3.ヴリド爺さん
ギルドを出た俺の頭に真っ先に浮かんだのは、ミードの村で聞いたある噂話だった。
「……今年はよォ、不作続きだったもんで、村の若い連中が何人か、ポリージアに出稼ぎに行ったんだ。ところが、全く帰ってくる気配もないどころか、揃いも揃って手紙一つさえ寄こさねえって、両親どもが嘆いててよ。まあ、都会には娯楽も多いだろうし、こんな田舎のことなんか、すっかり忘れちまってるだけかもしれねぇが」
数日前、一緒に畑仕事をしている最中に、テモンがそうぼやいたのだ。
「名前は忘れちまったが、大層偉い慈善家が、仕事を紹介してくれるっちゅう話があってよ、連中はそれに飛びついたんだ。何でも、衣食住の面倒まで見てくれるんだとか言ってたな。そんな都合の良い話はあるめぇと思って、おらは真に受けなかったんだが」
結局、その話を聞き流しはしたものの、そのとき、心のどこかに違和感が芽生えたのは確かだった。
俺が関わり合ったミードの村の若者たちは、テモンやシナムをはじめ、皆が皆、今どき珍しいほどの働き者で、孝行息子、孝行娘ばかりだった。
彼らが一も二もなく儲け話に飛びついたのは、家計を案じたからに違いない。
それは容易に想像できた。
だが、皆一様に便りさえ寄こさないというのは、彼らの純朴で思いやりに溢れた性格を考慮すると、やはり不自然と言えた。
そして、当然ながらポリージアの慈善家と言えば、ルミネラの伯母、ブエタナ・バルボロその人にほかならない。
“聖母”と人々に称賛されながらも、やくざ者たちに命を狙われる、事業家兼慈善家。
彼女を頼ってポリージアに渡ったまま、音信不通となった若者たち。
ルミネラの提示してきた法外な報酬。
こうして、いくつもの要素を並べていくと、何やらおどろおどろしい一つの巨大なパズルが組み上がっていくような、薄ら寒い感覚を覚えた。
(……さすがに、考えすぎだろうか?)
自分自身が、実に疑り深く、少々考えすぎな性格であることは、よくよく承知していた。
無論、その若者たちが、ポリージアへ向かう道中、食い扶持に困った元傭兵、あるいはゼルマンド軍の残党と不幸にも遭遇し、殺されて金品を奪われたという可能性も否定はできない。
だが、それでも俺は自らの直観を信じて辻馬車に乗り込み、急いでミードの村へと向かった。
* * *
「……聖者様、村のヴリド爺さんが、ポリージアでひどい目に遭わされたのです」
村へ入るなり、道ばたで行き合ったシナムが、開口一番にそう言った。
一体何事だと問いただすと、彼は沈痛な面持ちでその経緯を聞かせてくれた。
「ヴリド爺さんの孫娘は、数か月前、ポリージアに出稼ぎに行ったんですよ。さる高名な慈善家が、仕事を紹介してくれるって話がありましてね。ところがいくら待てども、孫娘は便りを寄こさない。週に一通は必ず手紙を書くと、約束し合っていたそうなんですが。もちろん、俺もその娘のことはよく知ってます。早くに両親を亡くし、爺さんと二人暮らしだったんですが、絵に描いたような孝行娘でね。不義理を働くような性格じゃありませんから、妙だなとは感じていました」
そう言って、シナムは深々とため息をついた。
「とにかく、居ても立ってもいられなくなったヴリド爺さんは、孫の様子を確かめにポリージアへ向かい、その慈善家の屋敷を訪ねたんだそうです。ところが、何度足を運んでも、主人は留守だと門前払いを食らい続けた。遂に痺れを切らしたヴリド爺さんは、屋敷の前に居座り、『わしの孫を返せッ!!』って叫び続けたらしいんです。そしたら、とうとう守衛と揉み合いなっちまったそうで。挙句、爺さんは転んで腕を骨折したとかで、先日、慌てて村の者たちが迎えに行ったんですよ。今じゃ、すっかり落ち込んで、まるで死人みたいな面下げてましてね。お節介ながら、どうにかしてやれねえもんかと、村の者たちで相談し合っているところなんですよ」
それを聞くや否や、俺はシナムに頼み、すぐにヴリド爺さんの家へと案内してもらった。
今回ばかりは、ただの思い過ごしであって欲しいと切に願っていたが、奇しくも俺の不吉な予感は、全くの見当外れではなさそうである。
ほどなく到着したヴリド爺さんの家は、すきま風の吹きすさぶ、粗末な木造小屋だった。
戸口に立ったシナムが呼びかけると、やがて痛々しく右腕に添え木をあてた、皺だらけの白髪の老人が姿を現した。
ヴリド爺さんは笑顔で訪問を歓迎してくれたが、その目はどこか虚ろだった。
「……聖者様とお近づきになれるたぁ、願ってもおりませんでした。見ての通り、不自由な身体になっちまいましたが、茶の一杯くらいはお出しできますから、どうぞ、上がってくんなせぇ」
家の中へ入った俺たちは、ヴリド爺さんに勧められるまま、居間に置かれた椅子に腰を下ろした。
その体では手間だろうし、茶は出さなくて良いと申し出たが、爺さんが頑なに拒否したので、代わりにシナムが用意してくれた。
「……今日、こちらを訪ねたのは、ほかでもない、孫娘の件で少しは力になれるかもしれぬと考えたからだ」
そう言うと、ヴリド爺さんは大きく目を見開いた。
「……聖者様、もしかしてわしの孫娘の消息について、何かご存知なんですかい?」
残念ながらそれは分からない、と答えると、老人はがっくりと肩を落とした。
「だが、もしかすると、その孫娘の居場所を、どうにか調べることはできるかもしれない。実は今日、“ポリージアの聖母”ことブエタナ・バルボロの姪と、偶然にも知り合ったのだ」
ルミネラから仕事を依頼された経緯を、俺は手短に説明した。
すると、ヴリド爺さんは俺の前にひざまずき、涙を浮かべて懇願してきた。
「……聖者様、どうか孫娘を、私の可愛いルマを、見つけ出してください。この老いぼれも、力を貸せることならば、何でもいたしますから」
ミードの村の者たちに、少なからぬ愛着を抱き始めていた俺は、できる限りのことはしてみようとその場で約束した。




