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探偵モノ

”異世界転生”殺人事件

作者: てこ/ひかり

□問題編□


「ちょっと待ってよ……アイちゃんは死んだんでしょ?」


 静まり返ったラウンジに、若い女の上ずった掠れ声がポツリと零された。集まった残りの四人は、だが誰もその問いには答えようとはせず、お互いの顔を見合わせるだけだった。

「どういうことなの?」

「落ち着いてよ、さっしー」

 再び身を乗り出して問い詰める女に、一人用の赤いソファに座っていた青年が困ったように眉を八の字にした。

「さっしー、君だって知ってるだろ? 異世界転生した物語の中だってこと……」

「それは、そうだけど……」

 さっしーと呼ばれた女がトーンダウンした。

 首根っこを掴まれた青年が、苦しそうに咳を繰り返した。


「アイは死んだ。死体は俺たちが燃やしたからな。死んだのは確かだ。でもな……」

 ラウンジの壁に寄りかかっていた男が、低い声を出す。

「アイツは俺たちを相当恨んでいた。一度死んだくらいじゃ、諦めてくれないって話だ」

「でもそれは、”物語”の話でしょ?」

「そうだよ。そして俺たちは、まだその”物語”の中から出してもらえてないんだ……!」

「そんな……」

 女が息を飲んだ。

「じゃあアイちゃんは……死んだ後、私たちの誰かに転生してるってこと?」

 女の言葉に、その場にいた全員が再び黙り込んだ。ラウンジの中に、冷たい空気が張り詰める。窓を叩く大雨が、静寂に包まれた空間にやけに大きく響いていた。指方薫子はその場で固まったまま、事態の異常さに気づき背筋を氷で撫でられたような感覚に襲われた。



 せっかく、殺人犯を追い詰めて殺したのに。

 まさか転生して、再び蘇ってくるだなんて。



 悪夢としか言いようがなかった。

 ”異世界転生”殺人事件。

 『どうせ死んでも、別の世界に転生するだけだから厳密には”人殺し”には当たらない』と、いかにも売れてなさそうな作者に誘われ軽い気持ちで物語に参加してしまった。普段は純文学カテゴリとか、現代モノの恋愛系などにばかり登場していた彼女だったが、思うようにサイトでの認知度が上がらず思い切って”ミステリ”へと参加した。今まで人が死ぬような話に登場したことはなく、怖い話や血なまぐさい物語は苦手だったが、このままでは、出番ももらえないまま腐っていくだけだった。物語の”登場人物”の一人として、少しでも活躍の場を広げたかった。


 実際、物語は順調に進んでいるように見えた。被害者役だった他の”登場人物”たちも、作者が予め用意した”プロット通り”殺されていった。殺されたのは三人だが、皆異世界に転生して第二の人生を約束されていた。犯人役で指方の”友人役”だった北川アイも、シナリオに沿って最後は焼却炉の中に飛び込み、ここにいる五人に見守られる中絶命していった。


 それなのに……。

 指方は唇を噛んだ。そして、同じく黙りこくった他の面々の顔色を見渡し、その瞳の中に”別の人格”が潜んでいないかと密かに探った。


 ウエちゃん。

 岡くん。

 菊ちゃん。

 景子さん。

 そして、指方。


 残されたのは五人だ。そして五人はこの閉鎖病棟を後にして、無事日常に戻り物語はエンド……だったはずだ。それなのに……!


「どうしてまだ物語が続いてるのよッ!」

 焦燥に駆られた指方の叫びが、ラウンジに木霊した。

「分からないわ」

 同じく赤いソファに座っていた中田景子が、諦めたように肩をすくめた。

「作者はどういうつもりなの!? 事前に読み込んだ台本じゃ、こんなことは書かれてなかったのに……!」

「作者が”プロット”を投げ出すなんて、良くあることだろ」

 壁にもたれかかって腕組みをしていた岡智彦が、低く唸った。指方は歯噛みした。

 これだから……これだから”ミステリ”みたいな”先行きの分かりにくい”物語に登場するのは嫌だったのだ。トリックだか犯人探しだか知らないが、物語の構造を複雑に複雑に展開させて、作者はちっとも登場人物の気持ちを考えてくれない。こっちは文字通り命を危険に晒してまで登場しているというのに、全く割に合わない物語のジャンルだ。


「とにかく……終わってないってことは、まだ事件は解決してないってことだよね?」

 気を取り直した上沢明宏が、小さく咳払いした。脇に立っていた上沢の”恋人役”の吉住菊花が、不安そうな顔で彼の肩にしがみ付いた。岡が腕組みをしたまま頷いた。


「ああ。だからこそ、さっきの話に信憑性が出てくるんだ」

「”犯人”が、転生して私たちの誰かに乗り移ってるって……?」

 指方は顔を引き攣らせた。

「そんな事ってありえる?」

「ありえるんだよ。ここはそういう物語の中なんだからな」

 岡は苦々しげに呟いた。確かに、彼の言葉は否定できない。全盛期から下火になったとは言え、”異世界転生”は流行を築いた人気ジャンルだ。それは”ミステリ”ジャンルも例外ではなく、探せば様々な物語がいくらでも転がっている。”異世界転生”殺人事件。今回のプロットも、転生を売りにした物語ではあった。


「問題は……この中の【誰が】犯人なのか、って事ね」

 景子が口元に手をやり、考え込む仕草を見せた。そうだ。指方は我に返った。この中の誰かは、死んだ”犯人役”のアイちゃんなのかもしれないのだ。仮にアイちゃんが転生してないにしろ、少なくともミステリという”物語”が終わってない以上、今一度犠牲者が出ても何らおかしくはない。指方は思わず体を強張らせ、四人から距離を取るように一、二歩後ずさりした。


「ぼ、僕じゃないよ!」

 上沢が慌てて唾を飛ばした。

「ああ。分かってるさ」

 岡がゆっくりと寄りかかっていた壁から身を起こした。

「犯人役が、『私が犯人です』なんて自分から言うワケねえだろ。そして犯人役は俺じゃねえ。俺の中には北川も、誰も転生なんてしてきてねえ。それだけは確かだ」

「ちょっと岡くん!? あなた、一体何する気……!?」

 岡はゆっくりと上沢の元へと近づき、テーブルの上に置いてあった透明の灰皿を片手に取った。その目は一切瞬きする事なく、ギラギラと焦点の合っていない視線でどよめく四人を見渡した。


「決まってんだろ。この物語をさっさと終わらせんだよ。俺が犯人じゃないことは確かなんだから……お前ら全員ぶっ殺したら終いだろうが!!」

「きゃあああああ!!」

 岡が怒声を上げ、右手に持った灰皿を上沢の頭頂部に振り下ろした。上沢は思わず身を強張らせ、伸ばした両手で灰皿を受け止めようとしたが、あいにく凶器は彼の指の間をすり抜けていった。グシャッ、と果物が潰れるような音がして、上沢の頭から噴水のように鮮血が飛び出した。こぢんまりとしたラウンジに、誰のものともわからない悲鳴が折り重なって反響した。入り口目掛けて逃げ惑う女性陣に、岡が猛然と突っ込んできた。


「待てコラァ!!」

「いやああ! やめて!! やめてえ!!」


 指方は暗がりの廊下に飛び出すと、玄関に向けて一目散に走った。後ろの方で逃げ遅れた”ちゃん”の声が聞こえたが、構っている余裕はなかった。前を走っている”景子さん”に続いて、誰もいない病院の待合室を駆け抜け、ホールから広い玄関に向かった。真っ暗に染まった夜の闇の中に、ポツポツと建てられたオレンジ色の街灯が妖しい光を放っている。その弱々しい光だけを頼りに、病院の外に飛び出した二人はコンクリートの坂道を降りていった。


「きゃああッ!?」

「!?」

 突然指方の前方から悲鳴が聞こえ、彼女は思わず立ち止まった。暗闇で視界がはっきりしない。「景子さん!?」

 指方は何も見えない夜の闇に向かって叫んだ。だが、返事はない。意を決した彼女が、恐る恐る近づいていくと……。

「ひッ!?」

 指方は思わず悲鳴を上げた。暗がりの中で、”景子さん”が地面に身を伏せ悶えている。その体には、蜂や蛾と言った無数の虫たちが群がっていた。夜の闇と見間違うほど、体を埋め尽くさんばかりに真っ黒に虫に群がられた”景子さん”が、手足を捩りながら呻いた。

「ひいいいいいッ!!」

「そんな……!!」

 指方は目の前の光景に絶句した。

 ありえない。こんな絶妙なタイミングで、偶然凶暴化した昆虫の群れに襲われるだなんて、そんなムシの良い話がミステリで許されるワケがない。だとしたら……。


「だめッ! 景子さん、虫を殺しちゃ!!」

「ひいいい!!」

 指方は叫んだ。

 虫だ。

 転生先が、なにも人であるとは限らない。犯人役である”アイちゃん”は、きっとこの無数の虫たちに転生したのだ。

 そして残りの”登場人物”たちが外に出てくるのを待ち構え、襲うつもりだったのだ。

「ひいいいいい!!」

 ”景子さん”は地面の上で踊るように身を捩らせ、自分の体にまとわりついてくる虫たちをデタラメに払った。地面に潰された虫の何匹かは、”景子さん”の手足に潰され四肢を捥がれ絶命していた。指方はそれを見て唾を飲み込んだ。やがて、虫たちの動きが緩慢になり……。

「景子さん!!」

 目を見開く指方を見て、ゆっくりと立ち上がった”景子さん”がニンマリと笑った。その顔には、まだ残っていた蜂や蛾が群がっていたが、彼女は一切振り払う素ぶりすら見せなかった。

 

 転生。


 指方はゾッとした。

 虫に転生し、”景子さん”を襲い……今度はその”景子さん”自身に転生したのだ。

 指方は急いで元来た道を引き返し始めた。後ろには正気を失った”岡くん”がいるが、背に腹はかえられない。猛然と背中を追ってくる”景子さん”を振り切り、彼女は病棟の中へと戻った。

 

 非常口の緑色の薄明かりに照らされた待合室に戻ると、そこで指方を待っていたのは、血を流し倒れこむ二人の人影であった。

「菊ちゃん!!」

 指方が床に伏す一人に駆け寄った。小柄な女性は意識を失っていたものの、まだかろうじて息はあるようだった。指方はホッとため息をついた。同じようにすぐそばで倒れている”岡くん”もまた、右手に灰皿を握りしめたままピクリとも動かない。もしかしたら、死んでいるのかもしれない。”菊ちゃん”がやったのだろうか?

「とにかく、逃げなきゃ……!」

 指方が”菊ちゃん”の肩を担ぎ、立ち上がろうとしたその瞬間、後ろから追ってきた”景子さん”が待合室に飛び込んできた。指方は思わず固まった。”景子さん”は出口に繋がる廊下に仁王立ちすると、道端で拾ったのだろう、巨大なコンクリの欠けらを手にゆっくりと指方に歩み寄り

「!!」

 呆然とする指方の目の前で、その欠けらを自分の側頭部に勢いよくぶつけ始めた。

「マズイ……!」


 転生する気だ。

 乗っ取った景子さんの命を絶ち、自分か”菊ちゃん”のどちらかに転生するつもりなのだろう。止めなくては。指方は”菊ちゃん”を放り出し、”景子さん”に向かって突っ込んでいった。だが彼女の必死の走りも虚しく、”景子さん”は指方の手が届く前に糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

「そんな……!」

 指方は息を飲んだ。走っていた勢いのまま、事切れた”景子さん”の死体の上に折り重なり倒れこんだ。転生先だった”景子さん”が死んだ。じゃあ、次は……。

「ひッ……!」

 指方が振り返ると、さっきまで気絶していたはずの”菊ちゃん”がゆっくりと首をもたげ、乾ききった目で彼女をじっと見つめた。

「さっしー……」

「いや……!」

「さっしー、違うの。逃げられないのよ……!」

「来ないで……!」

「ダメ、ダメなの。逃げられない。ここは”物語”の中の世界。私は”岡くん”をやってない。彼は突然倒れたのよ……!」

「やめて……!!」

「私、分かったの。彼女が、犯人役が転生していたのは……ウッ!」

「きゃあああッ!!」

 そこで”菊ちゃん”は突然息を詰まらせ、白目を剥いて泡を吹き始めた。指方は思わず頭を抱え悲鳴をあげると、最早半狂乱になり一目散に病院の外へと駆け出した……。


□解決編□

 

「それで、分かったかい? 【誰が】犯人なのか?」


 都内某所。

 電気のついていない部屋で、PCのブルーライトだけが煌々と狭い部屋の中で輝いている。そのモニターに向かってキーボードを打ち付ける男の後頭部に、指方は銃口を突きつけていた。


「一体犯人役の”アイちゃん”は、誰に転生していたのか? この物語は、中々傑作だと思ったんだけどね……」

「…………」

 指方の目の前にいる男は、作者だった。キーボードの手を止めずに、嬉々として語りかける男とは対照的に、指方は冷たい声で応えた。

「ええ。分かったわ。”異世界転生”殺人事件。物語の中の世界っていうところが、ミソだったのね」

「分かったところで、どうしようもないだろう?」

 作者の男が嬉しそうに呟いた。暗がりの部屋の中で、壁に掛けられていたコートがエアコンの風に当たってゆらゆらと蠢いた。

「こっちを向いて話したらどう?」

「嫌だ。そんなことしたら、物語が終わってしまうじゃないか」

「文字、ね」

 彼女は心底軽蔑した顔で首を振った。 


「”犯人役”は……アイちゃんは誰にも転生してない。最初から物語の世界を構成する、【文字】に転生していたのよ。だから誰も抵抗できなかった。みんな【文字】に踊らされ動くしかなかった。小説の中の”登場人物”は、文字通りに動くしかないもの」

「大正解だ」

 男はそれでもキーボードを打つ手を止めなかった。指方が引き金に指をかけた。

「転生の対象が、何も人だとは限らないからな。だからこそ、分かるだろう。その【文字】を打ってるのは誰だ? 私だ。作者の私だよ。勘弁してくれ。私だって被害者なんだよ。最初のプロットでは、犯人役が死んで、異世界に転生して終わりだった。それがまさか、そこからまた私の物語の【文字】に転生するだなんて!」

「言い訳しないで。あなたがこんな酷いプロット立てなければ……残念ながら、私の目から見ても駄作の部類よ」

「文字が止まったら、この物語の”登場人物”である君もそこまでだぞ。八方塞がりさ。私を殺せば、物語は止まっ「なめな

いで」

 パシュン!

 と小さな音がして、サイレンサーの取り付けられたピストルから放たれた弾丸が、指方の頭を撃ち抜いた。絶命し、それからゆっくりと目を開ける。痛みはない。画面の向こう、文字の中の世界で驚き目を見開く男を見届けて、指方は冷や汗を拭い小さく息をついた。


 異世界転生。


 危険な賭けではあった。

 ”登場人物”は自分を形作る【文字】には逆らえない。犯人役が【文字】に転生していると言うのなら、物語の中に逃げ場はない。だからその前に、物語の向こう側……”あとがきの側”の世界に、逃げる必要があった。どうやら上手くいったようだ。

「でも……」

 指方は辺りを見渡した。”犯人役”もまた、”異世界転生”ができるのだ。物語の中に誰もいないと気づき、いつ”こちら側”の世界に転生してくるか分からない。指方は辺りを警戒したまま、急いで新しく辿り着いた”こちら側”の世界のどこかへと姿を消して行った……。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  面白かったです。こういうメタな作風、好きです。そしてメタな作品では大概、作者は悪く書かれますね。  発想の勝利。加えて、何気ない文章が本当にお上手ですよね。
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