9.凶刃
俺は一瞬、自分が目にしたものの意味を、まるで理解できなかった。
より正確に表現すると、宙を舞っていたのは、少年の上半身だったのである。
たちまちのうちに、俺の顔中に生暖かい液体が降り注ぎ、それは頬を伝って足元の草を濡らした。
間もなく、少年の身体は、音もなく地面へと落ちた。
「……助かったわ。二人ともお手柄よ」
微かに震えるブエタナの声を聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
このわずか数瞬の間に、己の目にした全てが、ただの幻であって欲しいと切に願いながら。
だが、俺の目の端は、確かに捉えてしまっていたのだ。
鉄塊のような大剣を、並ならぬ速さで横一閃に振るい、少年を真っ二つに切り裂いたレジィの姿を。
そして、驚いたように目を見開いた少年が、空中で飛び出した腸を押さえたまま、なす術もなく死んでゆく姿を。
「……なぜ殺した?」
目を開けた俺は、レジィに向き直り、声を押し殺して尋ねた。
「その質問、答える必要があるとは思えないね」
剣に付着した血を払いながら、レジィはそう言った。
彼の嘲るような口調は、ものの見事に俺の神経を逆撫でした。
「……殺す必要なんて、絶対になかったはずだ」
そう言ってレジィに詰め寄ると、彼は小さく鼻を鳴らした。
「生かしておけば、誰の差し金か聞き出すこともできただろうって、そう言いたいのかい?」
俺は返す言葉も見つからなかった。
レジィの発言は、何もかもが的外れで、人を人とも思わぬ畜生のそれだった。
「だったら、心配は要らない。ガルノガ一家の仕業に決まってるさ。それに、こんなガキから得られる情報なんて、たかが知れてる」
遂に怒りを抑えきれなくなった俺は、レジィの胸ぐらを掴み、黙れ、と言った。
だが、彼はそれに従わなかった。
「自分を守る力のない奴から死んでいく。大人だって子どもだって、それは同じことさ」
レジィは真っ直ぐに俺を見つめながら、吐き捨てるように言った。
俺の知る限り、彼がしっかりと人の顔を見て話すのは、初めてのことだった。
本心を口にしているのであろうことに、疑いの余地はない。
「……こいつはその力がないから、唆され、人殺しになりかけ、そして報いを受けた。ただそれだけのことさ」
「――馬鹿を抜かすな。こんなに幼いのだぞ? 過ちの一つや二つ、犯すことだってある」
俺は真正面からレジィを睨みつけ、そう言った。
「罪を償う術も、更生の余地も、どちらも残されていたはずだ。それを貴様は……」
「――二人とも、止めなさい」
有無を言わせぬ口調で割って入ってきたのは、ブエタナだった。
俺は冷めやらぬ怒りをどうにか抑え、レジィの胸元から手を離した。
「……責めるなら、私を責めるべきです」
ブエタナは、しっかりと俺の目を見据えながら、諭すように切り出した。
「私はレジィに、襲撃者の息の根は必ず止めるようにと、常々言い聞かせてきました。少々手荒かもしれませんが、そうでもしなければ、私の命を狙う者はつけ上がり、何度も同じことが繰り返されるでしょう。さらなる血が流れぬようにするためには、こうするほかないのです。たとえ、その相手が幼い子どもであろうと」
ブエタナの口調は、実に淡々としたものだった。
年端も行かぬ子ども――それも、自ら経営する孤児院で養育する子どもだ――に危うく殺されかけた上、その死さえ眼前で見届けた直後にしては、あまりに冷静と言えた。
よほど肝が据わっているのか、人の死に慣れすぎているのか。
もしその両方が正解だとしたら、この女は、俺の予想を遥かに凌ぐ化物に違いなかった。
「ほかにも、刺客がないとは言い切れません。先を急ぎましょう」
そう言い残し、ブエタナは馬車に向かって歩き出した。
「……この一件、金輪際蒸し返すなよ」
ブエタナのあとに続こうとしたそのとき、釘を刺すようにレジィが言った。
「あんたも俺も、やるべきことをやった。それ以上でもなければ、それ以下でもない」
彼は無表情な声でそう続けたが、返事をする気にはなれなかった。
ブエタナとレジィが馬車に乗り込むのを見届けたのち、俺は御者台に上がった。
若い男の御者が、不思議そうな目を向けてきたが、俺は構わず彼の隣に腰を下ろした。
やがて、御者が馬に鞭をくれると、馬車は静かに走り出した。
間もなく日は暮れ、不気味なほど真っ赤な夕陽が沈んでゆくのを、俺はただぼんやりと眺め続けた。




