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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第二章:暗黒街の用心棒
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11.秘密の花園

 ブエタナは、店の古びた扉の前に立ち、囁くようにこう言った。


「……私よ、通しなさい」


 すると、軋んだ音を立てて、内側から扉が開いた。

 中から姿を現したのは、枝つき燭台を手にした、ひどく痩せこけた男である。

 男は俺たちに恭しく頭を下げ、真っ暗な建物の中へと通した。


(……これから一体、何が始まるというのだ?)


 前を進む一行の背を追いながら、俺は腰に下げた片手剣の柄に手をかける。

 窮屈な室内で振るうには、背に担いだ大剣よりも、こちらのほうがおあつらえ向きと言えた。 

 

 やがて狭い廊下を通り抜けると、いくらか広さのある、倉庫と見える場所へ出た。

 中央に通路があり、その左右の天井には、何かが群れるようにぶら下がっている。

 間もなく、燭台の薄明かりによって暴かれたその正体は、肉の塊や連なった腸詰肉だった。

 不気味に照らし出されたそれらの数は、実におびただしい量で、その陰に刺客が潜んでいようと、あるいは人間の肉が混じっていようと、およそ気づかぬように思われた。


 倉庫の奥には扉があり、その先は書斎らしき部屋となっていた。

 中央に置かれた粗末な書き物机と、壁際に備え付けられた書棚以外、特に目ぼしいものはない。

 案内役の男は、書棚の前に立つと、それに力強く手をかけ、思い切り真横へと滑らせた。

 すると、その奥にあったのは、地下へと続く階段である。


「私の趣味、気に入ってもらえるといいのだけど」


 ブエタナは静かな声でそう言うと、前の者たちに続き、ゆっくりと階段を下り始めた。


(……十中八九、気に入りそうにないが)


 さらに警戒心を強めつつ、俺は黙って彼女のあとに続いた。


 階段は狭く急で、合間に小さな踊り場を挟む、折り返し式のものだった。

 それは、果たして終わりがあるのかと疑いたくなるほど、長く長く続いたが、やがて、下のほうから薄明かりが差込むようになり、遂に開けた場所へ出た。


 そこは、真っ直ぐに続く石造りの廊下で、壁際には無数の燭台皿が並べられている。

 最奥部には、いかにも頑丈そうな鉄の扉が見え、その左右には一人ずつ、フルプレートで武装した番が剣を携えて立っていた。

 彼らは俺たちの姿を認めると、静かに頭を垂れ、分厚い鉄扉を開く。

 案内役だった痩身の男は、そこで俺たちにお辞儀をして、いそいそと階段に引き返していった。


 その先に待ち受けていた光景は、まさしく“秘密の花園”と言えた。

 壁一面には、蔦の絡んだ紅白の薔薇が、艶やかに咲き誇っている。

 そればかりか、鮮やかに彩られた花壇までもが、だだっ広い正方形の部屋を、ぐるりと囲むようにして設けられていた。

 光の届かない地下にもかかわらず、これほどまでに多くの植物が育っているのは、おそらく、何らかの魔術を用いているためだろう。

 まるで大貴族の庭園を、そのまま移設したのではないかと思えるほどだ。

 加えて、花壇の内側には、上流階級向けのレストランよろしく、純白のテーブルクロスのかかった円卓がいくつも並んでいる。

 だが、そこに腰を据えているのは、王侯貴族と見えるような種の人間ではない。

 ブエタナとその姪と同様、庶民的な衣装に身を包んでいる者ばかりである。

 お喋りに興じる者、食事に舌鼓を打つ者、既に酒に酔ったと見え、真っ赤に顔を染めた者――各々楽しんでいるようだったが、その中の幾人かは、今日の“天使の園”のセレモニーのあと、ブエタナの挨拶周りに付き添った際に見た顔だった。


(……要するにこの場所は、安全を保障された秘密の社交場といったところか)

 

 ルミネラも、ポリージアには剣呑な連中が多いと言っていたはずである。

 地元の名士たちがわざわざ変装して足を運んでいるところを見ると、彼らも少なからず、我が身を危険に晒したことがあったのだろう。

 とにかく、地獄の一丁目に足を踏み入れる覚悟を決めていた俺としては、少々拍子抜けの結末と言わざるを得なかった。


 しかし、一つだけ気がかりだったのは、部屋の中央に配された、四角形の箱のようなものである。

 何と言っても、それは桁外れに馬鹿でかく、家一軒が丸ごと収まってもおかしくないほどの大きさだった。

 だが、その実態が何なのかは、(よう)として掴めなかった。

 表面が、天井の穴から吊り下げられた黒幕で、すっぽりと覆われているためである。


「……伯母様が、ここのオーナーなの。驚いた?」


 入口で足を止めていると、ルミネラがそう話しかけてきた。

 俺はその質問を無視して、「あの箱は何だ?」と尋ねたが、彼女は意味ありげな微笑を浮かべただけで、何も答えなかった。


「では、特等席で食事を楽しみましょう。もちろん、ご馳走させていただくわ」


 部屋の中ほどまで歩いたところで、ブエタナがそう切り出した。

 彼女に促された俺たちは、得体の知れぬ箱から最も近いと思われる席に、めいめい腰を下ろす。

 ほどなく、見目麗しい金髪のウエイターがやって来て、注文は何にするかと訊いてきた。


「四人分、いつものコースをお願いするわ。メインディッシュに関しては、私は殺したての新鮮なものを、血の滴るようなレアで」


 ブエタナは、メニューも見ずにそう告げた。


(あれほど凄惨な光景を目にしたその日に、よくもそんな料理を頼めるものだ)


 俺は驚くと同時に感心さえした。

 彼女が通常とは異なる神経の持ち主であることに、もはや疑いの余地はない。


「……ただ、今日の肉はちょっとばかり脂身が多いから、それは除いて、赤身だけをいただこうかしら」


 ブエタナはそう注文をつけたのち、まぶしげに目を細めて俺たちを見やった。


「ここのお肉、とっても美味しいのよ。あなたたちも、メインディッシュに同じ品はいかが?」


「ええ、私も伯母様と同じものをいただくわ」


 ルミネラはうっとりとした声でそう返したが、彼女に続く気はさらさら起きなかった。

 俺とレジィは珍しく意見が合い、どちらも魚料理をとった。


 やがて前菜が運ばれてきたが、食欲は少しも湧かず、ほとんど手をつけなかった。

 それを見かねたらしいルミネラは、「あなたのためのお祝いなんだから」と言って、しきりに食を促してきたが、俺は聞こえないふりをし続けた。

 まぶたの裏には、今もなお、例の少年の死に顔がこびりついていた。

 その姿は、過去に繰り返し戦場で目にした、無数の少年たちの死に顔と溶け合い、底知れぬ絶望感となって、俺の心をさいなませた。



 *   *   *



 それ(・・)が始まったのは、俺を除いた三人が前菜を食べ終えたころだった。

 音頭を取ったのは、黒いベストに蝶ネクタイという出で立ちの、さして風采の上がらない男である。

 彼が堂々たる足取りで、例の巨大な箱の前へと進み出ると、席についていた者たちは、息を合わせたように惜しみない拍手を注いだ。


「――それでは皆様方、時刻となりましたので、これより本日のメインイベントを開催いたします。また、“賭札”の購入は、既に締め切りとなりましたのでご了承ください」


 男が声高らかに宣言すると、再び拍手が湧き起こった。


「さて、まずはこちらをご注目ください。今宵は、世にも稀なる代物をご用意いたしました」


 男の言葉に呼応して、カラカラという金属音が鳴り始め――おそらく、何らかの機械仕掛けが作動したのだろう――箱に被さった幕が、少しずつせり上がってゆく。

 やがて幕は、天井の穴の中へすっかり収められてしまった。

 同時に、その場の者たちから、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。


(……!?)


 暴かれた箱の正体は、巨大かつ堅牢な檻で、その中には異形の者が立っていた。

 大鉈を手にした、馬鹿でかい牛頭人身の化物である。

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― 新着の感想 ―
奴隷商かと思ってたら遥かに斜め上だった。
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