」
予想を遥かに上回る畜生ぶりに、俺は一瞬言葉を失った。
「……ゼルマンド戦役後も女たちを集めていたのは、一家の売春宿で働かせるためだったというわけだな?」
そう問いかけると、リューリカは神妙な面持ちでうなずいた。
「仰る通りです。ブエタナのやり口は、実に卑劣だと聞いています。何でも、囚われの身となった女たちに、依存性の強い精神刺激薬を意図的に投与し、中毒状態に陥らせていたのだとか。それで逃げる気を失くさせ、意に添わぬ仕事を強いていたのです」
彼女はそこで言葉を置くと、訝しげな眼差しをこちらに向けた。
「……ところで、どうして分かり切ったことばかり質問するのです?」
俺はそれに返答せず、意味ありげな笑みを浮かべるに留めた。
“沈黙に勝る雄弁はなし”を地で行く対応である。
「では、もう一つ質問だ。こちらの潜入捜査の状況については、上司からどのように聞いている?」
リューリカはわずかにためらいを見せたが、それでも、俺に対する信頼は揺るがないのだろう。
ほどなく、包み隠さず真実を口にした。
「ブエタナの経営する賭博場と売春宿の場所は、全て把握済み。そして、彼女に力を貸す有力者たちの名簿も、既に完成していると聞いています。残すは、ブエタナと南部総督の癒着を世に示す証拠を掴むだけだ、と」
南部総督――それは、このレヴァニア王国の南部地域を治めるため、王都より派遣される高官で、言うなれば国王の名代である。
加えて南部総督は、代々レヴァニア騎士団の副総長が兼任してきた。
副総長とはその名の通り、騎士団内で総長に次ぐ立場の役職である。
(――レヴァニア騎士団がバルボロ一家を野放しにしていたのは、そういうわけだったのか)
要するに、ブエタナは南部総督に袖の下を握らせ、自らの悪行を黙認させていたのだろう。
聖ギビニア騎士団が独自に動いていた理由も、それで納得がいった。
南部総督がブエタナに手懐けられている限り、レヴァニア騎士団が自ら捜査に乗り出すことはない。
また、聖ギビニア騎士団が、バルボロ一家に対して実力行使に出たとしても、それはレヴァニア騎士団に対する越権行為と映るはずである。
だからこそ、秘密裏に事を進める必要があったのだ。
南部総督を失墜させ、ポリージアに然るべき秩序を取り戻す――それこそが、聖キビニア騎士団の筋書きに違いなかった。
(……この国は、ゼルマンドの侵略を受けている間に、内側からも腐り始めていたのか)
俺は静かにため息をついた。
ロクでなしの総督と、暗黒街の顔役たちのために、もはやポリージアは掃き溜め同然の町に成り下がっていたのだ。
「……やはり、解せません。あなたの質問の意図が、一体何なのか、教えていただけませんか?」
リューリカは、微かな焦りをにじませた声で、そう尋ねてきた。
「気を悪くするなよ。俺はあんたが本当に身内かどうか、疑っていたのだ。だから、その知識を試させてもらった」
「……そういうことですか。では、私の言葉に嘘はないと、信じていただけましたね?」
黙ってうなずいてみせると、彼女は安堵したように表情を緩めた。
「さて、問題はこの後どうするかだ」
ため息交じりに言いながら、俺は思案を巡らせた。
気がかりなのは、“一家に潜り込んだ本物の聖騎士が誰なのか”という点である。
だが、どちらにせよ、その者を容易く見つけ出すことは不可能と言えた。
(ならばいっそ、俺がその者を演じ切り、全ての問題を解決してしまえば済む話だ)
俺はそう腹をくくった。
頭の中には、南部総督を失墜させる証拠を掴む以上に、確実で手っ取り早い打開策が思い浮かんでいた。
後々面倒を招くかもしれないが、その手に打って出るには、むしろリューリカの身内を装っていたほうが話が早い。
「今となっては、元々の計画は変更せざるを得ない。状況はひどく複雑化した。もはや、証拠を掴むなどと悠長なことは言っていられない」
そう口にすると、リューリカは実に申し訳なさそうな面持ちでうつむいた。
「……だが、起死回生の一手は見えた。あんたにも、ぜひ力を貸して欲しい」
「もちろんですッ!!」
リューリカは目を輝かせ、力強い声で応えた。
「私にできることなら、何なりと申し付けてください。もとをただせば、全ては私の失敗が原因なのですから」
「……心強い限りだ。それと紹介が遅れたが、俺の名はケンゴーだ。以後、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
リューリカが握手を求めてきたので、俺はそれに応じたのち、地下室のドアへと向かった。
ドアの傍には、木箱やら縄やらが雑然と置かれており、その中には、厚い布の背負い袋が紛れ込んでいた。
それは、先ほどワインを取りに行った際、万が一の場合を想定して、一緒に部屋から持ち出してきたものだった。
袋の中には、俺の荷物の全てが詰め込まれている。
俺は背負い袋を肩に担ぎ、再びリューリカの前に戻った。
「……ケンゴーさん、これから何をするつもりですか?」
俺は背負い袋を床に置くと、中から“移転の門”の魔術が封じられた巻物を取り出した。
“移転の門”は、目的地をイメージするだけで、その場所に瞬間移動できる高位の魔術である(ただし、イメージに失敗すれば、海の真上に飛ばされる可能性もあるので、使用には大きなリスクが伴う)。
そして巻物は、そこに記された文言を読み上げるだけで、封じられた魔術が発動するという大変な優れものだ。
「これを使って、ガルノガ一家のドンの元に出向く。丁度いい手土産もあるしな」
言いながら、俺は床で寝ているルミネラを見やった。
すると、リューリカは大きく目を見開いたまま、あんぐりと大口を開いた。




