1.2.4 気付かれたくて、気付けなくて
「…………」ごごごごご
「意味が……わからぬ……」しょんぼり
「んま?」
人のように見えて、人ではなく、実は人に化けた鶴だった少女。そんな彼女が翼を広げて威嚇している姿を見て、アメは心底幻滅したような様子で耳を伏せてしまった。
こうしてアメが人の言葉を使ってまともにコミュニケーションを取るのは、鶴が初めてで、さらに言えば、自分以外の"変身"ができる存在と接触するのも、今回が初めてだったのだが……。それでも彼女の気分は優れなかったようである。鶴との邂逅はアメにとって嬉しい出来事だったものの、余りに嬉しすぎることが1度にやってきたせいか、そのまま気分が反転してしまったらしい。
それから彼女は、しょんぼりとした様子のまま、鶴に背を向けると、倒木の上に乗っていたナツのそばへと移動して、彼女の横にぴったりと身を寄せた。そして、まるで毛繕いをするようにして、毛の無いナツの頬をいとおしそうに舐めながら、彼女は鶴を一瞥して、こう口にしたのである。
「……して、お主。いつまでワシらを威嚇しておるつもりじゃ?主が人でないことが分かった以上……主にはもう用はないのじゃ」
「酷い言いぐさでしゅね?別にわっちは、狐しゃんのことを騙したわけでは無いというのに……。それに、そもそも、最初にわっちのことを脅かしたのは、狐しゃんの方でしゅよ?わっちに何か言うことがあるのではないでしゅか?」
「……非常食は渡さぬ?」
「んまんま」がぶぅ
「……食べられてるの、狐しゃんの方でしゅけどね?」
アメの尻尾がお気に入りなのか、容赦なく彼女の尻尾にかじりつくナツ。そんな彼女の様子を見て、鶴は毒牙(?)を抜かれたのか、刺々しさを和らげて、アメに対しこう言った。
「……シロでしゅ」
「む?人の姿に化けておったときの、お主の褌の色かの?」
「いや、それは黒でしゅ。そうじゃなくて、わっちの名前でしゅ」
「さよか……」
「…………」
「…………」
「……もしかしてあれでしゅか?狐しゃんは、うまく会話ができない心の病でも患っているんでしゅか?」
「……良くも悪くもこうして人の言葉を使ってまともに話すのは、これが初めてじゃ。心の病だの、人の作法だの言われても、ワシにはよう分からぬ。逆にお主の方は、随分と人の言葉の扱いに長けておるようじゃのう?」
シロと名乗った鶴へと、アメがジト目を向けながらそう口にした――その直後のことだった。
「ふふっ……ふふふふふっ……」カクカクカク
シロが何の前触れもなく壊れてしまったようだ。……いや、そういうわけでもなかったらしい。
「お、お主……大丈夫か?」
「えっ?あぁ……これが、わっちの笑いかたでしゅ。お腹で笑うと、首が長いでしゅから、ぷるぷると震えるてしまうでしゅ。気にしないでくだしゃい」
「(……何となく、こやつが、村八分にされておる理由が分かったような気がするのじゃ……)」
例え、人の姿に変身しても、シロは怪しげな気配を放ちながら笑うのだろう、と確信するアメ。彼女としては、シロが震えながら笑うことよりも、その怪しげな笑いかたのほうを指摘したかったようだが、本人はまったく気づいていない様子だったので、アメはその事について、何も言わないでおくことにしたようだ。
「それで、わっちが、どうして、人の話し方に長けているか、でしたか?それはでしゅね……人に恋をして、猛勉強したからでしゅ!」かぁ
「……は?」
「んま?」
「実はでしゅね……昔、人のかけた罠に足を挟まれたことがあったのでしゅが、それを助けてくれて、さらには足のケガが治るまで、わっちのことを匿ってくれた殿方がいたんでしゅよ。それも……訳がわからず暴れるわっちのことを、見放すこともなく献身的に……」
「…………」
「…………」もぐもぐ
「その殿方が住んでいるのが、あの村なんでしゅ。わっちは、あのときに伝えることができなかった、この感謝の気持ちを、どうしても伝えたかったでしゅ……。だから、わっちは、この焦がれるような思いに誘われるまま、必死になって人の言葉を覚え、変身する方法を編みだし……そして、村人に紛れるところまでは、どうにか漕ぎ着けたでしゅ。あとは、あの人に会って、この心の内を打ち明けることができれば……わっちは、もう、感無量でしゅ!……ふふっ……ふふふふふ……!」カクカクカク
「(……こやつ、もう手のつけようが無いかもしれぬ……)」
「んまんま」
人と接した経験の浅いアメでも、明確に感じられるほど、シロから漂ってくる怪しげな気配。しかし、それでも、アメがそのことを指摘しようとしなかったのは、彼女の優しさゆえか……。
その代わり。アメは不意に浮かび上がってきた疑問を、シロへとぶつけることにしたようである。
「ところでシロよ。お主の話を聞く限り、その殿方とやらに助けてもらった後で、お主は言葉や変身する方法を覚えた、と言ったように聞こえたのじゃが……主がその殿方と会ったのは何時のことじゃ?」
「なぜそのようなことを?もしや……わっちの男を横取りするつもりではないでしょうね?雌狐しゃん……」ゴゴゴゴゴ
「せんわ!(そんな恐ろしいこと、出来るわけがなかろう……)」
「……まぁ、いいでしょう。わっちがあの方と出会ったのは――はて?いつのことでしたか……」
「……ふむ。なるほど……」
アメはその瞬間、とある確信を持ったようだ。
結果、彼女は、その次の言葉を口にしようかと考えて、一旦悩むものの……。しかし、今回ばかりは飲み込まず、口に出すことにしたようである。そうでもしないと、シロのことが、余りにも不憫でならなかったらしい。
「ここでお主と会たのも何かの縁。お主のためを思って、これだけは言わせてもらうぞ?……人の寿命は、50年そこそこじゃ」
そう言って、自身の髭を引っ張って遊んでいたナツの頭の上に、首を載せるアメ。その際、彼女の首元に確かな温もりが伝わってきたようだが、それをアメがどのように感じていたかは、不明である。
一方のシロは、アメに言われて、初めて人の寿命のことを知ったのか……。急にそわそわとし始めると、震えるくちばしで、こんなことを言い始めた。
「い、いや、まだ大丈夫だと思うでしゅ。まだ300年くらいしか経ってないでしゅから、あの人はまだ元気に村で暮らしているはずでしゅ!」
「…………」
「……ちょっと行って確かめてくるでしゅ!」
シロは、そうとだけ言い残して――
バッサバッサ……
――と、その場を飛び去っていった。
アメはそんな彼女の背中を見送ってから、ナツに対してこう口にする。
「さて……騒がしい奴も消えたことじゃし、ワシらは次なる村を探して、そこで道を聞くとするかのう?」
「んま?」
「ほれ、ナツよ。背中に上るが良い」
「んまんま!」よじよじ
「さて……それじゃぁ、時間もないゆえ、飛ばすとするぞ?」
ズサッ!
そして、全力疾走に近い速度で、森の中を走り始めるアメ狐。そんな彼女が向かった方向が、何故かシロの飛び去った方向と一致していたのは――もしかすると、本当に、道に迷っていたから、なのかもしれない……。