6.聖母と少年
国内随一の港湾都市、ポリージアに着いたのは、既に日が暮れかけたころだった。
道中何も起こらなかったのは幸いだったが、暇を持て余したと見えるルミネラが、四六時中質問を浴びせてくるのには辟易とさせられた。
出身地、経歴、家族構成、魔術の適性、配偶者の有無、過去に付き合った女の数――個人的な興味のためか、はたまた職務上の必要に迫られたためか。
質問の意図を汲み取ることは難しかったが、とにかく、何から何まで嘘で固めなければ返事もできないので、ほとほと困らされた。
半日以上もそんなやり取りをさせられたお陰で、切った張ったの大立ち回りをした以上の徒労感が、全身にのしかかっていた。
「……着いたわよ、ケンゴー」
いつしかルミネラは、俺を名前で呼ぶようにさえなっていた。
仕方なしに与太話に付き合ってやったために、依頼主との距離が縮まったことは確かだが、果たして、それが良い判断だったのかどうかはわからない。
ルミネラに促されて馬車を降りると、微かな潮の香りが鼻孔をくすぐった。
遠くのほうから聞こえてくる、ひっそりとした波の音に耳を澄ませながら、俺は目の前にそびえる二階建ての白亜の豪邸を見やった。
ルミネラのあとに続き、物々しい両開きの扉を抜け、真っ白な壁に囲まれた壮麗なホールに至ると、男女の使用人が左右に整列して俺たちを出迎えた。
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
彼らは声を揃えて挨拶してきたが、ルミネラは何の返事もせずにホールを通り抜け、その先にあった螺旋階段を足早に登ってゆく。
俺も少しばかり遅れて彼女を追い、二階へと至った。
「……まずは、伯母様へご挨拶よ」
ルミネラは振り返らずにそう言って、廊下を真っ直ぐ進んでゆき、やがて、突き当りの部屋の前で立ち止まった。
ドアの脇には、白いシャツに革の吊りズボンという出で立ちの少年が、大きなあくびをしながら立っていた。
栗色の髪をしたその少年は、ひどく小柄で、年は十五にも満たぬように見えた。
くりくりとした、大きな黒目がちの瞳と、透き通るような白い肌の持ち主である。
しばしの間、俺は少年に目を奪われていたが、それは彼の愛らしさのためではなかった。
その小さな肩に、鉄塊と言っても差し支えないほどの、馬鹿でかい大剣を担いでいたためである。
その長さと幅は、優に少年の体躯を上回っており、俺でさえまともに振り回せないような代物と言えた。
「……よう、お帰り」
少年は、ひどく親しげな口調でルミネラに声をかけた。
「私の留守の間、何か変わったことは?」
「……特になかったよ」
少年は気だるそうに答え、それから視線を俺に移したが、すぐにそっぽを向いた。
「……ところで、あんた、いつまでその兜を被ってるつもり?」
ルミネラが突き刺すような眼差しを向けてきたので、俺は兜を脱いで脇に抱えた。
それから、彼女は静かにドアを二回ノックする。
「――伯母様、ただ今帰りましたわ」
少しばかりの間を置いて、内側からドアが開く。
中から姿を見せたのは、純白のドレスを身にまとった、長身の美しい女だった。
彼女は俺に一瞥をくれたのち、ルミネラを強く抱きすくめ、その頬に情熱的な接吻をした。
「――お帰りなさい、私の可愛いルミネラ。良くやったわ」
やがてルミネラから体を離した女は、ゆっくりと俺に向き直ると、貴婦人のようにドレスの裾を持ち上げ、恭しく頭を下げた。
「あなたが聖者様ね。私がブエタナ・バルボロよ」
遂に対面した“ポリージアの聖母”は、俺の想像とはかけ離れた容姿をしていた。
二十歳を超えた姪がいるとなれば、せいぜい若くとも四十過ぎと見積もっていたが、実際に目にしたブエタナは、ルミネラの姉と言っても通用するほど若々しかった。
小麦色の瑞々しい肌には、ほとんど皺は見受けられない。
髪は黒く艶やかで、美しく直線的に伸びた眉は、意志の強さを表しているかのようだった。
鼻はほっそりと高く、いくぶん膨れ上がった唇は、薄い桃色を帯びている。
どこかまぶしげに細められた瞳は、豊かな海のように青く澄み渡り、口元には、“聖母”の二つ名にふさわしく、気品と慈愛に満ちた微笑をたたえていた。
「……ケンゴーだ。よろしく頼む」
そう言って会釈をすると、ブエタナは離れて立っていた少年を手招きした。
「あなた、聖者様に挨拶はしたの?」
ブエタナが尋ねると、少年は首を横に振り、それから俺の元へと近づいて来た。
「……俺はレジィ。あんたと同じ用心棒だ」
少年は馴れ馴れしい口調でそう言うと、こちらに右手を差し出してきた。
俺は仕方なく握手に応じたが、同時にドキリとさせられた。
少年の手は、小さく硬く、そして桁外れの握力を有していたのである。
「この仕事に関しては、一応、先輩ってことになるけど、まあ、その辺は気楽にやってこう。よろしく」
少年は、真っ白な歯を剥き出しにして、俺に微笑みかけてきた。