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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第一章:聖者の目覚め
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10.耳削ぎマリージャ

 応接間に着くなり、ユーディエは俺の素性に関する質問を投げかけてきた。

 質問内容は、名前や出身、これまでの経歴と多岐に渡っていた。

 俺はそれらの一つひとつに、丁寧に回答していった。

 

 名は、この国ではありふれたものである“ケンゴー”。

 出身地は、隣国ヴァンデミアとの国境付近にあった貧しい農村としておいた。

 俺はかつて、遠征中にその地へ足を運んだことがあるのだが、今現在、その村はこの世に存在していない。

 数年前、ゼルマンドの軍勢に蹂躙されたためである。

 経歴については、貧しい暮らしに嫌気が差して村を飛び出し、傭兵として各地を転戦していたが、遂に戦役も終結したので、仕事を求めにギルドへ足を運んだ、と答えた。 

 これらは全て、容易に嘘を見抜かれぬよう、事前に準備していたものである。

 ユーディエはすんなりと俺の話を信じ、あっという間に登録手続きは終了した。


「……早速だが、仕事を紹介して欲しい。難しい案件で構わん。報奨金は多ければ多いほど助かる」


 そう切り出すと、ユーディエは少々困ったような顔をして黙り込んだ。

 

「どうした? 何か問題でもあるのか?」


 尋ねると、ユーディエはおずおずと口を開いた。


「……実を申しますと、ケンゴー様の実力を見込んで、是非とも受けていただきたい依頼があるのです」


「では、聞くだけ聞こう」と答えると、ユーディエは神妙な面持ちで話し始めた。


「昨日の午後、ツヴェルナのほど近くのミードという農村で、立てこもり事件が起きたのです。犯人は大柄な男で、人間の耳を連ねた不気味な首飾りを下げていたとか……」


 義勇軍に属していた当時、俺はその男の噂を小耳に挟んだことがあった。

 男の名はマリージャ。

 腕は確かな傭兵で、金に汚く、性格は残虐非道そのものと評判だった。

 戦場で殺した相手の耳を斬り落とし、それらを数珠つなぎにして作った首輪をぶら下げていることから、陰で“耳削ぎマリージャ”と呼ばれて蔑まれていた。

 だが、本人はそれを知っても不快がるどころか、むしろ得意にさえ思っていたという。

 ゼルマンドとの戦役が終結したため、働き口に困って仕出かしたであろうことは、想像に難くなかった。

 傭兵の中には、人を殺める以外は何もできない哀れな連中が、一定数いるのだ。


「その男は、村の民家に押し入り、残されていた子どもを人質にとって、エギゼル金貨百枚を要求しているとのことです」


「……無論、その依頼を受けるのは構わんが、報奨金はいくらだ?」


 尋ねると、ユーディエは伺うように一瞥をくれたのち、ひどく申し訳なさそうにこう答えた。


「それが、エギゼル銀貨3枚なのです。今年は不作でしたから、依頼者夫婦がひどく生活に困っているということでして……」


「その額では、一日の宿代にさえならん。さすがに誰も受けないだろうな。ところで、レヴァニア騎士団の詰所に使いは遣ったのか?」


「もちろんです。到着は、明日の昼になるという話でした。ただ、それまで子どもが無事でいられる保証はありませんし、私は不安で仕方がないのです。きっと、お腹だって空かせているでしょうし……」


 ユーディエはため息交じりに答え、それから真剣な眼差しで俺を見た。


「……勝手ながら、これほど危険な仕事を頼めるのは、ケンゴー様、いえ、聖者様のほかには誰もいないと考えたのです」


 俺は言葉に詰まった。

 先ほど、この女が大声を上げたせいで、周囲の者たちに顔を覚えられてしまったのは言うまでもない。

 それだけでも厄介なのに、この誰もが関わり合いになりたくないような案件を解決すれば、俺の“聖者”としての評価が何倍も増すであろうことは、火を見るよりも明らかだった。

 そうなれば、ますます要らぬ注目を浴びることになり、その分だけ“脱走死刑囚”という素性が暴かれる危険性が高まってしまう。

 その上、相手は名の知られた元傭兵で、人質まで取られているときた。

 きっと家の周りには、村中から野次馬が集っているだろうし、そんな状況では血操術に頼ることも控えるべきである。 

 助けてやりたいのはやまやまだが、死と正体を晒す危険の代償に得られるのは、雀の涙ほどの銀貨でしかない。

 どこからどう考えても、割に合わぬ仕事である。


(――だが、“不遇をかこつ者たちのために剣を取る”というかつての志はどうなる?)


 そう自問したが、元より俺は民衆にさえ見放された男だ。

 王都の中央広場で罵倒され、石まで投げつけられたことを、決して忘れたわけではない。

 無理に過去の自分を演じ続けようとするのも、どこか馬鹿げている気がした。


(せっかく自由の身となったのだから、昔のしがらみを背負う必要もない)


 良心が痛まないわけではなかったが、俺は断ることを決めた。そのときだった。


「……申し訳ねえが、あんた方の話を立ち聞きさせてもらった」


 言いながら、みすぼらしい身なりの若い男が、応接間の扉を勢いよく開き、ずかずかと中に入ってきた。

 男の肌はむらなく日焼けしており、農民であることは一目瞭然だった。

 男は俺の正面で立ち止まり、もの言いたげな目をこちらに向けた。


「こちらの方は、テモンさんと言って、人質に取られた子どものご夫婦の弟さんです」


 事態を飲み込めないでいる俺に、ユーディエがそう教えてくれた。

 

「……おらは、兄者の代わりに昨晩ギルドに来て、依頼の届けを出したんだ」


 真っ直ぐ俺を見つめながら、テモンが話し出した。


「でもよ、誰一人として引き受けちゃくんねえ。どんだけ頭を下げても、黙って首を振られるばかりでよ。確かに、割に合わねえ仕事だってのはわかってる」


 そう言って、テモンはその場に屈み込み、床に額を擦りつけた。


「あんた、“傷跡の聖者”なんだろ? とんでもなく強いって、おらたちの村でも噂になってるほどだ。後生だから、どうか頼まれてくれ。だって、あの子は、あの子はよォ……」


 テモンはそこで言葉を置き、やがて涙声でこう続けた。


「兄者たちには、いつまで経っても子ができなかった。それで、毎朝毎晩、子どもができますようにって、祈りを捧げてたんだ。そしたらよ、ある寒い冬の朝、あの子が村の橋の下に捨てられてたんだ。それで兄者たちは、祈りが通じたって大喜びしてよ、その子を育てることにしたんだ。本当に可愛い子でよ、やっと言葉も覚えたところで……」 


 何の因果であろうか。

 人質に取られた子が、俺と同じく捨て子だったとは、ゆめゆめ考えもしなかった。

 思い返せば、俺の人生にはいつも、過去の自分の影がまとわりついてきた。

 戦火で孤児となった赤子たち。義勇軍に身を投じるほかなかった少年たち。

 彼らを救う力になりたいという願いは、戦いの日々に見出した、たった一つの希望だった。


(――ゼルマンドが倒れてもなお、戦い続ける理由があるということか)


 俺は決して運命論者ではない。

 けれども、この依頼を断れば、後々きっと悔いるであろうという直観が働いた。


「――顔を上げてくれ」


 俺はテモンにそう声をかけた。


「引き受けようではないか。その子は、俺がこの手で必ず助け出す」


「……ああ、何て言ったらいいかわからねえが、あんたは、確かに聖者らしい」


 そう言うなり、テモンは薄らと目に涙を浮かべた。


「私からも、感謝を言わせて下さい」


 ユーディエは深々と頭を下げ、それからひどく不安げな口調でこう続けた。


「ですが、こちらの件は、そう易々と解決できるものではないと感じています。ケンゴー様には、何か良いお考えがあるのですか?」


「――もちろんだ」


 俺は即座に答えた。


「“聖者”なんて仇名は願い下げだと思っていたが、今回ばかりは感謝しなくてはならん。何と言っても、そいつがヒントをくれたんだからな」

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