4.悩める支部隊長
今回のお話は、聖ギビニア騎士団“元”副団長、レジアナスの視点で進行します。
「――準備はいいな!? 始めッ!!」
俺が号令をかけると、野外訓練場――と言っても、だだっ広い草原の一部を柵で囲っただけの代物だ――のあちこちで威勢の良い掛け声が上がり、次いで木剣のぶつかり合う小気味良い音が響き渡った。二人一組になった聖騎士たちが、試合形式の稽古を開始したのである。
王国の最果てに位置するシエルロワ支部の隊長兼剣術指南役――これが聖ギビニア騎士団副団長を降格させられたのち、俺に与えられた新たな役目だった。
「……そこ、早く距離を取って態勢を立て直せッ!!」
各組の様子を順繰りに見てゆくと、防戦一方に追い込まれている者の姿が映り、気合十分に喝を入れてみる――が、実際のところはカラ元気に過ぎないのだと、ほかでもない自分自身がよく分かっていた。
(――あのとき俺が下した決断は、本当に正しかったのだろうか?)
心のうちに燻っていた懐疑の念は、今や弾けんばかりに大きく膨らみ、四六時中俺を苛むようになっていた――。
* * *
今から二週間ほど前、俺は査問会から戻ったその足で、瓦礫の山と化した大聖堂の中庭へと向かった。イクシアーナ様、キトリッシュ様に続いて、俺もまた降格人事を告げられたことを、“聖女の盾”の三人に報告するためだった。彼らは皆、必死に瓦礫の撤去作業にあたっている最中だった。
「――そういうわけで、俺にシエルロワ支部の隊長兼剣術指南役の務めを果たせだとさ」
事の顛末を説明し終えると、「承服されるのですか?」とネーメスが汗を拭いつつ訊ねてきた。いや、脱会するつもりだ、と俺は即答した。
「自由の身になったほうが、ケンゴーと総主教様を救い出すには都合がいい。シエルロワに縛り付けられるのは御免だ。何ができるかはまだ分からないが、とにかくやれるだけ手を尽くしてみるつもりでいる」
「……やはりそのようにお考えでしたか。聞き捨てなりませんね」
ネーメスは切り捨てるように言い、それから次のように続けた。
「貴方が脱会すれば、それこそ親政府派の思う壺です。彼らは本来、貴方を教会の外へ追い出すことを願っていたのですから。しかしながら、親政府派が手懐けた枢機卿たちは貴方の免職を拒み、降格処分に留めた。行き過ぎた処分を避けることで、温情を示したつもりなのでしょう。枢機卿たちは小心者ばかりゆえ、我々の恨みを買いたくない一心だったに違いありません」
「――思う壺で結構。というか、そんなことはどうだっていい」
俺はぴしゃりと言ってやった。
「今は派閥争いなんて下らないことに関わっている暇はないんだ。あんただってそれくらい分かるだろう? ケンゴーの命がかかってるんだぞッ!!」
苛立ちを隠さず言葉をぶつけると、「落ち着いてくれよ、俺たち三人も同じ気持ちなんだ」とトモンドが取りなすように言った。
「ネーメスが回りくどい切り出し方をしちまったが、つまるところ俺たちが伝えようとしていたのは、聖者さんと総主教様の救出を任せて欲しいってことなんだ。あんたの代わりに俺たちが脱会して、あの手この手を尽くしてみるってわけさ」
ま、そういうわけ、と今度はアゼルナが口を開いた。“英雄殺し”ことゼルマンドから受けた傷が癒え切っていない彼女は、未だ体中のそこかしこに包帯を巻いている。
「総主教様さえお戻りになれば、イクシアーナ様だって救い出せる。ケンゴーにも、返さなきゃいけない個人的な借りがあるしね」
「……個人的な借り? あんたが?」
思わず聞き返すと、「私が命拾いしたのは、あいつの“血操術”で治癒してもらったお陰なのよ」とアゼルナは答え、どこか不服そうにそっぽを向いた。
「それから知っての通り、ネーメスの兄貴は王国騎士団の団長だし、私の父親も一応領主だからね。ケンゴーと総主教様の居場所を探るにあたって、それなりに使えそうな伝手はあるってわけ。トモンドの実家だって結構大きな商家で、取引で王城にも出入りしている。私たちはそれぞれの経路から情報収集してみるつもりなの」
「……なら、俺も含めて四人一緒に脱会すればいい。人手は一人でも多い方がいいだろう?」
そう問いかけると、お気持ちはお察ししますが、思い直してください、とネーメスが決然とした口調で言った。
「貴方の存在は、今の教会においてほとんど唯一と言っていい希望の光なのです。“貴方が居る”というその事実だけで、正しき心を持つ者たちの士気を保つことができます。おそらく自覚していないのでしょうが、貴方はそれほど強い影響力をお持ちなのです。ポリージアの町を救った英雄であり、総主教様から直々に認められて副団長に抜擢されたのですからね。代わりが務まる者はほかに誰もおりません」
言いながら、ネーメスは真っ直ぐな瞳で俺を見た。
「逆に貴方が去れば、多くの者が後を追い、親政府派のさらなる増長を招くことになるでしょう。となれば、聖ギビニア教会は一層混迷を極め、我々が捲土重来を果たすことも困難になります。ゆえに貴方には、この教会を照らす光であり続けていただかないと困るのです。どうか分かっていただきたい」
言い終えるなり、ネーメスは深く首を垂れ、アゼルナとトモンドもそれに倣った。トモンドはともかく、ネーメスとアゼルナが誰かに頭を下げるだなんて、以前は想像もつかなかったことだ。
彼らは本気なんだ、と痛感せざるを得なかった。
「その代わりと言っては何ですが、我々はいずれ、必ず吉報を持ち帰るとお約束します。……いや、それでは足りませんね。イーシャル殿と総主教様を伴って、必ず戻って参ります。ですからそのときは、レジアナス殿、笑顔で出迎えてください」
しばし沈思黙考したものの、どう返事をしたらいいのか分らなかった。何もかもが不確かに思えたが、それでもはっきりしていることがあるとすれば、それは彼ら三人が信じるに足る人物だということだ。
以前はそんな風に思えなかったが、ケンゴーと出会って以降の彼らは、顔つきと振る舞い、そして心のうちの見えない何か――人間の芯とも言うべき、とても大切な何かだ――がハッキリと変わったのである。上手く言葉で言い表すことは難しいが、それは確かなことだ。
加えて俺の心の中にも、このまま教会をうっちゃってはおけない、という危機感は確かに存在した。行き場のなかったかつての俺を含め、あらゆる人に手を差し伸べてきた教会が、今や王国政府に追従するばかりの組織になり下がろうとしているのだ。
にもかかわらず、状況を打破する術が見つからないゆえに、俺はそこから目を背け、脱会ばかりを望むようになっていた。それは正しい行いと言えるだろうか? たとえ辺境の地に追い立てられようと、何かできることは残されているのではないか?
「……分かったよ。正直、性に合っちゃいないけど、俺は教会に残ってあんたたちの帰りを待つことにする。だからくれぐれも、ケンゴーと総主教様のことは頼んだぜ」
悩みに悩み抜いた末、俺はそう口にした。
その後、急いで荷物をまとめた俺は、新たな任地シエルロワに向かう馬車へと乗り込んだ。のちに聞いたところによれば、彼ら三人も同日に聖ギビニア教会を辞したという――。
* * *
(……教会に残る、か。言うは易く行うは難しだ)
ケンゴーと総主教様の安否が不明なままだというのに、今の俺には三人の帰りを待つことしかできない――この事実が、こんなにも歯痒く耐え難いものであることを、想像しきれていなかったのである。我知らず、今日何度目か分からない溜息が漏れた。
……と、そのとき、隣に控えていた古参の副隊長――ナザリトという三十がらみの大男だ――の咳払いが聞こえ、俺はようやく我に返った。新参の隊長がどこか上の空でいるのに気づき、それとなく注意を促したのだろう。
(――いかん。今は訓練に集中せねば)
各組の立ち回りを注視し出すと同時に、俺は改めて感心させられた。多少の差こそあれ、このシエルロワ支部に所属する聖騎士たちは総じて技術の水準が高い。剣の速さと正確さ、間合いの取り方――いずれにおいても基本がしっかりと身についていた。
加えて、精神面の充実も見て取れる。模擬試合とは言え、彼らの顔つきは一様に真剣そのものだった。訓練の成果がそのまま生死に直結するのだという然るべき切迫感が、一種の覇気となって全身から滲み出ている。
(やはりと言うべきか、日常的に魔物討伐を行っているだけのことはある。実戦経験に乏しい教会本部の聖騎士とは大違いだ)
……そう、王国の西の果てに位置するこのシエルロワ地方は、所領の約半分が未開の山々や人の寄りつかぬ砂漠地帯であるため、未だ多数の魔物が生息しているのだ(一説によると魔物は、有史以前の魔術師たちが戦時に兵として使役するために生み出したという。そのうちの多くは、平和の訪れと共に殺処分されたが、一部はそれを免れて脱走、野生化して繁殖を続け、人々の生活を脅かすようになったと言い伝えられている)。
王都をはじめとした都市部では、大々的な討伐隊が幾度となく組織され、魔物を徹底して根絶やしにしてきた経緯があり、もはや魔物の存在自体、過去の遺物のように見なされている――が、シエルロワ地方においてはその限りでない。この地に根を張った魔物は異常に繁殖力が強く、いくら駆逐しても埒が明かないのだ。ゆえに今もなお、魔物はその毒牙で人々を見境なく殺め、家畜を喰い殺し続けている。
こうした事情から、シエルロワ支部の聖騎士たちは代々、巡礼者の警護だけでなく、領内の見回りと警備も積極的に担ってきた。王国騎士団の詰め所は各所に置かれているものの、彼らだけで広大な所領全体を守り切ることは現実的に不可能だからだ。加えて近年の王国騎士団は、度重なる戦役によって慢性的な人員不足に悩まされていたため、シエルロワ支部の聖騎士団を一層頼るようになったという。
(――シエルロワ支部の団員は、肉親や縁者を魔物に殺められた者が少なくないと聞く。だからこそ、訓練にも殊更身が入るのだろう)
俺は彼らに対し、尊敬の念を抱くと同時に感謝もしていた。
古参の隊長が転任し、後釜に俺のような年少者が座ったというのに、反抗的な態度をとる者も、不平不満を漏らす者も、未だ誰一人として見当たらない。それどころか俺を剣の達者として認め、慕ってくれているようだった。
事実、暇さえあれば、誰も彼も稽古をつけてくれと頼みに来るのである。中でもトーレという俺よりも年下の聖騎士は、毎晩必ず稽古を申し込んでくるものだから少々困っていた(ちょっとは休ませてくれよ、と思うのだが、彼があまりに熱心なせいで言い出せずにいる)。
正直に言えば、会議や式典、不慣れな書類の作成に日々追われていた副団長時代よりも、今の環境のほうが余程自分の性に合っていると思えた。そしてその事実こそ、俺の悩みをより根深いものにしていた。
(……ケンゴーと総主教様そっちのけで、俺は新しい生活にすんなり溶け込み、どこか楽しんでさえいる)
それは至極複雑な気持ちだった。
今の俺にできることと言えば、ネーメスたち三人の帰りを待つ一方、新しい任地で最善を尽くすこと以外には何も見当たらない。
だというのに、努力して新しい生活に馴染めば馴染むほど、心にぽっかりと穴が開いたような、ひどく虚しい気持ちになるのだ。ここ最近は、夜も上手く眠れていない。
(……教えてくれよ、ケンゴー、総主教様。こんなとき、俺は一体どうすればいい?)
答えが返ってくるはずのない問いを、俺は独りでに胸の中で繰り返していた――。
* * *
訓練の後、俺たちはいつも通り各班に分かれ、周辺の村々を見回りに出かけた。赴任しておよそ二週間のうちに仕留めた魔物の数は全部で二十余体。少なくとも一日に一体以上は討伐している勘定だが、幸いにもと言うべきか、今日に限っては魔物に出くわすこともなく過ぎていった。
そして日が暮れたころ、ようやく宿舎に戻ると、自室のドアの前でトーレが木剣を携えて立っていた。俺の姿を認めるなり、彼があけすけな笑顔を見せたので、こちらもつられて笑顔になった。
トーレは並みの大人よりも背丈は大きいが、顔つきは童顔そのもの――そばかすだらけの頬で笑うと八重歯が目立つ――で、まさしく“大人子ども”といった風貌である。見る者に、何とはなしに微笑ましい印象を与えるのだ。
「……あ、隊長、お帰りなさいッ!!」
声を弾ませて言ったトーレに「悪いけど、今日ばかりは稽古の相手は駄目なんだ」と伝えると、彼は悲しそうに眉をひそめた。
「どうしてです? ……あ、もしかしてお疲れですか? それとも、俺が毎日稽古を申し込むもんだから、嫌になっちまったんですか?」
馬鹿言え、と俺は返し、それからこう続けた。
「朝礼でも伝えたと思うが、俺は明朝から出張でな。西部地域の支部隊長の会合に顔を出さなきゃいけないんだ。その支度を今からするってわけさ。帰って来たら、また必ず相手してやるからよ」
「残念ですけど、そりゃあ仕方ないッスね。ちなみに会合はどちらで?」
「……ああ、ええと、そうだな、アルデンヘイムだ」
答える際、俺が口ごもったのには相応の訳があった。なぜなら、アルデンヘイムは俺が生まれ育った故郷にほかならないからだ――。




