15.公開処刑
一段、二段と、処刑台へ続く階段を登る。
その度に、ぎしぎしと踏み板が鳴った。
俺の背後に続くのは、斬首人を務める“剣姫”レイニエラと、その従者らしい二人の兵である。
(――罵声や怒号は未だ聞こえないが、それももうすぐのことだろう)
覚悟しつつ、とうとう階段を登り切った――が、どうしたことだろう、辺り一帯は、深い静寂に包まれたままだった。見渡す限りの群衆は、誰一人として声を上げようとしない。
(……何故だ?)
そう首を捻ったのは、俺だけではないらしかった。
隣に並んで立つレイニエラも、怪訝そうに眉根を寄せている。
「……ずいぶんと行儀の良い観客らしいな」
独り言のように言いつつ、レイニエラは納得がいかぬとばかりに小さく頭を振った。皮肉めいた微笑が、彼女の口元にはりついている。
やがて、彼女は処刑台の前方へと歩き進み、声高らかに宣言した。
「――これより、大罪人イーシャルの処刑を執り行うッ!!」
刹那、レイニエラに付き従っていた二人の男たちが、左右から俺の肩を押さえつけ、その場に跪かせた。
すると、示し合わせたかのように、群衆は高く手を掲げる。
言わずもがな、彼らの手に握られているのは、大小の石や卵だった。
恒例行事の的当てが始まることを予期した俺は、静かに目を閉じる――。
(……妙だ)
俺が訝しんだのは、いくら待てども、石がかすりもしなかったためである。
石がひゅんひゅんと飛び交う音や、その衝突音は聞こえるのだが、ただそれだけだった。あれだけの数の群衆が、皆揃って手元を狂わせるなど、どう考えても不自然である――。
「――処刑反対ッ!!!! 処刑反対ッ!!!! 処刑反対ッ!!!!」
唐突に始まったその大合唱に驚き、直ちに目を開くと、処刑台の先端にて、手にした剣で石を打ち払うレイニエラの姿が、真っ先に映り込む。
……そう、人々が的当ての対象としていたのは、レイニエラ、そして処刑台の下に陣取った警備兵たちだったのである。
(――まさか、ここに集まっているのは、示威運動を起こしていたというトガリアの民やポリージアの民なのか? あるいは、『白き語り部』とかいう例の吟遊詩人が、人々を扇動でもしたのだろうか?)
思った刹那、処刑反対の大合唱に混じって、一人の少年の声が、俺の耳に飛び込んできた。
「――ケンゴー、まけるなッ!!!! がんばれーーーーーーッ!!!!」
砂塵の中で輝く、一粒の宝石を見出すかのごとく、俺はその声を聴き分けていた。声の主はほかでもない、ケンゴー少年だったのである。
最前列に並んでいた彼は、唇を一文字に噛み締め、澄み切った青い瞳をこちらに向けていた。そのすぐ傍には、例のうらぶれた宿のマダム、そして従業員のミス・ミーゴの姿もあった。
……いや、彼らだけではなかった。よくよく目を凝らして見てみれば、“傷跡の聖者”となってから縁を紡いだ人々の顔が、そこかしこにあった。
ミードの村のテモンとシナム(シナムの息子は元気だろうか?)。
国防ギルドの受付嬢、ユーディエ。
ツヴェルナの酒場で出会った、若いバーテンダーの男(以前、その妹を救った縁のある男だ)。
ブエタナ・バルボロの屋敷で対峙した、メイドのヘッテや使用人たち(自由の身になれと、俺が後押しした者たちだ。彼らは今、何をして暮らしているのだろう?)。
彼らは皆、一様に俺の処刑反対を叫んでいた。
呆れるほどの馬鹿でかい声だった。
(――生きたい)
心の奥底に閉じ込めていた想いが、堰を切ったように溢れ出てくる。
同時に、瘦せ衰えた体の隅々に、力が行き渡ってゆくのを感じた。
(“必ず道はある”――餓鬼の頃から、馬鹿の一つ覚えのように、俺はそう信じ続けて生きてきた。にもかかわらず、なぜそれを忘れていたのか? 長らく眠っていた間に、頭の中がどうかしていたらしい。……そう、“必ず道はある”のだ。諦めてはならぬ。俺はまだ、生きているではないか)
己を叱咤しながら、俺は立ち上がった――と、そのときだった。レイニエラがこちらを振り返り、
「――例の告白をせよッ!!!!」
と激しい口調で迫った。石が直撃したためだろう、彼女の滑らかな頬と額から、真っ赤な鮮血が流れ出している――。
「――言わぬ。口が裂けても言わぬッ!!!!」
俺は独りでに叫んでいた。
言えるわけがなかった。仮にそれを口に出してしまえば、ケンゴー少年のあの澄み切った青い瞳を、直ちに曇らせてしまうことになる。
そんなことが、できるわけがないのだ。
「――俺を殺したくば、力づくでやってみることだ」
そう口走ったとき既に、俺はすぐ傍で棒立ちしていたレイニエラの従者の一人に向かって、渾身の前蹴りを放っていた。不意を突いた蹴りは、狙い通り鳩尾にいやというほど決まり、相手を横転させた。
暗黒魔術を封じる首輪、そして手枷を嵌められていたが、両掌と両足は自由である。窮屈この上極まりないが、どうにかして剣を手に入れられれば、扱うことは不可能ではない――そう考えてのことだった。
俺は即座に屈み込み、倒れた従者が腰に下げた鞘から、剣を引き抜いて構える。
久々に握った剣の柄は、自分でも驚くほど良く掌に馴染んだ。
「……貴様ッ!! 気が狂ったか?」
レイニエラが顔を歪めて言った。
「――いいや、たった今正気に戻ったのだ」
そう答えると、レイニエラは急ぎ処刑台の後方に視線を送った。
その先を辿ると、護衛に囲まれた王の姿があった。
「――致し方ない。殺れッ!!!!」
王が声を張り上げると同時に、処刑台を取り囲む兵たちが、つがえた矢を一斉にこちらへ向けた。俺は剣の柄を、一層固く握り締めた――。




