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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
最終章:聖者の凱旋

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9.辺境伯の素顔

 今回のお話は“冷血”リアーヴェルの視点で進行します。

 私は上等な革張りのソファに背をもたせつつ、差し向かいの椅子で足組みしている男の容姿をつぶさに観察していた。

 艶やかなシルクのシャツを着込んだその男は、アンバー色の髪と深いグレーの瞳、そしていささか筋の通り過ぎた高い鼻の持ち主である。私に男の顔の美醜はよく分からないが、それでも一般的な尺度に照らせば、彼が大層な美男に分類されるであろうことは察しがついた。


 ――男の名は、ファリアーヌ・ヴェルスタイン・ウイユベリ辺境伯。


 イクシアーナの侍女の求めに応じ、書簡にて辺境伯に面会を申し込んだところ、「王都に構える別邸に御足をお運びいただきたい」との返信があり、私は指定された通りの日時に訪問した。そして今に至るという次第である。


(……しかし、どうも気詰まりしてならん)


 私が通されたこの書斎も例に漏れないが、家具、調度品、室内装飾――目に映る何もかもが、非常に品良く華美さを抑えられており、少なからぬ感動さえ覚えるのだが、その非の打ちどころのなさゆえか、妙にそわそわとさせられるのだ。

 ゆえに内心では、一刻も早く帰りたいとばかり願っているわけだが、私はそれをおくびにも出さず、こうして涼しい顔で辺境伯と相対している――。


「……して、リアーヴェル様、折り入ってご相談があるとのことですが、それは察するに、イクシアーナ様に関することではございませんか?」


 辺境伯の問いかけに対し、察しの通りだ、と私は答えた。

 次いで供された熱いハーブティーを一口啜り、気持ちを落ち着かせてから話を切り出した。


「私はイクシアーナの無期限謹慎を解いてやりたいのだ。ゆえに貴公と協力して事に当たれれば理想的だと考えている」


「それはそれは、こちらとしても願ってもいない話です。ぜひともお力添えしたく存じます」


 うむ、と私は頷き、「問題はいかにしてイクシアーナを救い出すかだが、貴公は何か策をお持ちか?」と尋ねると、「先手は打ってあります」と辺境伯は即答した。


「ご存じでしょうけれど、当家は代々、聖ギビニア教会に多額の献金を行って参りました。……いや、より正確に申し上げますと、当家は教会の資金源そのものと表しても過言ではありません。ゆえに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、親政府派の連中に書簡で通告したのです。本来ならば面と向かって言ってやりたかったのですが、何度連中を訪ねても居留守を使われ、門前払いを食わされたものですから」


「……ほう。それで書簡の返答は?」


「連中は余程イクシアーナ様を解放したくないのでしょう。今のところ無視を決め込んでおります。が、相応の効果はあったかと。事実、彼らは裏でこそこそと私に代わるパトロンを探し回っているようでしてね。これは確かな筋より仕入れた情報です。大聖堂の再建には莫大な費用が必要ゆえ、死に物狂いで事に当たっているものの、その結果は芳しくないとのことでした」


「……確かな筋というのは?」


「奴らの懐に、鼠を忍ばせているのですよ」


 辺境伯の口元は柔和な微笑をたたえていたが、その瞳には冷ややかな光がそこはかとなく漂っている。私はどこか薄ら寒いものを感じないわけにはいかなかった。


「……して、その鼠ですが、なかなか有能でしてね」


 辺境伯は椅子から立ち上がるなり、背後の書き物机へと向かった。

 そして卓上に置いてあった分厚い紙束をそっと掴み取り、鼠の手土産です、と言いつつこちらへ差し出した。

 受け取った紙束をめくると、どの(ページ)にも所狭しと人名が並んでいる。その中には、誰もが知っている名門貴族や各界の著名人の名も数多く含まれていた。


「親政府派が見繕った、新たなパトロン候補者のリストです」


 再び椅子に腰を落ち着けながら、辺境伯が言った。


「私は現在、リストに載っている人物と片っ端から面会し、親政府派からの資金提供の求めに応じぬよう説得して回っているのです」


「なるほど。そのように動き回っていれば、親政府派の連中は否が応でもこちらを無視できなくなる。となれば、力づくで交渉の場に引きずり出せる可能性がある、というわけだな」


 さすがはリアーヴェル様、ご理解が早い、と辺境伯は微笑んだ。

 しかし相変わらず、その眼までは笑っていない。この男は切れ者だが、隙を見せてはならぬと私の本能は告げていた。


「御覧の通り、リストには魔術界の大御所も多数含まれております。ですからリアーヴェル様には、彼らの説得をお任せしたいのです。貴女(あなた)以上の適任者は、まず(もっ)ておりませんでしょうから」


「しかし、私は貴公と違って一介の工房経営者に過ぎない。私なんぞの説得に応じるかどうか、(はなは)だ疑問だが……」


「リアーヴェル様、ご冗談はお止しください」


 言いながら、辺境伯は乾いた笑い声を上げた。


「魔術界における貴女の影響力は計り知れないものがあります。……いや、魔術界だけではありませんね。聞くところによれば、先日発売された画期的な水薬(ポーション)が史上類を見ない売れ行きを記録しているとか。今やリアーヴェル様は工房経営の成功に伴い、各界が一目置く存在となっておられます」


「……先日発売した画期的なポーション? ああ、“クソ美味いポーション”のことか」


 “クソ美味いポーション”とは、回復効果をある程度犠牲にする代わり、味覚的な美味さをひたすらに高める調合を行ったポーションである。そのような調合は本末転倒のように思われるかもしれないが、何を隠そう、私の知人の知人には致命傷を負った際に飲もうとしたポーションを吐き出してしまい(無論、ポーションは大抵クソ不味いからだ)、そのまま傷を癒せず死に至ったという男がいるのだ。

 ゆえにこうした惨劇を防ぐ意図で、美味さにこだわったポーションを開発し、猿にでも分かるように“クソ美味いポーション”と名付けて売り出したところ、想定を遥かに凌駕する反響を得たのである。

 聞くところによれば、傷を癒すために“クソ美味いポーション”を用いるのではなく、単なる飲料として日常的に愛飲する者、さらには酒に混ぜて飲む酔狂人まで存在するという。もはや一種の中毒者としか思われないが、何はともあれ、飛ぶように売れているのは有難いの一言に尽きる。というわけで、つい先日には“クソ美味いポーション専門店”の一号店を王都に開店させた次第である。


「……とにかく私が言いたいのは、その()()()()()()()()のご成功によって、リアーヴェル様は魔術界のみならず、財界や市井に対しても多大な影響力を持つに至ったということです。今の貴女の話に耳を傾けぬ者はおりません。ゆえに説得をお任せするのは適任かと」


 辺境伯は心持ち頬を赤らめて言った。“何とかポーション”などと誤魔化したところから察するに、彼は育ちが良すぎて“クソ”という単語を己の口から発することができないのだろう。意外に尻の穴の小さいところもあるらしい、と私は思った。

 それから辺境伯は小さく咳払いし、話を続けた。


「加えて、今の教会は内紛続きで先行き不透明。言わば帆のない船のようなもの。親政府派の連中がひた隠しにしている内情をそのままお伝えすれば、誰もが資金提供を渋ります。ですから、説得に際してのご心配は不要かと」


「相分かった。では互いに協力し合い、早急に事を進めるとしよう」


 そう告げると、辺境伯は立ち上がって慇懃(いんぎん)に頭を下げた。


「――心より感謝申し上げます、リアーヴェル様」


「あまり(かしこ)まらんでくれ。お互い気安くいこうではないか」


 そう持ち掛けると、辺境伯は微笑を浮かべつつ、「善処します」と言って腰を下ろした。一つ気がかりなことがある、と私は言った。


「貴公はなぜ、そうまでしてイクシアーナを助けたいと願うのだろう?」


 尋ねると、辺境伯は眩しげに目を細め、「イクシアーナ様から何も聞いておりませんか?」と質問で返してきた。私は黙って頷いた。


「――イクシアーナ様を愛しているからです。愛する人の力になりたいと願うのは、当然のことでしょう」


 恥ずかしげもなく言いながら、辺境伯は射貫くように私の目を見た。

 そして、「私は本気です」と言葉を継いだ。


「実を申しますと、私は既にイクシアーナ様に求婚しているのです。大聖堂の襲撃があった少し前にお会いした際、自らの想いをお伝えしました」


「……求婚だと?」


 無論、今すぐにという話ではありません、と辺境伯は答えた。


「イクシアーナ様が聖女のお務めを果たされたのち、還俗(げんぞく)していただく――然るべき手順を踏んでから婚姻を結びたいとお伝えしたのです。とは言え、歴史を紐解けば、十年周期で次代の聖女を任じる信託が下っておりますから、イクシアーナ様がお務めを終えるのも、もうすぐのことでしょう」


「……それで、イクシアーナは結婚を承諾したのか?」


 尋ねると、辺境伯は首を横に振り、どこか草臥(くたび)れたように微笑んだ。私が言葉を見つけられずにいると、「こちらからもお尋ねしたいことがございます」と辺境伯は微かに震える声で言った。


「――イクシアーナ様と“傷跡の聖者”、……いえ、あのイーシャルという男は、一体どういう関係なのでしょう?」


 急に身を乗り出した辺境伯の表情は、何かしら鬼気迫るものがあった。


「イクシアーナはかつて義勇軍に属していた折、イーシャルに命を救われたことがあったそうだ。私が知っていることと言えば、それくらいしかない」


 そう伝えると、辺境伯は納得がいかぬとばかりに深い溜息を吐いた。


「……ところで、なぜ貴公は二人の関係を気にするのだ?」


 率直に疑問をぶつけると、辺境伯はいささか狼狽したらしく、何かを拒むように小さく首を振り、それから重々しく口を開いた。


「聞くところによれば、“傷跡の聖者”がイクシアーナ様の警護に就いたのは、彼女たっての願いだったそうではありませんか。そればかりか、“英雄殺し”騒動の渦中だというのに、二人は密会までしていたとか……。


 さらに言えば、イクシアーナ様はゼルマンド奇襲作戦からお戻りになられて以降――つまりはイーシャルと再会して以降――少々ご様子がおかしくなられたのです。私と話していても、常に気もそぞろといった風で……。私の結婚の申し入れに対しても、どこか困惑したような態度を取られていました。それは前々からの私どもの親密さを考慮すると、不可思議というほかないのです」


「……つまり貴公は、イクシアーナとイーシャルが男女の仲だと疑っているのか?」


「いいえ、疑ってはおりません。私はただ、イクシアーナ様の御身を心配しているのです」


 辺境伯はきっぱりとそう言ってのけた。


「これは私なりの推察ですが、イーシャルはおそらく、イクシアーナ様の弱みでも握っていたのでしょう。奴はそこに付け込み、自らを大聖堂に匿わせたのです。追手の目を欺くためか、はたまた“英雄殺し”を恐れたためか、理由は定かではありませんが、大方そんなところではないかと察します。加えてイーシャルは、イクシアーナ様に言い寄っていたという可能性も考えられる。私の結婚の申し出が断られたのも、きっと裏であの男が……」


 辺境伯が言い終わらぬうちに、「違う」と私は声を張り上げていた。


「断言しておくが、イーシャルは姑息な真似を一切しない男だ。それに“英雄殺し”など微塵も恐れていなかった。その証拠に、彼はたった一人で“英雄殺し”に立ち向かい、己の全てを賭して戦った。そして勝利したのだ。私はその全てを見届けた」


 そう告げると、辺境伯は不快げに鼻を鳴らし、天井に視線を移した。不愉快な沈黙が直ちに部屋中を満たし、私はいよいよ我慢ならなくなった。


「……では、私はそろそろお暇するよ。このパトロン候補者のリストは頂戴して構わないか?」


 そう尋ねたが、今の辺境伯には何も聞こえていないらしい。彼は天井の一点を見つめ続けるばかりで、返答の気配は一切なかった。


(――辺境伯の紳士然とした仮面の裏には、傲慢で嫉妬深い素顔が隠されているらしい。少々厄介だが、反面、彼の頭脳と行動力は確かに使い物になる)


 兎にも角にも、この男を利用できるところまで利用するほかあるまい、と私は考えていた。イクシアーナの救出を確実なものにするには、ありとあらゆる(カード)を切る必要があるのだ――。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 各地で各々が着々と動く。今度は再びのリアーヴェル。 頭脳派辺境伯だが…イクシアーナを助けたい理由は今ひとつ不安を覚えるもの。だが使える者は使わねばならぬ、というリアーヴェルの覚悟が前へ進ま…
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