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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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14.悪魔の歓迎

「――今宵は、まさかまさかの挑戦者の勝利ですッ!! 皆様方、盛大な拍手をッ!!」


 蝶ネクタイの男が、声の限りに叫ぶと、割れんばかりの拍手と歓声が湧き起こった。

 中には、怒号や罵声も混じっていたが――その声の主どもは、牛人に賭けていたに違いない――俺にとっては、何もかもがどうでもいいことだった。


 ひどく疲れ果てた俺は、足早に檻から出て、一目散に席へと向かった。

 牛人の返り血によって、全身が血みどろとなっていたが、当然ながら、着替えは持って来ていない。

 だが、もとをただせば、全てはブエタナの仕組んだ茶番のせいである。


(……構うものか)


 そう思いながら席に着くと、俺以外の三人には、既にメインディッシュが供されていたようで、ブエタナはまさにそれを堪能している最中だった。

 ルミネラは平らげてしまったあとらしく、皿は空になっていたが、レジィの前に置かれた魚料理だけは、ほとんど手がつけられていない。

 俺の残した前菜は、そのまま置かれていたが、それを口にしようという気は、やはり起こらなかった。


「……あなたには、感謝を言っておかなくちゃね」


 間もなく、ルミネラが頬を上気させながらそう口走った。


「私も伯母様も、ケンゴーの勝利に賭けていたの。お陰で、良い小遣い稼ぎになったわ」


 ひどくうっとりとしたその口調に、俺は寒気さえ覚えた。

 人命を弄ぶ賭けに興じながら、食事に舌鼓を打つような女の感謝など、ただひたすらに虫唾が走るばかりである。

 返事をする気はさらさらなかったので、じっと黙り込んでいると、今度はレジィが訝しげな目をこちらに向けてきた。


「……あんた、一体何者なんだよ。本当に、ただの元傭兵なのか?」


「そうだとも。ただの元傭兵だ」


 きっぱりそう告げると、レジィはたちまち眉をひそめた。


「レジィ、お前は戦場に出たことはあるか?」


 尋ねると、彼は小さく首を横に振った。


「俺くらいの奴なんて、いくらでもいたさ。お前が知らないだけで」


「……白々しい。そんなの信じられるわけないだろ」


 レジィは呆れたようにため息をついたが、俺は嘘を言ったつもりはなかった。

 事実、ゼルマンドに奇襲をかけた際、国中から集められた精鋭は、いずれも俺に引けを取らぬ猛者たちばかりだったし、敵陣にもそれと同等の手練れが揃っていた。

 もっとも、そのうちの大半が命を落としたが、俺がこうして無事に生き残れたのも、たまたま暗黒魔術を会得していたからに過ぎない。


「……あなたのために拵えたメニュー、楽しんでいただけたかしら?」


 やがて、一人黙々と食事を続けていたブエタナが手を休め、そう尋ねてきた。


「いいや。あんたとは違って、ロクに駆け引きもできないような輩だったからな。実に退屈させられた」


 そう答えてやると、ブエタナは「今日くらいは無礼講を許しましょう」と言って、大きな笑い声を上げた。


「……何にせよ、実に見事だったわ。あなたは、私が望んだ以上の“結果”を示した」


 言いながら、ブエタナは口元についた僅かな血――メインディッシュの肉から流れ出たものだろう――を白いハンカチーフで拭った。


(……!?)

 

 その姿を目にした瞬間、俺の背筋に戦慄が走った。

 出し抜けに、ブエタナが先刻発したセリフが思い返されたためである。


『メインディッシュに関しては、私は殺したての新鮮なものを、血の滴るようなレアで』


『……ただ、今日の肉はちょっとばかり脂身が多いから、それは除いて、赤身だけをいただこうかしら』


 殺したて(・・・・)今日の肉(・・・・)脂身が多い(・・・・)――それらの言葉は、二つの肉塊へと変わり果てた、哀れな小太りの中年男の姿を想起させた。

 そう、“天使の園”の院長その人である。


(――まさか、食ったのではあるまいな?)


 もちろん、確証はない。

 だが、俺はどうしても、その可能性を否定しきることができなかった。

 何よりも、“今日の肉はちょっとばかり脂身が多い”という部分がいやに引っかかる。

 これは、事前に食材となる肉の質を知っていない限り、決して出てこないセリフと言えた。


「――ようこそ、バルボロ一家(ファミリー)へ。歓迎するわ」


 例のごとく、ブエタナが偽物の聖母の微笑を浮かべたのを見て、俺は微かな吐き気を覚えた。


「どうしたの、ケンゴー? 顔色が悪いわよ?」


 ルミネラが不安そうに尋ねてきたが、彼女の顔を見るなり、ますますひどい気分になった。

 俺の勘が正しければ、ルミネラの胃袋にも、院長の一部が収まっているということになる。


「……少々、疲れただけだ」


 長い沈黙の後、俺はやっとのことでそう答えた。

 するとルミネラは、風呂に浸かって綺麗さっぱり返り血を洗い流し、体を休めたらどうかと持ち掛けてきた。

 聞けば、この建物の中には、大人数用の浴場まで設けられているという。

 係の者に着替えも用意させるとのことだったので、俺は二つ返事でそれを承諾した。

 一刻も早くこの席から離れたかった俺にとって、願ってもいない話である。



 *   *   *



(……風呂に入るだなんて、一体いつぶりだろうか?)


 俺は白い湯気の立ち昇る大浴場に、心地よく肩まで浸かっていた。

 熱い湯が、ほどよく身体と心をほぐしてくれたお陰で、いくらか気分はまともになっていた。

 ほかに誰一人として客はなかったが、それというのも、ルミネラが係の者に申しつけ、貸し切りを命じたためである。

 要するに、血まみれの入浴客がいては、ほかの者に迷惑がかかる、ということだろうが、俺にとってはこの上ない好都合と言えた。

 大理石の浴場を、たった一人で独占できる機会など、人生に何度も訪れるものではない。


(しかし、とんだ一日だった)


“天使の園”での一件、院長の無残な死、牛人との闘い、食人の疑惑――これまでの安穏な日々が嘘としか思えないほど、血生臭い出来事ばかりが身に降りかかってきた。

 それも、その全てがわずか半日の間に起こったのである。

 だが、どうにかそれらをやり過ごしたお陰で、俺は正式にバルボロ一家へ迎えられる運びとなった。


(遅かれ早かれ、一家の“ビジネス”について知る機会はやって来るだろう)


 俺はそれを確信していたが、同時に真実を知ることに対する幾ばくかの恐怖もあった。

 何と言っても、聖女の仮面を被った悪魔が考えついた金儲けの手段である。

 十中八九、耳をふさぎたくなるようなものに違いなかった。

 しかし、それが消えた娘たちの手がかりになるだろうということも、また確かである。


(――それだけが、唯一の希望だな)


 そう思いながら、俺は深々とため息をついた。

 真実に近づくことは、即ち一家との関わりを深めてゆくことでもある。

 そうなれば、ますます血生臭い出来事と対峙する機会も増えるであろう。

 加えて、彼らの悪事に手を貸すつもりもない以上、今後は一層知恵を働かせなくてはならない。

 自分自身が犯罪者になり下がらぬためには、より慎重に立ち回る必要があった。


(……相当骨を折らねばなるまい)


 またも、俺は底深いため息をついた。そのときだった。


「――湯加減はどうかしら?」


 言いながら、一糸まとわぬ姿のルミネラが、浴場に踏み入って来たのである。

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