5.レジアナスの帰郷
前回に続き、今回もレジアナスの視点で進行します。またレジアナスの過去にも関係するお話ですので、こちらについておさらいしたい方は、第三章の16・17話をお読みください。
(……会合を開く場所なんざ、いくらでもあるというのに、どうしてアルデンヘイムくんだりでやらなくちゃいけないんだ?)
目的地へ向かう乗合馬車の窓からぼんやり朝陽を眺めつつ、俺はそんなことばかり考えていた。ただでさえケンゴーと総主教様のことで頭がいっぱいなのに、なぜこうも悩ましいことばかり重なるのだろう?
(――実家を訪ねるべきか否か。それが問題だ)
つまるところ、悩みの根源にあったのはこれである。
本日の夕刻前にはアルデンヘイムへ到着する予定だが、会合が開かれるのは明日の午前となっており、幾ばくか時間の余裕がある。要するに、俺がその気になれば、もう二度と帰るまいと腹を括っていた実家に立ち寄ることもできるわけだ。
(――おそらく俺は今、分水嶺に立っているのだろう)
家族との再会を望むか否か――これから下すことになる決断が、今後の人生に少なくない影響を与えるであろうことを、俺は密かに予感していた。
(……兎にも角にも、気になるのは父さんのことだ。変わらず元気にやっているだろうか?)
妻子がいながら使用人の女性に手を出し、俺を産ませた父――浮気性と浪費癖、さらには放浪癖まで併せ持っていた父は、一言でいえば放蕩貴族の見本みたいな男だったが、それでも俺は父が好きだったし、その想いは今も変わっていない。
……そう、父はふらりとどこかへ外出するたび、俺が喜ぶ土産を必ず買って来てくれ、また家庭教師から剣術や馬術、算術を学ぶ機会を与えてくれた。そして何より、俺自身の成長を手放しで喜んでくれた。
『――また一段と剣の腕が上がったようだな、レジアナス。こいつは将来が楽しみだッ!!』
父は俺の頭をわしゃわしゃと撫でながら、いつもこんな風に褒めてくれたものだった。世間的にはロクでなしとしか映らなかったかもしれないが、愛情深い父親だったことに疑いの余地はない。
(……父さんに会いたい。俺が元気にやっていることを知らせたい)
そうした想いはじわじわと強まりつつあった――が、実家を訪ねる踏ん切りはつかなかった。というのは、父に会いたい気持ちと同じかそれ以上に、腹違いの兄たちに会いたくないという気持ちを抱いていたからだ。
……何を隠そう、俺は過去、三人の兄たちを真剣で半殺しにしているのである。兄たちはいつも、暴力で俺を屈服させることで憂さ晴らししていたわけだが、あのときばかりは度が過ぎた。何を思ってか、彼らはある日、家の裏山へ俺を呼びつけるなり、真剣を持って襲い掛かってきたのである。丸腰だった俺は、やむを得ず彼らから剣を奪い、無我夢中で応戦したのだが、ふと気づくと、三人とも全員血まみれで倒れていた。
恐る恐る確認すると、皆息はあり、誰も致命傷の類は負っていなかったものの、重傷には違いなかった。正当防衛とは言え、やり過ぎたのである。
こんなことを仕出かした以上、もう二度と家族で食卓を囲むなんてできやしない。合わせる顔がない――そう思った当時の俺は、泣きじゃくりながらその場を去った。もう二度と家に帰るまいと覚悟を決めてのことだった。
……にもかかわらず、職務という不可抗力によって帰郷せざるを得なくなったのだから、因果なめぐり合わせというほかない。
(……とは言え、何のかんの悩んだところで、そもそも家の中に入れてもらえる保証さえないじゃないか)
兄たちは当然、弟との再会などご免だろうし、俺の存在を終始無視し続けていた継母にとってもそれは同じだろう――我知らず溜息を漏らした瞬間、俺はふと思った。もはや父でさえ、俺との再会を望んでいないんじゃないかと。何と言っても、俺が家を出てから既に六年もの歳月が経過しているのだ。その間、父の心境がどう変化しようと不思議はない。招かれざる客、と俺は思った。
「……隊長、浮かない顔をしておりますが、何か心配事ですか?」
向かいの席に座っていたタレサール――隊内で書記役を務める真面目な青年で、俺の補佐役として帯同している。剣の腕もなかなかだ――に声をかけられ、俺はようやく我に返った。
「……心配事というほどじゃないが、ほら、支部の新入隊員の応募が減っているという話があったろ? どうしたもんかと思ってさ」
俺は咄嗟に誤魔化して返答したのち、何気なくこう尋ねた。
「なあ、タレサール。あんたには家族がいるか?」
「……はい、母と二人で暮らしております」
そう答えたタレサールの表情には、妙な陰りが見受けられた。
何か事情があるのだろう、これ以上は踏み込まない方が良さそうだ、と判断した俺は、「到着したら食わせたいものがある」と話題を変えた。
「あまり知られていないが、アルデンヘイムの梨は美味いんだ。隠れた名産品ってところだな。御馳走するよ」
「ではお言葉に甘えさせていただきます。しかし隊長はてっきり、この辺りにいらっしゃるのは初めてかと思っていたのですが。違ったのですね」
「……まあな、アルデンヘイムは俺の生まれ故郷なんだ」
そう返すと、タレサールは驚いたらしく大きく目を見張った。
「それは初耳でした。ではせっかくですし、到着したらご実家にお顔を出されたらどうです? この調子なら、予定よりも早く到着するでしょうから」
「……そうだな、考えておくよ。ところでタレサール、アルデンヘイムの領主について、何か噂を聞いたことはあるか?」
「いえ、特に何も。隊長は領主様とお知り合いなのですか?」
俺は曖昧に頷いて誤魔化した。自身の父が領主であると口外することは、やはり憚られたのである。仮に父について掘り下げられたところで、答えに窮するのは目に見えていたからだ。俺はまたも嘆息していた。
(……今の俺は、夜の暗さから目を背けようとしているのかもしれない)
夜の暗さを知る人間のほうが、より明るく地上を照らし出せる――かつて総主教様が贈ってくれたこの言葉は、常に俺を励まし、同時に道しるべのような役割を果たしてきたが、今回ばかりは話が別だった。
(俺はこれまで、家族の問題を直視しようとしなかった。あんなかたちで家族と別れ、わだかまりを残したことを心のどこかで悔やみ続けてきたというのに……)
そればかりじゃない、と俺は思った。ケンゴーと総主教様の救出に関しても、打開策を見つけられず、言われるがまま“聖女の盾”の三人に任せきりにしてしまったではないか。今の俺は問題から目を逸らすばかりで、 明るく地上を照らし出せる力なんてまるでありゃしない――。
(……なあケンゴー、教えてくれよ。俺は一体どうすりゃいい?)
俺は心の中で問いかけていた――と同時に、不意に目頭が熱くなる。
『……俺には分からん。だが、お前が望む通りに振る舞うのが一番だ』
どこからか、ケンゴーの声が聞こえたような気がしたのである。
……そうだ、あいつは自分の考えをむやみやたらに押し付けるようなことは絶対にしない性質だった、と俺は思った。
(――分かっているさ、ケンゴー。このままじゃ、俺は駄目になっちまうってな。こうして安穏とした日常に埋もれているようじゃ、あんたの隣に並んで立つ資格はない)
俺は黙ったまま何度も頷いていた。かつてケンゴーが時折そうしていたように。
再び窓に目を向けると、見渡す限り梨畑が広がっている。それは否応なく郷愁を誘う眺めにほかならなかった――。
* * *
辺り一帯を照りつけていた西日が弱まり始めたころ、馬車の窓からアーチ状の石門が見えた。門の上部に取り付けられた看板には「ようこそ!アルデンヘイムへ」と記されている――が、文字のそこかしこが剝げかかっているせいだろう、歓迎の意はまるで感じられなかった。それどころか、「大した町じゃありませんので、立ち寄る必要はありませんよ」と自ら訴えているかのようである。
門の少し先には、いくつもの商店が軒を連ねていたが、ひと気はほとんどなかった。梨売りの老婆がただ一人、買ってくれと言わんばかりにじっとこちらを見つめながら突っ立っているばかりである。
(――アルデンヘイムって、こんなにさびれた町だったか?)
何とも言えない感慨を抱きつつ、俺たちは馬車をおり、待ち構えていた老婆から梨を二つ買った。俺はタレサールに一方の梨を手渡し、もう一方に齧りついた――が、記憶していた味とは全く異なり、甘さはほとんど感じられなかった。思わず顔をしかめると、「さて、宿を探しましょうか」とタレサールが取りなすように言った。
その後、俺たちは辺りで一番まともだと思える宿をとり、めいめい自由行動に移った。
「――まあ、まずないだろうが、何か緊急の事態が起きたときのために、行き先を伝えておくよ。俺は領主様のお屋敷へ挨拶に行くつもりだ」
背水の陣で臨む覚悟を示すため、俺はあえてタレサールに宣言し、勇み足で宿を出た。
(――夜の暗さから目を背けない勇気。それが今の俺に必要なんだ)
俺の直感はそう告げていた。止まったままの時計の針を、進めるべきときがいよいよ訪れたのだと。人でなしの兄たちではあったが、あんな別れ方をしたままではやはり居心地が悪く、何かが間違っていると思えた。だから好むと好まざるとにかかわらず、兄たちに会わなくてはならない――なぜかは分からないが、そうすべきだと思えてならなかった。都合良く父と再会するだけでは、おそらく俺は変われないだろう。
(――臆さず真正面から過去と向き合えば、人はより良い方向に変わることができる。それを教えてくれたのは、ケンゴー、ほかでもないあんただった)
ここで踏み出す一歩が俺を俺たらしめ、地上を明るく照らし出すことにつながるのだと、俺はわけもなく信じた。そして固く拳を握り締め、六年ぶりの家路を確かな足取りで急いだ――。




