1.うろんな美貌の依頼主
ミードの村の人質事件を解決したのち、俺の周囲に少なからぬ変化が起きた。
まず一つ目は、素顔を隠すことを止めた、という点だ。
先日、俺は国防ギルドで顔を覆う布を解く瞬間を、多くの登録者に見られてしまった。
加えて、聖職者を演じるために、ミードの村でも素顔を晒さざるを得なかった。
従って、俺の素顔は多くの人間の知るところとなり、もはやツヴェルナの町で顔を隠す意味がなくなってしまったのである。
だが、現状は大きな問題も生じていないし、むしろ、顔が割れていたほうが好都合かもしれない、とさえ考えるようになっていた。
なぜなら、“聖者”と“脱走死刑囚”は、対局の位置に存在しているからだ。
要するに、“傷跡の聖者”こと“元傭兵のケンゴー”として堂々と振舞えば、自分がイーシャルだと勘繰られる可能性は、限りなくゼロに近づくのではないか、と踏んだのである。
二つ目は、正体を晒したことにより、他者から声をかけられる機会が圧倒的に増えた、という点だ。
その結果、ギルドで高い報酬の依頼を受けやすくなったのは、思いがけぬ利点と言えた。
見返りが大きい案件は、その分だけ難易度が高く、複数人でないと受けられないものが大半を締める。
そのため、誰もが俺とパーティを組みたがり、仕事は選び放題の立場となった。
お陰で懐は温まり、当面の間、生活に困窮する心配も不要となったわけである。
従って、今の悩みと言えば、ゼルマンド教団から救ってやった娘たちが、こぞって俺の滞在する安宿を訪ねるようになったことくらいだろう。
彼女たちは、ときに家族さえ伴って、わざわざ礼を述べに来たわけだが、どういうわけか一度では飽き足りず、二度三度と足を運ぶのである。
感謝の気持ちは理解したので、もう来なくて大丈夫だと釘を刺しても、なぜか皆、揃いも揃ってそれを聞き入れてくれない。
ひどいときには、三、四人の娘が同時にやって来て、わけのわからぬことで言い争いを始めることさえあった。
と言っても、彼女たちは常に手料理やら焼き菓子やらを持参してくれるので、全くもって迷惑というわけではないが、うるさいことに変わりはない。
そんなわけで、俺は働きたいときにだけギルドの依頼を受け、あまり気乗りしないときはミードの村に足を運び、テモンやシナムの野良仕事を手伝うという毎日を送った。
実に平穏で、トガリアでの日々を彷彿とさせる暮らしだったが、やはりと言うべきか、厄介事は俺を放っておいてくれなかった。
それは、ツヴェルナの地に足を踏み入れてから、半月ほど経ったある日のこと。
ふらりとギルドに立ち寄った俺に、職員のユーディエがこう声をかけてきたのだ。
「……実は、ケンゴー様に指名の依頼が入っているのです」
指名とは、読んで字のごとく、依頼主が請負人を指定して仕事を発注する、ギルドの特例的な制度である。
指名制度を利用する際、依頼主は高額の指名料を請負人に、ギルドには通常の五割増しの仲介料を支払うのが決まりだった。
従って、指名制度は、かなり緊急度の高い案件にのみ用いられるのが基本である。
俺自身、指名の依頼を打診されたのは、このときが初めてだった。
「それで、その内容とはどんなものだ?」
尋ねると、ユーディエは意味ありげな沈黙を挟んだのち、こう答えた。
「……詳細はわからないのですが、さるご婦人の、用心棒のお仕事だそうです」
「詳細はわからないとは、どういうことだ?」
「依頼主の方が、詳しい内容はケンゴー様に直接お伝えしたいと話しているのです」
ユーディエは、不安と困惑がない交ぜになったような表情を浮かべていた。
「その方は、今ちょうど応接間で待たれているのですが、お話を聞かれますか?」
どうもきな臭い話だと思ったが、聞くだけ聞いてみよう、と俺は返事をした。
ユーディエに案内され、応接間の中に入ると、革張りの椅子に座っていた女が立ち上がり、俺の元へと近づいて来た。
「……初めまして、ケンゴーさん。私はルミネラ・バルボロ」
静かな声でそう言って、ルミネラとやらは探るような一瞥をくれた。
エキゾチックな小麦色の肌と、艶めかしい肉体を持つ、目鼻立ちの整った美しい女である。
年のころは、二十代前半から半ばのいずれかといったところだろう。
綺麗にカールされた金髪は肩ほどまで伸びており、唇は薔薇のような紅色をしていた。
胸元が大きく開いた、体の線を強調する漆黒のシルクのドレスを身にまとい、肩にはいかにも上等そうな銀狐のショールをかけている。
おまけに、右手の薬指には、燃えるように真っ赤なルビーの指環を嵌めていた。
並の貴族以上に豪勢ななりだが、貴族と見るには、いささか品性が欠けているように思われた。
美しいことは美しいのだが、その顔つきはどこか粗野であり、灰色にくすんだ瞳には、常に他者の弱みを窺っているような、抜け目のない光が宿っていた。
権謀術数で高貴な男たちを手玉に取り、社交界で成り上がった野心家の女だけが醸し出すような雰囲気を、俺は彼女から感じ取っていた。
「“傷跡の聖者”なんて言うから、大層醜い男だと想像していたけど、違ったわね」
ルミネラはぐっとこちらへ体を寄せると、接吻しそうなほどの近い距離から、まじまじと俺の顔を見つめてきた。
「……できれば、二人だけにしていただきたいのだけど、よろしいかしら?」
ルミネラはユーディエに向かってそう尋ねたが、その口調には有無を言わせぬところがあった。
まるで、戦場における歴戦の指揮官のように、ずいぶんと命令することに慣れている風である。
「――それはできません。直接交渉の際は、ギルドの人間が立ち会うのが掟ですから」
決然とした口調でユーディエが告げると、ルミネラは諦めたような微笑を浮かべ、黙って再び席に戻った。
俺とユーディエは、この得体の知れぬ女の向かいの椅子に、並んで腰を下ろした。