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シュレディンガーの死

作者: 葉月コノハ

 


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 何か小さな破裂音のような音がして、目を覚ました。前日までの疲れが溜まっていたのだろうか、昨日の夜に床に就いた記憶も無い。ただ泥のような眠りに沈んでいた。深い、深い砂と水の調和の夢。


 布団の中で微睡むのは心地良いが、あいにく朝は出社まで時間が無い。いそいそと体を起こし、気怠げに這いずり出るのに五分。冬だし動きたくないのだが、このままじゃ遅刻してしまう。SEの仕事は時間に甘くない。


 時間確認とBGMがてらテレビをつけ、昨晩用意しておいた簡易の食事を口にする。おにぎり二つとベーコン一枚。どちらも冷えきっているが、この際文句は言えない。温めるにしろ、早く起きない自分が悪い。


『今日未明、N市O町の住宅街で、男性が血だらけで倒れていると119番通報があり、雑貨店経営の四谷雄二さんが、駆けつけた救急隊により死亡が確認されました……』


 O町っていったら隣町だ。物騒な話である。


 僕はようやくおにぎりを一つ食べ終わり、ベーコンを流し込んだ。あと五分以内に家を出ないと、いつもの電車に間に合わない。もう食事はやめにして、残りは帰って来てから食べることにした。



 靴のかかとを踏みながら、無人の部屋にいってきます、と声をかける。遅刻しがちなのは学生の頃から変わらないな、と思いつつドアノブを回して外に出て------


「------え」



 ばあん。




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 嫌な夢を見た。眼を覚ます夢だ。いつもの如く遅刻しそうになって、急いで家から出て、それから。



 それからは、よく覚えていない。そこで夢が覚めたのか、それともその先を忘れたのか。兎も角不思議な夢だった。嫌な汗をかいているし、なんだか寒気もする。寝相の悪さで風邪でも引いたようだ。


 妙に目が冴えてしまったので、そそくさと布団から出る。食欲も出ないので、朝食は抜きにすることにした。昨晩せっかく用意したが、仕方ない。帰って来て、まだ食欲があることを祈る。


 気分を変えようと、テレビをつけた。野球の話題が始まったかと思ったが、すぐにトピックが切り替わる。ここ最近起こっている連続殺傷事件についてだ。



『今日未明、N市にあるO町の住宅街で、男性が血だらけで倒れていると119番通報があり、雑貨店経営の四谷雄二さんが、駆けつけた救急隊により死亡が確認されました。なお……』


「……はて」



 聞き覚えのある内容だった……気がした。今日未明の事件であるならば、前もって知っている筈はない。だがO町という地名、それに四谷 雄二という男性の名前にも、何故か聞き覚えがあった。


「やっぱり体調が悪いのかな」


 嫌な予感を振り払うようにテレビを消した。まだゆっくりできるのだが、気味の悪さはテレビを消しても消えはしなかった。もう家を出ることにする。


 靴をきちんと履き、ドアノブに手をかけて外へ出た。


 冷たい風が顔を撫でる。もう本格的な冬が始まったようだ。

 鍵をかけて振り返ると、右手の廊下に人影が見えた。紫のフードを被った、背の高い男性が俯いて立っている。軽く会釈をすると、彼は顔を上げ、血走った目を覗かせた。彼はその口を醜く歪ませ------



 それは、



 傘か、いや、鉄の筒か、いや、






 ばあん。




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 いま、撃たれた。間違い無く、僕はアイツに撃たれた。布団の中で眼を覚ました時、それは確信に変わっていた。


 すぐに飛び起き、テレビをつける。今の時間だと、いつも見ている番組はまだスポーツのコーナーのはずだ。他の局にチャンネルを変えると、幸い連続殺傷事件について流していた。今までに二人が意識不明の重傷、四人が死亡。被害者はみなショットガンで撃たれ_____



 鉄製の筒。ショットガン。

 あれだ(・・・)。あれが、その(・・)ショットガンだ。


 ならば、彼がその連続殺人犯ということになる。夢の中の僕は、この報道の「連続殺人」の犠牲者の一人となったのだ。だがそれは()であり、僕は目を覚まし、今ここにいる。


「ただの夢------」



 そう(・・)ではないということくらい、僕にだって判っていた。あれは予知夢なのだ。これから現実に起こる出来事を、前もって知らせているに過ぎない。


「け、警察に」



 僕はスマートフォンで110をタップする。自分でも驚くほど、指先が震えている。



「も、もしもし、た助けてください、あの、銃を持った男が家の前に」

「ががががががががががががががががががががががが」



 ぶつっ、と電話が切れる。つー、つー、つー。


 繋がったかと思った回線は、雑音だけを垂れ流して切断された。他の連絡手段も駄目だ。携帯の充電も通信状況も問題ないのに、SNSなど外部との連絡ツールがピンポイントで使えない。孤立無援だと悟った頃には、時計はいつもの出発時間を指していた。


 今家を出ると、どうなるかは知っている(・・・・・)



 このまま家から出なければ、やり過ごせるかもしれない。ここは集合住宅だし、万が一扉を撃ち抜かれれば相応の騒音が響くだろう。近所の人たちが騒ぎを聞きつけて、代わりに警察を呼んでくれてもおかしくない。僕は急いでテレビを切り、生活の音を消す。


 かち、かち、かち。



 息を潜めると、部屋に響くのは秒針の刻みだけとなった。



 かち、かち、かち。



 一回目に撃たれたときは、丁度これくらいの時間だっただろうか。二回目はもう少し前、三回目は、もうごめんだ。


 かち、かち、かち。




 かち、かち、かち。




 かち、かち、かち。




 かち、かち、かち。




 かち、かち、かちゃり。




 かちゃり。


 二度、金属が触れる音が聞こえた。一拍開けて、きぃ、と扉が開く音。


 廊下越しに人影が見えた。マスターキーを持っているということは、きっと管理人だ。ちょうど良かった、警察を呼んでもらおう------



 違う、アイツだ。どうして。



 どうして中に。






 ばあん。



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 じっとしていても意味がないことがわかった。アイツは何故だかマスターキーを持っていて、問答無用で入ってくる。


 紫のパーカーを着た彼------は、矢張り連続殺傷事件の犯人に違いないだろう。


 早急にここから逃げる(すべ)を考える必要があるが、それよりもまず、僕の頭には疑問が浮かんだ。人生で一番、切実な「どうして」。僕、坂本六朗が、一体何をしたというんだ。なんで、よりによって僕が。


 スマートフォンを手に取る。電話はできないが、インターネット自体が通っているのは前回証明済みだ。今までの被害者の一覧を検索する。


 第一被害者 川上 一成

 第二被害者 二階堂 あや

 第三被害者 四谷 明美

 第四被害者 三好 健司

 第五被害者 大橋 奈々

 第六被害者 四谷 雄二


 この一覧と自分を比べたとき、パッと思いつく共通点は漢数字だ。まるで狙ったかのような一成の『一』、二階堂の『二』。けれどもその調子で行くと、第三被害者の四谷は『四』になってしまう。規則性は無い。漢数字だけ抜き取ると、こうだ。


 第一被害者 一

 第二被害者 二

 第三被害者 四

 第四被害者 三

 第五被害者 七(奈々)

 第六被害者 四、または二


 そしてこれから増える第七被害者がこの僕、六となる。


 数字の羅列を何度も睨むが、規則性は一向に見つからない。それに、僕は殺されるほどの恨みを買った覚えもない。報道によると遺体の損壊は著しく、その痕には強い強い怨嗟を感じるほどだという。銃だけでなく、ナイフで殺された被害者もいるらしい。



 どうして、はひとまず後回しだ。護身用にと、台所から包丁を取り出す。これは間違いなく正当防衛だ。廊下を進み、覗き窓におそるおそる目を当てた。人気(ひとけ)はない。時間はまだあるようだ。


 玄関入ってすぐ右脇の壁に、小さな収納スペースがある。普段は靴置きとして使っているが、板を取り外せば人が入れるスペースを作れるだろう。僕はすぐに準備を始め、身を潜めた。息を殺し、わずかに開けた隙間から外の様子を伺いつつ、殺人鬼の襲来を待つ。




 かち、かち、かち。



 かち、かち、かち。



 かち、かち、かち。



 かち、かち、かち。



 かち、かち、かち。



 かち、かち、かち。



 かち、かち、かちゃり。


 前回より、鍵が回るまでに時間がかかったように思う。つまり、彼がここに来る時間は一定ではないということだ。


 かちゃり。



 二つの鍵が外れ、薄暗い廊下に朝日が差し込む。ナイフを持つ手が震え、汗で滑る。


「あああああ!!!!!」

 何を叫ぶとも無く、大声を出して自分を奮い立たせ、僕は通り過ぎようとする人影めがけて突進した。


 ぐっ、と何かに刺さる感触がある。ナイフの鋭利な切っ先は、殺人鬼の手に深々と刺さった。ぶつかった衝撃でか、彼は持っていたショットガンを落とす。



 今だ。


 彼を突き飛ばして、つんのめるように駆け出す。すれ違いざま、金属の光沢が目に映った。見覚えのあるそれはマスターキー。管理人室にあるあの鍵だ。血のついたそれが、彼のベルトに引っかかっている。


 驚きで目を見開く。いまの包丁での出血ではない。よく見ると、彼の紫の服にも赤黒い染みがいくつもあった。比較的新しい、最近浴びた返り血だ。





「ああ……そういう、こと」




 少し立ち止まったのが仇となる。玄関を飛び出たが間に合わない。廊下を走るその間に、僕は背中に熱を感じる。



 ばあん。


 一瞬遅れて、音が耳に飛び込む。







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 七人目の犠牲者は僕ではない。ここの管理人だったのだ。だから殺人鬼はマスターキーを持っていて、たとえ家の中に篭っていようと襲いかかってくる。

 管理人。五島正太郎。



 そういえば、一番最初の時、目覚めの合図は小さな破裂音だった。あれが彼が撃たれた際の発砲音なのだとしたら、時間的にも説明がつく。


 僕も撃たれた。銃口の奥の暗闇は本能的に不安を煽る。深淵を覗き込む時、深淵も覗き込んでいるという格言を思い出すが、まさにその通りだ。焦点も、集中も、すべて吸い込まれていくような感覚がある。ナイフで刺された被害者もいるようだが、どちらの死に方が良いかと問われれば、そもそも死にたくないというのが答えになる。


 ナイフと銃の違いを考えていると、ふと、ある案が浮かんだ。

「……あ」

 銃で殺された被害者たちのみ(・・)に焦点を当てる。すると------


 第一被害者 一

 第二被害者 二

(四谷 明美)

 第三被害者 三

(大橋 奈々)

 第四被害者 四または二

 第五被害者 五(管理人)


 そして第()被害者として、六。



 一から六までの綺麗な羅列が、そこにはあった。



 名前だ(・・・)




 例外の二人が何故例外なのか、何故ナイフで殺されたのかまでは分からないが、兎も角取り除いて考えるべきらしい。




 かちゃり。


 聞きなれた金属音に、背筋がぞくっと凍る。もう来たのか。


「……遅かったな」


 強がって、震える声で無駄口を叩いてみる。男はただ顔に笑みを貼り付けたまま、手に持った鉄の筒をこちらに向ける。


 一矢報いようとスマートフォンを思いっきり投げつけてみるが、彼は微動だにせずに引き金に手をかける。


 いや、




 いや、やめ------




 ばあん。






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 起きた瞬間、上着だけ羽織り、貴重品だけ持って外へ出た。寒さなんかで足を止めてなんかいられない。交番に着いてさえしまえば、少なくとも身の安全は保障される。


 そう思って階段をかけ降り、一階に着いた瞬間、思い留まる。僕が目を覚ます合図は管理人が撃たれた時の発砲音だ。つまり殺人鬼は


 管理人を殺す

 ↓

 (僕が目を覚ます)

 ↓

 マスターキーを奪う

 ↓

 僕の部屋に侵入する


 のプロセスを踏んでいる。管理人室は一階入り口のすぐ隣だ。いま正面玄関を通ろうとすれば、管理人を殺した後の殺人鬼と鉢合わせになってしまう。


 急げ。



 息を切らして、また階段を駆け上る。二階で廊下を渡り、反対側にあるもう一つの階段を目指すことにした。この集合住宅は横に長く、一階から僕の部屋のある四階までが二つの階段で繋がっている。出口は一つしかないから、殺人鬼が片方の階段を上ってくる間に、もう片方の階段で降りて、外へ出る必要があるのだ。


 足音を立てないようにゆっくりと階段を降り、身を潜め、顔だけ出して廊下の向こう側の様子を伺う。一見したところ人影は無い。もう階段を上っていったか、はたまた、まだ管理人室に居るのか。



 自分の呼吸と拍動が嫌に耳につく。


「ホント、どうして僕がこんな目に……」


 六がつく名前なら他にも居ただろう。どうして僕が。如何して。





 ……じり。




 僕の思考は、背後の雑音によってかき消された。後ろを振り向く余裕はない。転がるように前に飛び出す。



 ばあん。



 地響きのような振動が体を震わせ、耳がキーンとなって音が遠のく。大丈夫、当たっていない。五感すべての情報が鮮やかに、僕がまだ生きていることを知らせている。



 走れ。



 走れ、走れ。


 追いつかれる。立ち止まるな。外に出さえすれば通行人に助けは求められる。交番はすぐそばだ。人ごみに紛れてしまえば、助かるかもしれない。


 出口の自動ドアが開く間すらもどかしい。隙間をくぐるように通り抜け、一心不乱に走る。この集合住宅は細い路地に接しているだけだが、植え込みを右に曲がってすぐは、ここはもう大通り------








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 飛び起きる。




 死ななかった(・・・・・・)。僕は殺人鬼の追跡をかわし、大通りへと出た筈だ。


 だが結果として、それは夢となった。死んだら夢となるわけではないようだ。それはただ目覚めの条件に過ぎず、ただ通りに出ただけでも目覚めはやり直される。いわば、場外の概念があるのだ。この建物と隣接する路地、という狭い空間でのみ、僕は逃げることが許されている。まるでゲームかなにかのようだ。ただし、僕の命がかかっているゲームだが。



 逃走は禁止。制限時間も不明。勝利条件は分からず、ただただ逃げるしか無い鬼ごっこ。



 この命のやり取りは、永遠に続くようにも思われた。この地獄がいつまでも続くのかと思うと、捉えどころのない恐怖が襲ってくる。正気が音を立てて削れていくような感覚。虚脱感と悪寒が全身を包み込む。頑張っても生き残れるのか判らない。頑張らなければ、僕はいつまでも殺され続ける。


 頑張って…………殺人鬼を、僕が殺してしまうのはどうだろう。


  準備を整えて、かち、かち、かち。先ほどと同じように靴置きに身を潜める。かち、かち、かち。秒針の音に、やけに敏感になってしまった。この音だけが、彼が来るまでのタイムリミットを思い出させるのだ。それさえ気にしなければ、いつもと同じ朝だというのに。かち、かち、かち。




 かち、かち、かち。


 かち、かち、かち。


 かち、かち、かち。


 かちゃり、かちゃり。



 到着は、いつもよりも少し早かった。マスターキーが早く見つかったか、それとも管理人が早く殺されたのか。


 ひた、ひた。


 ひた、ひた。



 ワックスがけされた廊下をゆっくりと、素足が通る音がする。



 ひた、ひた。



 ……………………ひた、ひた。


 ……ひた。



 ひた。


 時折立ち止まりながらも、殺人鬼は廊下を進んでいく。いま逃げるという選択肢もある。だがどこに(・・・)逃げるというのだろう。僕はこの建物の中で、この殺人鬼と向き合うしかないのだ。覚悟を、決めろ。



 ……………ひた、ひた、ひた。


 音はちょうど、リビングに辿り着いたころ。今だ。




 僕は扉をゆっくり開け、そろりそろりと廊下に出る。殺人鬼はこちらに背を向け、リビングルームの中に僕の姿を探している。


「し、死ねぇぇぇぇェェッ!」


 これじゃどっちが殺人鬼かわからない。でも、やらなきゃ殺られる事だけはわかる。声を振り絞り、勢いをつけて胸の中心部を狙った。


 背中からどん、とぶつかるようにして、構えた包丁を持つ手に力を込めた。包丁の柄が背中に当たるまで深々と突き刺すと、一拍空けて、赤い血がだらだらと流れてきた。赤い、ぬるりとした、温かい感触。


「うわぁあ!」


 素っ頓狂な声をあげ、僕は包丁から手を離す。血だ。血。人の血。


 …………やった(・・・)



 張り詰めていた緊張感が一気に解け、どっと安心感が溢れ出す。腰の力が抜け、僕はその場にへたり込む。



 深々と包丁が刺さったままの男は、ゆっくりと片膝をつくと------



 にやり、と口元が歪んで。




 どうして、


 どうして、死んでいない(・・・・・・)




 ばあん。


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 なぜ死んでいない。心臓を刺されて、即死ではないにしても致命傷のはずだ。重い銃を持ち、あまつさえ撃つ体力がどこに残っているというのか。



 もう、無理だ。勝てない。隠れよう。正面きって戦うにしては相手が強すぎるし、こちらの状況も不利すぎる。隠れて待ち続ければ、僕以外の「六」を探しに行くかもしれない。その人には申し訳ないが、僕は、死にたくない。


 リビングに隣接する和室、その奥の襖を開けて、その中に潜り込む。冬とはいえ、中に空気が篭って暑くなるから、冷蔵庫から氷枕を持ち出して一緒に入れた。ここで何日も息を殺し続ければ、もしや。



 押入れの中には少しの布団と段ボールぐらいしか無く、人が一人入るには十分なスペースがあった。薄暗い中に入り、静かにうずくまる。耳を塞いだ。時計の音は聞こえない。









 ひた、ひた。





 来た。





 ひた、ひた。





 ひた、ひた。




 ひた、ひた。













 しばらく、無音が続いた。自分の呼吸音が無駄に大きいような気がする。手を当てて抑えるがどうも気になる。拍動さえも、襖を隔ててアイツに聞こえているような錯覚に陥る。


 襖を少しだけ開け、様子を伺おうとも思ったが、怖くなってやめた。それに、身じろぎ一つしようものなら、すぐ見つかるような気がして。





 ひた、ひた。

 また足音が始まった。



 ひた、ひた。




 ひた、ひた。



 素足の通る音がする。








  if{

 

     b ck round-c lor(#6666 6);


 even if (f nc


 }





「……え」


 しまった、つい声を。

 慌てて口を閉じるがもう遅い。バレた。やばい。また殺される。



 でも、今間違いなく、視界の端に何かが映った。一瞬だったが僕には見えた。間違いない。そして、それが意味するところは------





 ばっ、と大きく襖が開け放たれ、光とともに、薄汚れたジーパンとむき出しの素足が視界に映る。せめて一矢報いねばと氷枕を投げつけるが、動じない。普通冷たいものが足に当たったら吃驚するだろうが、と毒づき、



 今回も駄目だった。ぐいっと、有り得ない方向から彼の首がのぞきこんでくる。



 ばあん。



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 目が覚める。あと十五分足らずで殺人鬼がやってくる。


 僕はぼうっと、天井の染みを眺めていた。


 朝、こんなに頭を使ったのはいつぶりだろう。こんなに走り回って、こんなに隠れて、こんなに危ないものを振り回して。


「…………死にたくないなァ」



 死にたい、という言葉を無責任に消費してきた人生だった。だがこの言葉は、いま僕の全身に沁みわたっていく。この言葉を噛み締めていられるうちは、僕は生きている。


 四階から屋上へ通ずる階段は、背の低い柵で閉じられている。僕はそれを跳び越え、頂上を目指した。青空が見たかった。


 スマートフォンを取り出し、時間を確認する。残り五分ほどで彼は僕の部屋を訪れるだろうし、ここが見つかるのも時間の問題だろう。


 包丁は持ってきていない。使う必要がないからだ。今回は、生き残る為の目覚めではない。次、目覚めた時に生き残る為の、布石だ。



 一番端っこ、建物の角ギリギリに立つ。人が立ち入ることを想定していないからか、柵はない。(びゅう)と冷たい風が吹きつけ、髪を揺らす。落ちないように気をつけないと。足が震えて立つのが難しい。



 すぐにとん、とん、と音が聞こえてきた。階段を一段ずつ踏みしめる音。紫のフードが姿を現す。不気味な笑みを張り付けた顔は陰ってよく見えない。、


 彼が、



 アイツが、来た。



「さて、殺人鬼さん……」


 じわりじわりと近づいてくる彼に、僕は挑戦するようにひきつった笑みを浮かべる。


「どう、追いかける?」





 意を決して、大きくジャンプした。僕の身体は重力に抗うことなく落下し、植え込みに着地した。実際は着地などという大したものではなく、半ば地面に打ち付けられたようなものだが、衝撃は木々が緩和してくれた。すぐに這いずり出て、空を見上げる。屋上に見下ろす人影。彼だ。


 が、様子がおかしい。空中に向かって歩き続けている。まるでそこに見えない壁があるかのように、ショットガンを構え、同じところで足踏みをしている。屋上から足を踏み外すことない。それはまるで、そこから飛び降りる動作が、まだ想定(プログラム)されていないように。



 しばらく彼は虚空に向かって歩いていたが、少し経つと諦めたのか、踵を返して視界から消えた。






 矢っ張り。



 僕は足に感じる痛みを堪えながら、僕は笑いが止まらなかった。



 楽しいのではない。でも一つ、わかったことがあるのだ。まこと理不尽な死を繰り返しているわけだが、その意味が。その理由がようやく解った。



 自動ドアが開き、殺人鬼が近づいてくる。ああ、でも、やっぱり死にたくな------




 ばあん。





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 殺人鬼が来て、僕は殺される。確かに僕はそのとき死んだ。

 だが、それを確認するのは誰だろうかという問いには、僕は答えられない(・・・・・・)


 殺人鬼の動きは無駄がなく、攻撃してもほとんどが意味をなさない。生き残る可能性は絶望的だろう。警察が僕の死体を見つけるまでもなく、僕の死は決まったようなものだ。


 だがしかし、もし、もし生き残ったら? 偶然が偶然を呼び、結果として僕が助かることがあるかもしれない。そんな目覚めがあるかもしれない。だがこの建物は外部と隔絶されている、ある種の箱の中の世界なのだ。誰かが箱を開けないと、僕が生きていることは伝わらない。言い換えれば------



 僕は、箱を開けるまでは、生きているかもしれない期待を残しているのではないか?



 当然僕はその時既に、生きているか死んでいるかのどちらかだ。だがそれは、箱の()の人間にとってはどうでもいいこと。箱を開けた時、ようやく僕の生死は彼ら《・・》の目に触れる。


「……見てるんだろ」


 見慣れた天井に向かって呟く。返事は、無い。

この世界で生かされて殺される僕だからこそ判ることがある。おそらく、この死は避けられない。生き残る術などないのだ。だがそのゼロが、ゼロであることを拒んでいる人がいる。それは彼ら(・・)であり、そして、僕だ。


 殺人鬼の訪れまでが、いやに長く感じる。こんなに時間あったっけ。だったら他にも、色々試せたな。廊下を水浸しにしてみるとか、ベランダ伝いで隣の部屋に入ってみるとか、熱湯を入れたヤカンを投げつけてみるとか。



 でももう遅い。もし、殺人鬼を退けることが出来る答えがあるのだとしても、それを見つけ、実行するのは僕じゃない。僕はここで仮初めの命を終え、また新しい僕が目覚める。そこに慈悲はなく、ただ繰り返す夢と現があるのみ。



「もうちょっと高い建物に住んでたらなあ」


 殺人鬼を墜落させれば殺せただろうか。八方ふさがりなんかじゃない。目を凝らせば、生を望めば、選択肢は山ほどあった。



 かちゃり。



「ご苦労さん。僕には無理だわ。次------」




 ばあん。











 ......save





 何か小さな破裂音のような音がして、目を覚ます。









 **



「ダメです。十回一セットでもう五回やってますけど、『第六被害者』が生存するルートが有りません」


 眼鏡をかけ、白衣を着た若い男性が、VRゴーグルを外して呟く。


「ちッ……。四と五は天地がひっくり返ったって無理だ。第六で生存方法を見つけないと、マズい」


 彼の声に、若い女性が刺々しい口調で応える。髪はぼさぼさだが、彼女も白衣を着、自分のパソコンを睨んでいる。



「あー。一応何度か攻撃に成功してるんですけども」


「それは結構。実際そういう報告(・・)は有る」


「まあでも包丁じゃ無理っぽいです。手を刺そうが心臓を刺そうが、構わず撃ってきます。生命力が異常過ぎますよ」


「それが、これまで得られた全情報をもとに導きだした、奴の頑強(タフ)さだ。……他は。何か無かったのか?」

 女性の声に、少し苛立ちが含まれる。


「そうですね。最後のセットの十回目で、第六被害者「六朗」モデルが、『自分が仮想世界に居る』と気付いたくらいでしょうか。彼は明らかに、僕ら(・・)の存在に気付いていました」


 青年の声を聞き、女性はほう、と眉をひそめる。


「それはどうして?」


「さァ。記録は消しました。自分がロボットだと気付いたロボットなんて、良い未来を迎えたためしがないんですから」

「さァじゃ困る。こちとら命がかかってるんだ。どうした、処理落ちでも見た(・・)か?」

「あんなに強けりゃ、見たくないもんまで見えますよ。とはいえまさか、第四の壁までは越えないでしょう」

「知ったことか。相手は時間も空間もお構いなしに超越するんだ」


 女性はそう言い放つと、苛立たし気にテレビの電源を入れた。



『数字事件に進展です。ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが、今日未明、『三』が発生しました。ご冥福を、お祈り申し上げます…………。先月より発生している『一』『二』両事件と同様の手口であるとの情報も入っていますが、いまだ詳細は不明です------』



「……殺人鬼は同時多発的に現れ、ただ一人の例外なく、名前に特定の数字の入った者を殺している。一、二と来て、死のカウントダウンは今日でとうとう三だ。だがまだもがく時間はある。何万回でも何億回でも、鑑識と科捜研が調べあげた殺人鬼の行動パターンを全部叩き込んで、生き残る方法を探し出すのが、私達の仕事だ」


「……分かってますよ、七瀬(・・)センパイ。数字殺人の犯行に見せかけて、恨みで誰かに殺されないように気をつけてくださいね」


「承知しているとも。そもそも、シミュレーションの過程にダミーの殺人記録を入れるよう指示したのは私だぞ? 実際問題、怨恨による見せかけ犯行は多いはずだからな。もう、収拾などついていないが…………。君も気をつけることだ。秀才は恨みを買いやすいからな、六波羅(・・・)




 二人は顔を見合わせ、苦笑する。三、四、五、六、七。この数字の羅列が、今ほど恨めしく思ったことは無い。


「さて、僕はまだ六で粘りますよ。三、四、五とどうも上手くいかないけど、これより後ろは下がれない」


「お互い武運を祈ろうじゃないか」



 六波羅と七瀬はゴーグルをかぶりなおすと、エンターキーに手を伸ばす。





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 error 初期化失敗










 また(・・)、目覚めだ。あるかも分からない生の可能性に賭け、観測されるまで生きながらにして死に続けるしかないのか。





 あと何度、正気を保てるだろう。


 僕は覚えている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いや~!! 言葉一言であらわすならまさにコレ! いろんないみのいやーですね。 設定もいやーうまいなって思いますし。 考えるといやー怖いなーとも思いますし! 個人的にすごく面白かったです…
[一言] バッドエンドコンテストを辿ってきました。 容赦なく時が進み、目覚めるのがおそろしくなる話。 設定を〜の言葉がまた怖くてね。 ほんと嫌〜!!ってなりました。 一気に読んでしまいました。 ありが…
[良い点] ∀・)よくできた作品でしたね。辻褄の合う設定というか、独特の世界観がわかりやすいテンポで刻まれていく感じでした。 [気になる点] ∀・;)う~ん、短編にしてはちょっと長め?前半と後半にわ…
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