10.耳削ぎマリージャ
応接間に着くなり、ユーディエは俺の素性に関する質問を投げかけてきた。
質問内容は、名前や出身、これまでの経歴と多岐に渡っていた。
俺はそれらの一つひとつに、丁寧に回答していった。
名は、この国ではありふれたものである“ケンゴー”。
出身地は、隣国ヴァンデミアとの国境付近にあった貧しい農村としておいた。
俺はかつて、遠征中にその地へ足を運んだことがあるのだが、今現在、その村はこの世に存在していない。
数年前、ゼルマンドの軍勢に蹂躙されたためである。
経歴については、貧しい暮らしに嫌気が差して村を飛び出し、傭兵として各地を転戦していたが、遂に戦役も終結したので、仕事を求めにギルドへ足を運んだ、と答えた。
これらは全て、容易に嘘を見抜かれぬよう、事前に準備していたものである。
ユーディエはすんなりと俺の話を信じ、あっという間に登録手続きは終了した。
「……早速だが、仕事を紹介して欲しい。難しい案件で構わん。報奨金は多ければ多いほど助かる」
そう切り出すと、ユーディエは少々困ったような顔をして黙り込んだ。
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
尋ねると、ユーディエはおずおずと口を開いた。
「……実を申しますと、ケンゴー様の実力を見込んで、是非とも受けていただきたい依頼があるのです」
「では、聞くだけ聞こう」と答えると、ユーディエは神妙な面持ちで話し始めた。
「昨日の午後、ツヴェルナのほど近くのミードという農村で、立てこもり事件が起きたのです。犯人は大柄な男で、人間の耳を連ねた不気味な首飾りを下げていたとか……」
義勇軍に属していた当時、俺はその男の噂を小耳に挟んだことがあった。
男の名はマリージャ。
腕は確かな傭兵で、金に汚く、性格は残虐非道そのものと評判だった。
戦場で殺した相手の耳を斬り落とし、それらを数珠つなぎにして作った首輪をぶら下げていることから、陰で“耳削ぎマリージャ”と呼ばれて蔑まれていた。
だが、本人はそれを知っても不快がるどころか、むしろ得意にさえ思っていたという。
ゼルマンドとの戦役が終結したため、働き口に困って仕出かしたであろうことは、想像に難くなかった。
傭兵の中には、人を殺める以外は何もできない哀れな連中が、一定数いるのだ。
「その男は、村の民家に押し入り、残されていた子どもを人質にとって、エギゼル金貨百枚を要求しているとのことです」
「……無論、その依頼を受けるのは構わんが、報奨金はいくらだ?」
尋ねると、ユーディエは伺うように一瞥をくれたのち、ひどく申し訳なさそうにこう答えた。
「それが、エギゼル銀貨3枚なのです。今年は不作でしたから、依頼者夫婦がひどく生活に困っているということでして……」
「その額では、一日の宿代にさえならん。さすがに誰も受けないだろうな。ところで、レヴァニア騎士団の詰所に使いは遣ったのか?」
「もちろんです。到着は、明日の昼になるという話でした。ただ、それまで子どもが無事でいられる保証はありませんし、私は不安で仕方がないのです。きっと、お腹だって空かせているでしょうし……」
ユーディエはため息交じりに答え、それから真剣な眼差しで俺を見た。
「……勝手ながら、これほど危険な仕事を頼めるのは、ケンゴー様、いえ、聖者様のほかには誰もいないと考えたのです」
俺は言葉に詰まった。
先ほど、この女が大声を上げたせいで、周囲の者たちに顔を覚えられてしまったのは言うまでもない。
それだけでも厄介なのに、この誰もが関わり合いになりたくないような案件を解決すれば、俺の“聖者”としての評価が何倍も増すであろうことは、火を見るよりも明らかだった。
そうなれば、ますます要らぬ注目を浴びることになり、その分だけ“脱走死刑囚”という素性が暴かれる危険性が高まってしまう。
その上、相手は名の知られた元傭兵で、人質まで取られているときた。
きっと家の周りには、村中から野次馬が集っているだろうし、そんな状況では血操術に頼ることも控えるべきである。
助けてやりたいのはやまやまだが、死と正体を晒す危険の代償に得られるのは、雀の涙ほどの銀貨でしかない。
どこからどう考えても、割に合わぬ仕事である。
(――だが、“不遇をかこつ者たちのために剣を取る”というかつての志はどうなる?)
そう自問したが、元より俺は民衆にさえ見放された男だ。
王都の中央広場で罵倒され、石まで投げつけられたことを、決して忘れたわけではない。
無理に過去の自分を演じ続けようとするのも、どこか馬鹿げている気がした。
(せっかく自由の身となったのだから、昔のしがらみを背負う必要もない)
良心が痛まないわけではなかったが、俺は断ることを決めた。そのときだった。
「……申し訳ねえが、あんた方の話を立ち聞きさせてもらった」
言いながら、みすぼらしい身なりの若い男が、応接間の扉を勢いよく開き、ずかずかと中に入ってきた。
男の肌はむらなく日焼けしており、農民であることは一目瞭然だった。
男は俺の正面で立ち止まり、もの言いたげな目をこちらに向けた。
「こちらの方は、テモンさんと言って、人質に取られた子どものご夫婦の弟さんです」
事態を飲み込めないでいる俺に、ユーディエがそう教えてくれた。
「……おらは、兄者の代わりに昨晩ギルドに来て、依頼の届けを出したんだ」
真っ直ぐ俺を見つめながら、テモンが話し出した。
「でもよ、誰一人として引き受けちゃくんねえ。どんだけ頭を下げても、黙って首を振られるばかりでよ。確かに、割に合わねえ仕事だってのはわかってる」
そう言って、テモンはその場に屈み込み、床に額を擦りつけた。
「あんた、“傷跡の聖者”なんだろ? とんでもなく強いって、おらたちの村でも噂になってるほどだ。後生だから、どうか頼まれてくれ。だって、あの子は、あの子はよォ……」
テモンはそこで言葉を置き、やがて涙声でこう続けた。
「兄者たちには、いつまで経っても子ができなかった。それで、毎朝毎晩、子どもができますようにって、祈りを捧げてたんだ。そしたらよ、ある寒い冬の朝、あの子が村の橋の下に捨てられてたんだ。それで兄者たちは、祈りが通じたって大喜びしてよ、その子を育てることにしたんだ。本当に可愛い子でよ、やっと言葉も覚えたところで……」
何の因果であろうか。
人質に取られた子が、俺と同じく捨て子だったとは、ゆめゆめ考えもしなかった。
思い返せば、俺の人生にはいつも、過去の自分の影がまとわりついてきた。
戦火で孤児となった赤子たち。義勇軍に身を投じるほかなかった少年たち。
彼らを救う力になりたいという願いは、戦いの日々に見出した、たった一つの希望だった。
(――ゼルマンドが倒れてもなお、戦い続ける理由があるということか)
俺は決して運命論者ではない。
けれども、この依頼を断れば、後々きっと悔いるであろうという直観が働いた。
「――顔を上げてくれ」
俺はテモンにそう声をかけた。
「引き受けようではないか。その子は、俺がこの手で必ず助け出す」
「……ああ、何て言ったらいいかわからねえが、あんたは、確かに聖者らしい」
そう言うなり、テモンは薄らと目に涙を浮かべた。
「私からも、感謝を言わせて下さい」
ユーディエは深々と頭を下げ、それからひどく不安げな口調でこう続けた。
「ですが、こちらの件は、そう易々と解決できるものではないと感じています。ケンゴー様には、何か良いお考えがあるのですか?」
「――もちろんだ」
俺は即座に答えた。
「“聖者”なんて仇名は願い下げだと思っていたが、今回ばかりは感謝しなくてはならん。何と言っても、そいつがヒントをくれたんだからな」