1.11.7 駄賃をせびられ、指摘して
その日の夜。アメと宿屋の女店主は、宿屋にあったコモンスペースとも言うべき暖炉の前で、揺れる炎を眺めながら会話をしていた。捕まえてきた獲物の扱いをはっきりさせて、海を渡るための具体的な話をするつもりでいたのだ。
「店主殿。以前お主が言っておった量の獲物は用意できたぞ?ちと予定よりも多いが……まぁ、少なくて困ることはあっても、多すぎて困ることはなかろう?」
「あぁ、そうだね。でもまさか、たったの一日で、あれほどの量の獲物を狩ってくるとは思わなかったよ。最低でも2週間くらいは掛かるかと思っていたんだけど、いやはや……。ま、約束は約束だ。渡し船の手配はちゃんとしてあるから、大船に乗ったつもりで安心しな」
と、言って笑みを浮かべる宿屋の店主。
そんな彼女にアメは何やら言いたいことがあったらしく……。彼女は、胸の中で眠るナツのことを適度に揺らしながら、こんなこと口にした。
「お主が正体を狸じゃと打ち明けてから、ずっと考えておることがある。店主殿は、"カチカチ山"という噺を知っておるか?」
その瞬間だった。
「カチカチ山……ぷふっ……あはははは!」
突然、店主が笑い始める。
「……なんじゃ?」
「ひゃっひゃっひゃっ……ふぅ、笑った、笑った。あんたはあれかい?私があんたらのことを、泥船にでも乗せて海に沈めるつもりだとか考えているのかい?狸だけに。……ぷふっ……!」
「どこがお主のツボに填まったのかは知らんが……確か、あの話では、最後に泥船に乗せられるのは狸の方ではなかったかの?」
「あぁ、そうだね。確かにその通りだよ。哀れな狸が、人間に捕まったときに、捕まえた人間の婆さんを味噌汁にしちまって……それで、夫の爺さんが、なぜかウサギに頼むんだ。……狸をこらしめてくれ、あいつは婆さんを殺した悪いやつなんだ、ってね。それで、紆余曲折あって、ウサギが泥舟を作って、狸を船に乗せて沈めるんだ。確かに、沈められるのは狸の方だね」
「うむ。ワシの知っておる噺も大体同じじゃ。狸が哀れかどうかは知らんが……」
「まぁそこは、哀れってことにしておこうじゃないか。で、私は思ったんだよ。その狸が……ウサギに懲らしめられるはずだった狸が、自身の乗るはずだった泥舟に、狐を身代わりにして乗せるような展開になったらどうなるか、ってね?理不尽な扱いを受けるはずの狸が、最後の最後でどんでん返し。狐を犠牲にすることで、勘違いウサギと、ずる賢い人間を逆に懲らしめるって展開だ。ずっと前からいけ好かない物語だと思ってたけど、そういう展開なら悪くない、って思うんだけどねぇ……」にやぁ
「まさかとは思うが……」
「ふふっ、冗談さ。そもそも私は誰かに懲らしめられてるって訳じゃないからね。それに、こんな寒い季節に泥で船なんか作ったら、一晩でカチンコチンに……いや、カチカチに凍らせれば、案外、海を渡りきるまで保つかもしれないよ?……カチカチ山だけに」ぷふっ
「…………」
下らないだじゃれを口にする店主に向かって、無言のままジト目を向けるアメ。
すると店主もふざけすぎたと思ったのか、すぅはぁ、と大きく深呼吸をして、真面目そうな表情に戻ると……。アメに向かってこう問いかけた。
「で、あんたが私の正体を知って抱いてる懸念ってのは、カチカチ山みたいに、泥船に乗せられるんじゃないかって心配かい?その点は安心しな。人間様も乗る船だから、安全性は折り紙つきさ」
対するアメは首を横に振る。
「いや、ワシが心配しておるのはそんなことでない。もちろん、あの水溜まりの向こうに無事に渡れるというのは絶対じゃが、問題は時期じゃ。ここ最近、冬の足音が、まるで真隣におるかのように聞こえるようになった。ワシらとしては、冬に追い付かれる前に、もっと南の暖かい場所に向かわねばならんゆえ、急いで海を越えねばならんのじゃ」
「どうしてそんなに急ぐんだい?誰かと会う約束でもしているのかい?」
「……さての。そこまでは言えん」
と言って、再びナツの位置を調整するアメ。
そんな彼女と、彼女の胸の中で幸せそうに眠るナツを見て、店主は笑みを浮かべながら言った。
「……そう言えば誰だったかが言ってたねぇ。あんたがその人間の赤子をいたく大切に思っていて、暖かな南の地でゆっくりと子育てがしたい、って」
「子育てとは失礼な……。ワシは捕食者。こやつは獲物。まだ幼いゆえ、大きくなって旨そうな脂が載ったころに、ガブリとやってやろうと考えておるだけじゃ。ワシ自身の子供などとは考えておらんわ」
「そうかいそうかい。赤子の頭に顔を埋めて嬉しそうに深呼吸する狐様の言うことは違うねぇ……」
「……ふん。何とでも言うが良い」
アメはそう言って、眠るナツをぎゅっと抱きしめると、これ見よがしにナツの頭に自身の顔を載せて、その体勢のまま店主に細めた目を向けた。
「んで、外の獲物の山じゃが、あれはお主に全部任せれば売りさばいてくれるのかの?それともワシらがやらねばならんのかの?」
「そうだねぇ……私がやっても良いけど、駄賃は貰うよ?」
と店主が口にすると、アメはまるで、その言葉を待っていました、と言わんばかりに、ニヤリと口角を吊り上げた。
「ところでお主……夫とやらはどこに行ったんじゃ?」
「…………」
アメのその問いかけを聞いた直後、店主の表情がピタリと固まる。しかしアメの口は止まらない。
「あと、お主、"鹿"について何か知らんかのう?ずいぶんと狸臭い鹿なんじゃが……」ギロッ
「あんた、全部知って――」
「はて?ワシはただ問いかけただけじゃが?そういえばあの"熊"もずいぶんと狸臭かった気がするのう……。はてさて、偶然か、それとも……」ちらっ
明らかに試すような視線を向けてくるアメを前に、店主は、はぁ、っと大きな溜め息を吐くと……。その場にあった暖炉の炎を見つめながら、ゆっくりとその口を動かし始めた。
「……うちの亭主は、私なんかよりもずっと年上でねぇ。私ゃまだ三十数年しか生きてないけれど、亭主は……私なんかとは比べ物にならないくらい長い時を生きてきたんだ。本来あるべき寿命から解き放たれた私ら化け狸が、半無限とも言える寿命と引き換えに得た、本来の寿命とは異なる人生の終着地。それが"熊化"さ。まぁ、それは狸に限った話じゃないんだけれどね。お前さんが戦った"熊"は……あぁ、そうさ。紛れもなくうちの夫の成れの果てだよ」
「なるほど……。道理で、身体からネバネバした粘液が染み出ておったわけじゃな……」
「いやあれは元々じゃなくて、熊になってからああなっただけだからね?」
「なに、分かっておる。ちょっとした冗談じゃ。しかし……治す方法は無かったのかの?」
「私だって、必死に亭主をもとに戻す方法を探したさ。でもね……見つからなかったんだよ。そもそもこんな辺境じゃ見つかるはずがなかったんだ。こんな人も少なければ、意思疏通の図れない同族たちしかいないような辺鄙な場所で、ごく少数しかいない仲間の化け狸の情報を集めようなんざ、どだい無理な話だったのさ。だからせめて、これ以上苦しまずにあの世に行けるよう、あんたたちに亭主――つまりあの"熊"を狩るように仕向けたんだ。だから、あんたたちには感謝してる。亭主はようやく眠ることができたんだからね」
「……面白半分に仕向けたなどとほざいておったら、その首を噛み千切るところじゃったのにのう……。まったくもって残念じゃ。まぁ、騙されたのは事実ゆえ、その対価として、獲物を売却する駄賃は無しにしてもらおうかの?」
と言って、ナツの頭に顔を埋めて、そこで深呼吸をして「臭っ!」とフレーメン反応を見せるアメ。そんな彼女にとってナツの臭いは、ある意味、タバコのようなものなのかもしれない。
一方、狸店主は、アメたちの実力を知っていたためか、真実を知っても怒気を見せなかったアメを前に安堵していたようである。彼女としては、ここで逆上したアメに襲われるようなことがあったとしても、素直にそれを受け入れる気でいたのだが……。しかし、最悪と言える事態にはならなかったためか、安堵のあまりうっすらと涙を浮かべていたようだ。
そんな店主の変化に気づいて、アメが問いかける。
「お主、何を泣いておる?今さら感傷に浸っても遅すぎるぞ?」
「いや、眠くて欠伸をしただけだよ。いけないねぇ。冬ってのは。どうも眠くて仕方がないよ」
「お主ら狸は、冬になっても寝込みはせんじゃろ。たまに雪の中を歩いておるのを見かけるしのう」
「それでも眠いもんは眠いのさ。……さっきの獲物の話。駄賃は無しで売っとくよ。仕方ないね」
そう言った後で、よっこらせ、と暖炉の前から立ち上がる狸店主。そして彼女は話が終わったと言わんばかりにその場を去っていくのだが……。一瞬だけ立ち止まると――、
「……ありがとうさん」
――そんな言葉を背中越しにアメへと向けて……。どこか恥ずかしそうにその場を去っていったのである。
◇
そして夜も更け、空から冬の使者が静かに舞い降り始めた頃。
コォォォォッ!!
アメたちが眠っていた宿屋を、紅蓮の炎が包み込んだ。
うわーん!進まない……。




