8.天使の園
用心棒として働き始め、早くも七日目に入ったが、その日の午前は何事もなく過ぎた。
ブエタナは、例のごとく書斎にこもりきりで、その間に俺がしたことと言えば、ドアの傍で何度もあくびを繰り返すレジィを、呆れながら眺めることくらいだった。
(……しかし、この少年は一体、何者なのだろう?)
レジィはルミネラに似て口数が多く、何かにつけて無駄話をふっかけてきた。
俺は敢えてそれに乗じ、幾度もこの少年の素性を探ろうと試みたが、毎度のように、のらりくらりとかわされるのが関の山だった。
たとえばこんな風である。
「……ねえ、修道女の衣装ってさ、逆説的にいやらしいと思わない?」
レジィは年端もいかぬガキのくせに、女にばかり関心があるらしかった。
話題に上がるのはいつも女で、とりわけ修道女に対する固執は尋常ならざるものがあった。
何と言っても、ブエタナ行きつけの修道院に身を置く修道女たちを、美しさの度合いで格付けをするのが趣味だと公言しているほどである。
これほど罰当たりな趣味も、ほかにあるまい。
「俺はそうは思わん。ところで、人間の性的嗜好は、幼少期の生育環境と深い関係があるらしいな」
興味の欠片もない話だが、仕方なしに釣り針を下げてやると、レジィは目をらんらんと輝かせ、話に食いついてきた。
そこで、俺はここぞとばかりに質問をぶつけてみる。
「……察するに、お前の身内に、修道女がいたのではないか?」
「それは駄目だよ。俺は修道女と道ならぬ恋がしたいだけで、近親相姦はお断りだ」
返事がこれである。
きちんと会話を続ける姿勢をとりながらも、俺の質問に関しては、“はい”とも“いいえ”とも意思表示をしない。
全てがそんな調子だった。
自分の素性に近づくような質問は、一つの例外もなく、ものの見事に弾いてみせるのである。
能天気な阿呆のように見せかけて、実に慎重で、機転の利く会話術をモノにしていた。
おまけに、ブエタナのように目端の利く人物が用心棒に雇っているのだから、剣の腕前も相当立つに違いなかった。
幸か不幸か、いまだ剣を抜く機会も訪れていないため、果たして、あれほどの大剣を扱いこなせるのかは謎のままだったが、ただの飾りで持っているとは到底考えられない。
いつしか、俺はレジィに対し、ただならぬ不気味さを覚えるようになっていた。
軽口を叩くばかりの彼の人格は、一貫性のある演技だけで成り立っているようにも思え、不自然なほど人間味を欠いていると言えなくもなかった。
本性と呼べるものが、どうにも見当たらないのである。
(……もしかしたら、本性がないのが“本性”なのかもしれぬ)
終いには、そんな風にさえ考えるようになっていた。
だが、レジィにも本性はあったのだ。
俺は間もなく、思いがけぬかたちで、彼の素顔の一端を垣間見ることになる――。
* * *
その日の午後は、久々に外出の予定が入っていた。
行先は、いつもの修道院ではなく、八十余名の児童を収容、養育する孤児院“天使の園”だった。
“天使の園”は本日が創立記念日だったらしく、その創立者兼経営者たるブエタナは、それを祝うセレモニーの出席を頼まれていたのである。
セレモニーは、院長――肉付きの良い中年男性だった――の挨拶で幕を開け、子どもたちの劇があとに続いた。
その筋書きは、神の啓示を受けたブエタナが、それに従って慈善事業を手がけ、やがて孤児院設立に奔走するというもので、あからさまに創立者の礼賛を意図していた。
批評に値せぬ内容ではあったが、一生懸命演じる子どもたちの姿には、思わず俺も見入った。
劇のあとには、屋敷から運んできた菓子類が皆に配られ、あちこちからあどけない歓声が上がった。
最後は、創立者自らの挨拶で締められ、会場全体に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
その後、ブエタナはセレモニーに招かれていた地元の名士たちを挨拶して回った。
それが一通り済んだころには、既に日は陰り始めていた。
「……きょうは、きてくれて、どうもありがとう」
俺たちが孤児院の正面玄関を抜け、美しい草花に囲まれた庭園に出たとき、背後からそんな声が聞こえてきた。
振り向くと、目鼻立ちの整った金髪の少年が、どこか恥ずかしげに立っていた。
年のころは、七つか八つといったところだろう。
やがて少年は、俺とレジィの間をすり抜け、ブエタナの元へと駆け寄って来た。
「ぼくね、ブエタナさまに、こっそりプレゼントもってきたの」
そう言って、少年はにっこりと微笑んでみせた。
その屈託のない笑顔は、実に愛らしく、つられて俺も頬を緩めたほどだった。
「……あら、嬉しいわね。一体何かしら?」
ブエタナはそう言って、少年の前に屈み込む。
同時に、少年が懐に手を入れ、素早く何かを取り出すのが見えた。
(――!?)
俺は我が目を疑った。
銀色のきらめきが、確かに目に映ったのである。
次の瞬間、少年の顔が別人のように様変わりしたのを、俺は見逃さなかった。
怒りに支配されたかのごとく、がっちりと歯を食いしばり、眉は鋭い角度に吊り上がっていた。
大きく開かれた瞳には、暗い憎悪に満ちたような、得も言われぬ輝きさえ宿している。
それは、幾度となく戦場で目にしてきた、見紛うことなき人殺しの顔だった。
「――止めろッ!!」
俺は咄嗟に、目の前のブエタナを横に突き飛ばす。
すると、少年の手にしたナイフは狙いを逸らし、虚しく空を切った。
(――良かった)
俺はホッと胸を撫で下ろした。そのときだった。
――少年の身体が、まるで玩具のように、宙に舞った。




