3.束の間の平穏と凋落
王都に戻った俺たちは、救国の英雄として歓待を受けた。
町中がお祭り騒ぎとなり、レヴァニア城でも、勝利を祝う宴が連日連夜催された。
その後、俺たち五人は、国王よりそれぞれ爵位と領地を下賜された。
ただし、堅物のイクシアーナだけは、“神に仕える身だから”という理由でそれを固辞した。
代わりに、彼女の所属する聖ギビニア教会に、多額の寄付が行われることとなった。
こうして、戦いに明け暮れる日々は終わりを告げ、俺は早速、下賜された領地である北東部の“トガリア”へ足を運んだ。
俺は手始めに、与えられた屋敷を掃除して住める状態にすると、領民の家々を挨拶して回った。
曲がりなりにも、今後は領主として振る舞わねばならない以上、彼らの信用を獲得することが第一だと考えたためである。
トガリアは小さな地域で、領民は全部で300名ほど。
寒い土地柄のせいか、誰もが無口で不愛想で、他者に対して非寛容だという噂だった。
しかし、実際に関わってみると、彼らは皆、勤勉で心根は優しい人たちばかりだった。
俺は彼らと同様に農作業に従事し、若い男たちに剣術を指南した。
戦役時、領主は領民を率いて戦う義務を有するためである。
思い返せば、トガリアでのひと時は、人生で初めての充実した時間と言えた。
領民と共に畑で汗を流し、食事をし、語らい合う。
天涯孤独の俺にとって、彼らは初めてできた家族のように思え、心から寛ぐことができた。
日々は、ただただゆっくりと流れていき、誰かの血を見る必要もない。
(……これが、“幸せ”というやつなのだろうか?)
澄み切った朝の空や、美しい夕暮れを目にするたび、俺はふと、そんなことを思ったものだった。
だが、そうした日々は、唐突に終わりを告げることとなる。
トガリアに赴任して、三か月ほど経ったころだったと思う。
異端魔術審問官と護衛の兵士たちが、俺の屋敷に現れたのだ。
「先日、イーシャル殿に暗黒魔術使用の嫌疑があると告発を受けました。根も葉もない噂だとは存じますが、念のため、調査に赴いた次第です」
灰色のローブに身を包んだ、中年の異端魔術審問官の男が、義務的な声でそう告げた。
「……それでは、身の潔白を証明するために、こちらをお持ち下さいませ」
そう言って差し出されたのは、ちょうど手のひらに収まる大きさの水晶玉だった。
それが噂に名高い“光の玉”であることは、一目瞭然だった。
光の玉は、暗黒魔術の使い手を識別するための魔導具である。
「念のため申しておきますが、この申し出を拒否すれば、暗黒魔術の使い手と見なします。その点は、何卒ご理解ください」
ここで騒ぎを起こしては、領民に迷惑をかけると考えた俺は、絶望を覚えつつも、仕方なしに指示に従った。
すると、透き通った玉の中央に、紫色の靄のようなものが生じた。
「……何と言うことでしょう。まさか、告発が真実であったとは」
異端魔術審問官の男が、芝居がかった口調で言った。
かくして、俺は拘束され、王都へと移送された。
その後、王の前でも同様に光の玉を握らされた。
「……よもや信じられぬ。貴殿のような英雄が、どこで道を違えたのか」
“激励王”こと、ルマリア三世が涙ながらに口を開いた。
ルマリア三世は、その二つ名の通り、自ら戦地に足を運び、兵士たちに激励の言葉をかけることを欠かさなかった。
俺自身、何度となく、王から直々に言葉を賜ったことがある。
親しいなどという表現はおこがましいが、少なくとも、互いに顔を見知った仲ではあった。
「ゼルマンド討伐の功績を考えれば、見て見ぬふりといきたいところだ。だが、貴殿だけを特別扱いすれば、民に示しがつかぬ。どうか、どうか許してくれ」
「……ならば、せめて領民に最後の挨拶をさせて下さい」
俺はそう懇願した。
たったの一日で構わないから、トガリアへ戻り、領民たちに自分の非を詫び、そして感謝の言葉を伝えたかった。
それだけが唯一の心残りだったが、結局は認められなかった。
俺は領地と爵位を剥奪された上、死刑を宣告され、ただちに投獄されることとなった。
ガンドレール、イクシアーナ、ファラルモ、リアーヴェル――間違いなく、彼らのうちの誰かが告発したのだろう。
だが、それが誰かなど、もはやどうでもいいことだった。
知れば少なからず、その者を恨む気持ちも起こるだろうし、どの道、死の運命から逃れることはできないのだ。
(……思えば、出来過ぎた人生だったではないか。十分に、良い夢を見られた)
俺は自分にそう言い聞かせた。
孤児として生まれ、薄暗い娼館で育った人間が、ゼルマンド討伐の英雄として名を馳せ、最後は領主の座まで登り詰めたのである。
だがそれも、トガリアで知った真の幸福に比べれば、取るに足らないことだったけれど。
許されるなら、もういくばくかそれを甘受したかったというのが本音だが、さすがにこれ以上の欲張りは神が許さないのだろう。
* * *
「……最後に、言い残したことはあるか?」
太った死刑執行人が、憐れむような口調で尋ねてきた。
「俺は、幼いころに暗黒魔術に手を染め、その力によって戦場を生き抜いてきた。その結末が、これだ」
群衆に向かって、俺はそう叫んだ。
二度とゼルマンドのような輩が現れぬためには、暗黒魔術の使用者に厳罰を下すほかないということは、十分理解できていた。
(そのために、自分が人柱に立たなくてはならないのなら、それも悪くなかろう)
俺はそう腹をくくっていた。ならば、最期までその務めを果たすまでだ。
「英雄だろうと何だろうと、一度でも世の理を外れた力に頼れば、必ず惨めな末路を迎えることになる。俺がその証人だ。俺のようになりたくなければ、暗黒魔術には決して手を出さぬことだ。……だが、この世には、暗黒魔術よりもさらに憎むべきものがあるッ!!」
もう一段声を張り上げると、途端に群衆たちが静まった。
「それは戦だ。他者を踏みにじり、支配しようとする愚かな人の心だ。戦が続く限り、暗黒魔術の使い手もまた、この世から消えることはないッ!!」
「――黙れッ!! 何を偉そうに抜かすかッ!!」
傍に控えていた兵士が、槍の柄で激しく俺のこめかみを打った。
だが、俺は黙らなかった。
「先の言葉を、各々心に刻み込めッ!! そして、二度と俺のような愚か者が現れぬよう、戦のない世を創るのだッ!!」
言い終えるなり、俺はまたも槍の柄で打たれた。
今度は、みぞおちへの強烈な一撃だった。
「……では始めよう。皆の者、この不届き者がもがき苦しみ焼け死ぬ様を、存分にまぶたの裏に焼き付けよッ!!」
言いながら、死刑執行人の男が、手にしていた松明を高々と天に掲げた。
俺は死の運命を受け入れ、ゆっくりとまぶたを閉じる。
――そのときだった。
突然、低い男の唸り声が聞こえ、俺は目を開いた。
すると、足元に死刑執行人が横たわっているではないか。
おまけに、その頭部には、深々と矢が突き刺さっている。
(……一体、何が起こっているのだ?)
今度は、その場に居合わせた兵士たちが、次々に倒れ出した。
彼らも、死刑執行人と同様、矢で正確に急所を射られて死んでいた。
予想外の事態に、群衆はどよめき、四方へと散っていく。
だが、その流れに逆行して、一目散にこちらへ駆け寄ってくる人影があった。
黒いローブを身にまとった、ひどく背の低い男である。
「――貴方様を、助けに参りました」
囁くように言いながら、男は俺の腕と足首を縛っていた縄を手際よくナイフで切り、十字架から下ろした。
「……まだ死んではなりませぬ。さあ、こちらへ」
男が呪文を唱えながら地面に両手をかざすと、そこにゆっくりと青白い文様が浮かび上がった。
どうやら、転移の魔法陣のようである。
俺はわけの分からぬまま、そこへ身を滑り込ませた。