11.聖者の目覚め
国防ギルドにて、立てこもり事件の解決を引き受けた、その約三時間後。
全ての準備を整えた俺は、テモンの案内で、無事にミードの村へと到着した。
真っ先に出迎えてくれたのは、テモンの兄、つまりは人質の子の父親だった。
弟と同様、むらなく日焼けした背の高い男で、シナムと名乗った。
「喜べ、兄者。噂に名高い“傷跡の聖者”様が、直々に依頼を引き受けて下さったぞ」
テモンがそう説明すると、シナムは深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。ところで、そのお姿から察するに、本業も聖職者様なんですかい?」
俺は首を横に振ったが、勘違いされるのも当然と言えた。
なぜなら、俺は本物の聖職者が着用する、純白の祭服を身にまとっていたからだ。
ツヴェルナの教会に押しかけ、無理を言って借りてきた品である。
加えて、今日は素顔を隠すための布も巻いていない。
誰の目にも、聖職者だと映るはずである。
「……いや、俺は単なる流れ者だ。このような姿で参ったのは、少々考えがあってのこと。それより、子どもが心配だ。早く家へ案内しろ」
そう促すと、シナムは力強くうなずいて駆け出した。
俺とテモンも、急いでそのあとを追った。
* * *
ほどなくして、俺たちはシナムの家に到着した。
干草の屋根に覆われた、粗末な木造の家だった。
予想通り、家から少し離れた地点に、野次馬の人垣が築かれていた。
「……テモン、例のあれを」
そう伝えると、彼は上等なパンの入った籠を差し出した。
こちらも、ツヴェルナの町で買っておいた品である。
俺は籠を手に下げ、シナムの家の戸口の前に立った。
「……私は、隣町から来た教会の神父だ。少々話がある」
そう声を張り上げると、たちまち罵声が返ってきた。
「話など聞かん。それ以上口を開いたら、子どもを殺すぞッ!!」
「落ち着け。私はお前を捕まえに来たわけではない」
俺は諭すように言った。
「子どもがひもじい思いをしているに違いないと考え、食料を持って参ったのだ。もちろん、お前の分もある。受け取ってくれるか?」
そう尋ねると、少しの間を置いて返事があった。
「……お前、本当に神父なのか? 念のため、姿を見せてみろ」
言われた通り、俺はゆっくりと玄関のドアを開ける。
すると、五メートルほど離れた地点に、坊主頭の大男が立っていた。
岩のように大きな鼻の持ち主で、ユーディエの話していた通り、人間の耳が連なった首飾りを下げている。
耳は、切り取られて間もないと見えるものから、不気味に青白く変色したものまで様々だった。
殺気立ち、ひどく血走った眼は、いかにも元傭兵のそれである。
俺は、目の前の人物が“耳削ぎマリージャ”だと確信した。
マリージャは、右手に剣を携え、左腕に小さな可愛らしい男の子を抱きかかえている。
「……嘘ではなかったようだな。その籠に入っているのが食料か?」
俺は質問に答える代わりに、籠からパンを一つ取り出して見せてやった。
「まさかとは思うが、毒を仕込んではいまいな?」
「そんなわけはあるまい」
俺はパンの端をちぎって口に入れ、ゆっくりと咀嚼してから飲み込んでみせた。
「……では、こちらへ投げろ」
言われた通りにパンを一つ放ると、それはマリージャの足元に転がった。
マリージャは抱えていた子をゆっくりと床に下ろし、左手でパンを拾い上げる。
右手には、しっかりと剣を握ったままだった。
元傭兵らしく、かなりの用心深さである。
「次は、そちらの子の分だ」
俺はそう言って、男の子に向かってパンを放った。
すると、彼はたちまち顔を綻ばせ、それを拾い上げて手のひらで弄び始めた。
マリージャは、その様子を黙って眺めていた。
こちらへの警戒は、いくらか薄れているようである。
「――では、もう一ついくぞ」
俺は、籠に忍ばせていたナイフを取り出し、マリージャの額に向けて投擲した。
ナイフ投げは、幼いころ身につけた特技の一つである。
娼館で暮らしていた当時、俺は近所の悪ガキたちと、こぞってナイフ投げの正確さを競い合ったものだった。
ときに、ナイフ投げは賭けの手段にもなり、俺はそれに勝ち続けた。
娼館を抜け出す際の路銀を稼ぐことができたのは、ナイフ投げの腕が誰よりも勝っていたお陰だった。
「――図ったなッ!!」
マリージャは、見事な剣捌きでナイフを弾く。
その隙に、俺は籠を投げ捨て、相手との間合いを一気に詰めた。
「――貴様ァ!!」
マリージャが左の肩口へ向けて斬撃を放ってきたが、俺は横に跳んでそれをかわし、がっちりと相手の手首を掴んだ。
随分と甘い太刀筋だったのは、こちらが丸腰だと思い、舐めてかかったせいだろう。
「それで神父など、聞いて呆れる。一体、何者だ?」
「……お前にとっての死神だ」
俺はマリージャの懐に入り込みながら、渾身の力で手首をねじり上げた。
やがて、堪えきれなくなったマリージャが剣を床に落としたので、俺は前方に倒れ込むようにして、力任せに相手の体を投げ飛ばす。
すると、マリージャの巨体は、玄関脇の壁板に勢いよくぶち当たった。
即座に剣を拾い上げた俺は、起き上がろうとしたマリージャの元へ駆けてゆき、その首に向かって、横薙ぎの強烈な一閃を見舞った。
美味そうにパンを頬張る子どもを抱えて外に出ると、シナムとその妻と思しき女性が、死に物狂いでこちらに駆けてきた。
地面にそっと子どもを下ろすと、女は大声でわんわん泣きながら、ひしと我が子を抱き締めた。
「……ああ、何てお礼を言ったらいいものか。はした金で、こんな危険な仕事を引き受けて下さって」
シナムは涙声でそう言って、深々と頭を下げた。
「その通り。あってもなくても変わらぬほどのはした金だ」
俺はきっぱりとそう告げた。
「だから、そんなものは要らん。その代わり、子どもに何か美味いものでも食わせてやれ」
「……あんたは、間違いなく、本物の聖者だ」
あとから駆けてきたテモンが、呟くようにそう言った。
第一章をお読み下さった皆さま、どうもありがとうございました!!
しかし、この物語は第二章からが本当の幕開けです。
乞うご期待!!