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テンキュウノアメ  作者: ルシア=A.E.
96/96

1.11.9 立ち止まらずに、戦って

   ヲォォォォォンッ……ヲォォォォォンッ!!


 獣の声が町に木霊する。悲しげに、苦しげに、腹立たしげに……。赤の色に包まれた夜の町並みに、ひどく不吉なコントラストを与えていく。

 

 多くの感情が混ざりすぎて、原色の絵の具を混ぜ合わせたかのごとくドス黒い気配に染まりきった鳴き声を上げていたのは、アメたちに"熊"と呼ばれていた黒い肉の塊。それは――、


「嘆かわしい……嘆かわしいのう……店主殿よ。今のお主の姿は、あまりにも哀れでならん」


――宿の店主の変わり果てた姿でもあった。


「さっきからどうしたんでしゅか?アメしゃん」

「そうですよ。急に取り乱し始めて……」


 アメが額に手を当てながら嘆いていた理由がわからなかったシロとアオは、アメの側に立って、心配そうに事情を問いかけた。アメの取り乱す様子が、尋常ではないように見えたらしい。


 対するアメは、額を押さえた指の隙間から苦々しげに熊を見つめつつ、宿屋の女店主から聞いた話を思い出しながら事情を話し始める。

 

「あの女狸が……宿の店主殿が言っておったんじゃ。ワシらのように長い時を生きる獣は、普通には逝けん。今生の最期に、あのような醜い肉の塊――"熊"に成り果てる、とな」


「「えっ……」」


「それは店主も同じはずじゃ。あやつも普通の狸とは異なる化け狸じゃった。あやつは……あやつはたぶん逃げ遅れて、炎に焼かれて……そして、あのような姿に変わってしもうたんじゃ。まだ若いというのに……」


「「…………」」

 

 アオとシロはアメの言葉を黙って聞いていた。もちろん2人とも、アメの話を疑っていたというわけではない。2人とも、アメほどではないにせよ、”悠久”と言えるような長い時を生きてきたので、近しい者が"熊"になったと思しき場面に幾度か遭遇したことがあったのだ。


「(そう……だったのですね……。つまりあのとき母は、"熊"に襲われたのではなくて……実は……)」

「("熊"しゃんが現れる度に仲間たちが減っていったのは、"熊"しゃんに襲われたせいではなく、"熊"しゃんそのものになってしまったから、ということだったんでしゅね……)」


 ある日突然、彼女たちの前に現れる"熊"。その襲来と共に、近しい者が1人、また1人と消えていったのである。そして今回の宿の店主の一件……。それらの事実を整理した彼女たちは、受け入れがたい現実に考え至ることになる。すなわち、今まで襲いかかってきた"熊"の大半は突然現れた野獣ではなく、近しい者たちの成れの果て。姿を変えた仲間たちそのものだったのではないか、と。


  そして――自分たちもいつかは、腐った肉の塊のような醜い姿に――、


   ヲォォォォォンッ!!

 

――変貌してしまうかもしれないという事実に……。

 

 しかしそれでも、アメは”熊”から目を逸らすことも、逃げ出すこともしなかった。その2本足で確かに大地を踏みしめながら、腕の中のナツをギュッと抱きしめる。


「……相手が何者じゃったとしても、どんな未来が訪れようとも、ワシらは逃げるわけにいかん」

 

「んま?」

 

「……ワシらは南に行かねばならんのじゃ。行くぞ。シロとアオよ。いましばらく、ワシのわがままに付き合ってもらうぞ?ここはワシらの旅の終着地ではないんじゃ!」


 アメはネガティブな思考に支配されたまま、立ち止まるようなことはしなかった。彼女はすぐに、自分のやるべきことを思い出したのだ。そう、たとえどんな結末が待っていたとしても、たとえどんな結末になったとしても……。すでに戻るべき故郷は炎の中に沈み、前に進むしか選択は残されていないのだから。


 結果、アメは、アカネたちにナツを託し、彼女たちにその場からの避難を促した。”熊”だけでなく、宿屋に火を放っただろう町の人々にも気をつけるように伝え、町の外で自分たちのことを待つようにと指示を出す。

 

 そしてアカネたちが暗闇の向こう側へと消えた後、アメは"熊"の対処方法について、アオと相談する。


「アオよ。またお主のあの力を使って、"熊"を止められんか?」


「……倒すだけなら造作もありません。凍らせて叩けば、跡形もなく砕け散ることでしょう。ですが、そんなことをすれば、店主さんは完全に死んでしまうはずです」

 

「…………」


「どうにか元に戻す方法は無いのですか?無いと……もしもが起こった時に、すごく困るのですが……」


「……店主殿は"無い"と結論付けておった。じゃが、それが本当かどうかはワシにも分からん。もしももとに戻す方法があるのなら、その方法を試すまでの間、店主殿をどこかに拘束しておければ良いが……いかなる方法を使こうても、あの巨体を長時間拘束し続けられるとは思えん。船を縛り付けておくような太い縄でも、恐らくはすぐに引きちぎって、暴れ始めるじゃろう」


「解決方法が分からない以上……もはや殺るしか選択肢は残されていない、ということですか……」


「熊になったあやつを元に戻す手掛かりがあればよかったのじゃが、無い物ねだりをしても仕方なかろう。今はせめて、この手で送ってやることが、ワシらにできる唯一にして最善の対応じゃろうて。お主には負担をかけるが……ひと思いに凍らせてやってくれんか?最後の一撃は、ワシがやろう」


「……らしくないですね」


「……余裕は無いのでな」


「……分かりました。私としても、店主様があのような姿になって痛ましく思います。任せてください」


 アオはアメに対してそう答えたあと、”熊”へと向かって一歩踏み出した。するとそんな彼女の行動に対してか、あるいは彼女から染み出た殺意に反応したのか、”熊”がアオの方を振り向いて、虚ろな眼窩中心に彼女の姿を捉える。

 

 しかし、"熊"はすぐに、アオやアメ、あるいはシロに対して、危害を加えようとはしなかった。ただジッと、出方を伺うかのように、3人のことを見つめ続ける。


「アメしゃん……あれはもしや、店主しゃんの意識が残っているのではないでしゅか?」


「先程は呼び掛けても反応せんかったんじゃ。希望を捨てよとは言わんが、気を抜けばやられるのはワシらの方ゆえ、心してかかるべきじゃろう。……ほれ、シロよ。お主も逃げよ。これから先はワシとアオで十分――」


 アメの言葉が終わるよりも先に、"熊"が動く。アメの予想は正しかったらしい。


   ウヲォォォォンッ!!

   ズビシャッ!!


 身体に纏わせた粘液を自身の身体の一部のように使って、大きな手のようなものを形作り、3人のことを粘液の中に取り込もうと、伸ばしてきたのだ。


 その攻撃に、3人ともが獣らしい反応速度で対処する。シロは鶴の姿に戻って地を蹴り空へと退避し、アメも狐の姿に変わって大地を蹴り、それぞれ難を逃れることに成功する。


 一方、アオだけはその場に留まり、腕を前に掲げた。すると彼女の周囲の空気が冷気に包まれていき、空気にキラキラとした光の粒が現れ始めた。


 ……ダイヤモンドダスト。周囲の空気の温度が急激に下がり、空気に含まれていた水蒸気が、凍りついて結晶になったのだ。

 

 凍りついたのは空気だけではない。辺り一面の地面も、パキパキと音を立てながら白く染まっていった。その間、たったの1秒ほど。当然、"熊"の粘液も例外ではない。


 あと数センチメートルでアオに届きそうだった粘液が、空中でピタリと静止する。それだけに留まらず、凍って白くなった粘液を遡るようにして、ピキピキという音が伝搬していき……。ついには"熊"の身体全体を白いベールのようなものが包み込んだ。


 直前まで、とぐろを巻いた蛇のように身体を蠢かせていた”熊”は、次第に動きを緩慢にしていき、やがてピクリとも動かなくなってしまった。表面だけでなく、身体の芯から凍りついてしまったのだ。

 

 メキメキという音と、真っ赤な炎を上げながら崩壊していく宿屋の姿が、凍り付いた”熊”の身体に映る。その様子を見たアメ狐が何を考えたのかは定かでない。ただ彼女は、酷く寂しそうな表情を浮かべたまま、凍った"熊"に近づくと――、


   ブゥンッ!!

   バキンッ!!


――彼女は凍った”熊”ごと氷塊を叩き壊してしまったのである。それも、自身の腕を一瞬だけ太く変化させて。

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