2.ゼルマンドの最期
王国歴1397年。うだるような暑さの、ある夏の日。
遂に、件の奇襲作戦が決行された。
参加するのは、王国中から選び抜かれた屈指の腕利き約50名。
遠征中のゼルマンドは、レヴァニアの隣国、ヴァンデミアの地方領主の城を攻め落とし、束の間の住処としていた。
密偵の報告では、城内に配備されているのは、身辺警護の兵のみ。
その数、わずか200程度。それ以外の兵たちは、既に次の戦地へと発ったらしい。
夜明け前、二手に分かれた俺たちは、正門と裏門から同時奇襲をかけた。
奇襲は成功したものの、戦局は決して有利というわけではなかった。
相手側にも、ここぞとばかりに実力者が揃えられていたためである。
戦いは想像以上に苛烈を極め、多くの仲間たちが犠牲となった。
それでも、俺たちはどうにか防衛網を突破し、城の大広間へと至った。
遂に対峙したゼルマンドは、ただ一人、不敵な笑みを浮かべて玉座に腰を据えていた。
青白い顔をした白髪の中年男で、漆黒のローブに身を包んでいた。
これといった特徴のない男だったが、それがかえって不気味に思えた。
「……少々退屈していたところだ。歓迎しよう」
“たった一人で一国を滅ぼせる”と世界中から恐れられた男の余裕が、その勿体ぶった口調から感じられた。
一方、こちらの戦力は、俺を含めてたったの五名まで減少していた。
“レヴァニアの鷹”、若き騎士団長ガンドレール。
“戦乙女”、麗しの聖騎士イクシアーナ。
“死の渡り鳥”、歴戦の傭兵ファラルモ。
“冷血”、魔術の才媛リアーヴェル。
俺を除けば、誰もがその名を知る英傑ばかりである。
だが、彼らとて、人間であることに変わりはない。
俺同様、ここに至るまでの戦いで精も根も尽き、満身創痍の状態だった。
「……楽しませてくれよ」
言いながら、ゼルマンドは天に向かって両手をかざした。
その途端、俺以外の四人が地べたに這いつくばった。
「……これは、生命吸収!?」
リアーヴェルが呟いた。
“生命吸収”とは、その名の通り、相手の生命力を奪う高位の暗黒魔術である。
しかし、俺には通用しなかった。
なぜなら俺もまた、暗黒魔術の使い手であり、その耐性を有していたためである。
* * *
俺が初めて暗黒魔術に触れたのは、十歳かそこいらだったと思う。
娼館を訪れた客が、一冊の魔術書を置き忘れたのがきっかけだった。
部屋の掃除を一手に担っていた俺は、それを見つけ、黙ってくすねた。
自分も魔術を会得できるのではないか、と密かに期待したためである。
幼い俺は、無我夢中のまま、そこに記された魔術を片っ端から試した。
だが、どれも上手くいかなかった。
残念ながら、大半の人間がそうであるように、魔術の適性がなかったのである。
けれども、俺はそこで諦めなかった。
自らの苦境を脱するには、力が必要不可欠だと理解していたからだ。
そこで目をつけたのが、暗黒魔術だった。
暗黒魔術のいくつかは、 “血液”を媒介とすることで、誰でも使用することができる。
その分、習得は難しいとされているが、俺は一年ばかりの鍛錬の末、 血液を自在に操る“血操術”を身につけることができた。
血操術は、中位の暗黒魔術で、己の傷から流れた血液を剣に変えたり、血しぶきを刃に変えて敵に浴びせたりと、戦闘においては、かなり汎用性が高いことで知られている。
実を言えば、俺があまたの戦場を生き抜いてこれたのも、血操術のお陰にほかならなかった。
だが、のちに俺は知ることになる。
暗黒魔術が、その忌々しさのために、法によって固く禁じられていることを。
無学だった俺は、そんな常識さえも知らなかったのだ。
その後、暗黒魔術を捨てるか否かで悩んだが、結局は隠れて使い続ける道を選んだ。
戦場で確実に生き残るためには、そうする以外に術はなかった。
ただし、“必要に迫られたとき、極力人目を避けて使用する”という条件を自らに課した。
そのお陰で、幸運にも、俺が暗黒魔術の使い手であることが露見したことはなかった。
* * *
「……だらしないぞ。もっと楽しませて欲しいものだ」
玉座から降りたゼルマンドが、高笑いと共に、俺たちの元へ近づいて来た。
そのとき、俺は生命吸収によって苦しんでいるように装い、地面に伏していた。
無論、相手を油断させるためである。
それが奏功し、ゼルマンドは俺の前ではたと立ち止まった。
「……おい、聞こえているのか? これで終わりか?」
そう吐き捨てると、ゼルマンドは俺の握っていた鋼の剣を蹴飛ばした。
その瞬間、ここぞとばかりに飛び起きた俺は、先の戦いで作った脇腹の傷口に、思い切り右手を突っ込んだ。
「――血よッ!! 剣となって我が手に宿れッ!!」
相手の虚を突いた俺は、瞬時に自らの血液から“血の剣”を錬成し、その刀身を深々とゼルマンドの心臓に突き立てた。
同時に、激しい鮮血が宙に舞う。
次いで、すぐさま“血の剣”を引き抜き、全身全霊の力を込めて、その首をはね飛ばした。
最強最悪と謳われた男にしては、あまりに呆気ない最期と言えた。
だが、現実とは往々にしてそういうものなのだろう。
こうして、俺は積年の宿敵を、自らの手で討つという悲願を果たしたのだった。
だが、予想通りと言うべきか、祝福の言葉をかけてくれる者は誰もいなかった。
「……あなた、どうして暗黒魔術を?」
“戦乙女”ことイクシアーナは、立ち上がるなり、侮蔑の混じった目で俺を見た。
聖職者ならば、至極当然の反応だろう。
「毒を以て毒を制す、か。面白いねえ」
“死の渡り鳥”こと傭兵ファラルモは、あぐらをかいたまま、他人事のようにそう言った。
「俺は、ゼルマンドを殺すためだけに生き永らえてきたようなものだ。それを成し遂げた今、もはやこの世に未練はない。煮るなり焼くなり、異端魔術審問所に告発するなり、好きにしろ」
俺は四人に向かってそう言った。
決して強がりではなく、嘘偽りのない本心だった。
正直な話、俺はずいぶんと前から、戦うことに、生きることに疲れ果てていたのだ。
「……馬鹿なこと言わないでくれッ!!」
そう声を荒げたのは、“レヴァニアの鷹”ことガンドレールだった。
王国騎士団の団長である彼とは、数え切れないほど戦場を共にしてきた仲だった。
「僕たち四人は、“何も見なかった”。そういうことにしませんか?」
ガンドレールは、ほかの三人に向かってそう告げた。
「僕たちが黙ってさえいれば、イーシャルが暗黒魔術を使ったことは、絶対に外に漏れない。彼のお陰で命拾いできたんだ。文句はありませんよね?」
俺の知る限り、ガンドレールは根っからの真面目で堅物で、融通の利かない性格だった。
従って、彼の発言には驚かざるを得なかったが、それ以上に嬉しくもあった。
生来、無口で不愛想な俺は、他者から敬遠されてばかりいた。
それを重々承知していたゆえに、戦場で肩を並べる仲間とも、必要以上の交流を避けてきた。
にも関わらず、彼は俺に対し、親愛の情を示してくれたのである。
万に一つも起こり得ない、ほとんど奇跡に等しい助け船と言えた。
「……別に構わない」
最初に沈黙を破ったのは、“冷血”ことリアーヴェルだった。
「そもそも私は、普通の魔術だろうと、暗黒魔術だろうと、特に差はないと考えてきた。要は使い手の問題でしかない。法に触れないのなら、私だって習得する」
「俺もいいぜ。だが、一つだけ取引を頼みたい」
次に口を開いたのは、ファラルモだった。
「この件を黙っている代わりに、ゼルマンドに止めを刺したのは俺ってことにしてもらいたいんだ。傭兵稼業にゃ、名誉が欠かせないからな。なぁ、いいだろう?」
浅ましい男だと思ったが、俺は申し出を承諾した。
断る理由は、これと言って見当たらなかった。
「……無論、僕は提案した張本人だし、賛成です。あとは、イクシアーナさん、あなただけですね」
ガンドレールが、静かな声で問いかける。
すると、イクシアーナは苦悶に満ちた表情を浮かべた。
「まさか、命の恩人を、売ろうとお考えですか?」
ガンドレールが詰め寄ったが、イクシアーナは答えなかった。
ひどく張り詰めた沈黙が、一同に降りた。
「……彼は、正しく力を行使しました。その点は、認めざるを得ません」
やがて、イクシアーナは、眉をひそめながらそう言った。
「ただし、金輪際、暗黒魔術は使わぬことです。それは約束できますか? できるならば、私も口外しないと約束いたします」
俺は黙ってうなずいた。
ゼルマンドが倒れた今、もはや暗黒魔術の力を借りる必要もない。
「……では、改めて整理しましょう。まず、僕たち四人は、“何も見ていない”。次に、ゼルマンドに止めを刺したのは、ファラルモさんだった。そして、イーシャルは、二度と暗黒魔術を使わない。以上で、間違いありませんね?」
ガンドレールの問いかけに、ほかの三人は揃ってうなずいた。
こうして、俺たち五人は帰路についた。