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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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15.誘惑の値踏み

 ルミネラは、出入口に積まれていた木桶を手に取り、そのまま浴槽へと近づいた。

 そして、桶に汲んだ浴槽の湯で、平然と体を流し始めたのである。

 俺はその様を見るなり、黙って浴槽から立ち上がり、出入口へと向かった。


「……待ちなさいよ」


 扉に手をかけようとした瞬間、ルミネラが背後から声をかけてきた。

 何の用だと尋ねると、彼女は小さな笑い声を立てた。


「今日のご褒美に、一つ良いことを教えてあげる」


 言いながら、彼女がこちらへ近寄ってくるのが、濡れた足音でわかった。

 やがて足音は、俺の真後ろでぴたりと止まった。


「私はね、ハンサムな男が好きなの」


 彼女は悪戯っぽい声でそう言って、焦らすような間を置き、それからこう続けた。


「――でも、ハンサムで強い男は、もっと好き」


 しばしの間、俺が黙り込んでいると、彼女は背中の古傷を、指先でそっと撫でてきた。


「ねえ、いつまで背を向けているつもり? 女の裸を見るのが、そんなに怖いのかしら?」


 猫撫で声で尋ねながら、彼女は豊満な乳房を背に押し当ててきた。


(……さて、どうしたものか)


 本気なのか、悪い冗談か、はたまた何かの企みがあってのことか。

 彼女の誘惑の真意を、俺は計りかねていた。 


(――だが、誘いに乗るのも悪くはない)

 

 思案の末、達した結論がそれである。

 ブエタナとは違い、いくらかなりとも人間味を残したルミネラならば、懐柔できる可能性があると踏んだのだ。

 ブエタナ本人を除けば、バルボロ一家の秘密を聞き出す相手として、彼女以上の適任はいない。

 

(――利用できるものは、何でも利用してやる)


 俺は覚悟を決めて振り返り、唐突にルミネラの唇を奪った。

 自分のように無骨な輩が、色仕掛けの真似事など、甚だおかしかったが、今は手段を選んでいられるときではない。


「……あッ」


 ルミネラはたちまちのうちに俺の背に手を回し、狂ったように唇を貪り始めた。

 やがて、彼女は甘い吐息を漏らしながら、俺の下腹部に手を伸ばし始める。

 だが、俺は彼女の手に自らの手を重ね合わせ、その自由を奪った。


「俺は急ぐのが嫌いでね。お楽しみは、あとに取っておこう」


 そう言って、俺は彼女の指先にそっと口づけをした。


「……あら、そんなこと言っていいのかしら?」


 ルミネラは、その顔に恍惚の余韻を残しながらも、微かに苛立った声でそう言った。


「私がその気になるなんて、とても珍しいことなのよ。『あとに取っておこう』だなんて言っても、その機会は、金輪際訪れないかもしれない」


「――訪れるさ。必ずな」


 俺はきっぱりとそう告げ、再び彼女に背を向けた。

 ルミネラのような女ならば、欲しいものは何でも手に入れてきたはずである。

 従って、望むままに全てを与えても、さっさと飽きられてしまうのがオチだ。

 それならば、着かず離れずの距離を保っておいたほうが、かえって都合がいい。

 

「『あのときモノにしておけば良かった』って、いずれ後悔なさい。私は、猫のように気まぐれなんだから」


 背後からそう聞こえてきたが、俺は構わず浴場の外へ出て着替えを済ませ、さっさとテーブルへ向かった。



 *   *   *



 ほどなく、むくれた顔のルミネラが席に戻り、ようやく会はお開きとなった。

 それから俺たちは建物を出て、再び例の路地に行き着くと、馬車は既に迎えに来ていた。


 帰り道、ぼんやりと馬車に揺られていると、隣に座っていたブエタナが、俺の耳元でこう囁いた。


「明日の晩、一人で私の書斎に来なさい。大事な話があるわ」


 言わずもがな、俺は二つ返事でそれを承諾した。


(――早速、“ビジネス”の手ほどきをする気になったのかもしれぬ)


 期待したのは、もちろんそれである。

 無論、そこまで都合よく事が運ぶかはわからないが、八方塞がりだった現状に、はっきりと変化の兆しが現れたのは確かである。


 その後、帰路では特に変わったことは起きず、俺たちは無事に屋敷へ辿り着くことができた。

 離れに戻り、一目散にベッドに向かうと、俺はたちまちのうちに泥のような眠りへと誘われた。

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